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100人の偉大なアーティスト - No. 79

2003年4月4日 (金)

偉大なるブルースの巨人、マディ・ウォーターズは1915年4月4日、ミシッシッピ州、ローリング・フォークに生まれた。

41、42年に国会図書館用の仕事をしたあと、43年にシカゴに移住。46年、コロンビア他に商業用の初レコーディングを行い、47年にサニーランド・スリムの紹介によって、アリストクラット/チェス・レーベルに在籍するようになる。

この48年~54年頃のアリストクラット/チェス録音はブルース名盤中の名盤 ベスト・オブ・マディ・ウォーターズで聴ける。58年チェスとしては3枚目となるLPで、マディ・ウォーターズにとってはじめてのアルバムだった。この作品は彼の代表曲を集めたもので、約半数は当時のR&Bチャートのトップ10にはいった曲から成っている。シカゴに出て来て以降のそれまでの録音では、戦前のシティ・ブルースのスタイルを取り入れていたマディだったが、48年のセッションでベースだけをバックに初めて得意のボトルネックを披露。その曲"I Cant Be Satisfied"はそのサウンドと歌詞の素直な心情がウケて大ヒットした。これは当時南部から都会へ出てきた者の心を見事に捕らえた曲だった。またこれ以後、50年、リトル・ウォルターのハープとのコンビネーションが出来あがってからはそうしたダウンホーム・ブルースの傑作を幾つも生んでいく。

シカゴ・ブルースの重要人物、ウィリー・ディクソンというブレーンを得てからのマディ・ウォーターズは大きな変身を遂げた。54年の3連発ヒット"Hoochie Coochie Man" ,"I Just Want To Make Love To You" , "Im Ready"にその形が顕れている。12小節の形式に留まらず、豪快な内容の歌を力強く歌う。またバンド・サウンドはよりタイトに。ここでシカゴ・ブルースの首領というイメージを決定的にするのだ。

55~59年頃のサウンドはアルバム Trouble No More(この時期のシングル集)ほかで味わえる。時期としてはロックンロールの時代に入り、ヒットという面で他アーティストに譲る部分があったにせよ、この頃のマディ・ウォータースもイイ。充実したアンサンブルを聴かせるバンドを従えて、やはりの実力で圧倒させてくれる。

60年7月3日、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでの演奏はAt Newport 1960という作品に収められている。暴動のため中止になったフェスティヴァルのフィナーレを飾った、曰くつきのものだ。因みにジャケでマディが持っているギターは、ジョン・リー・フッカーのものらしい。ライヴならではの演奏が聴ける。

60年代には多くのブルースをルーツに持つロック・バンドが登場。ローリング・ストーンズらのアイドル、そして神様がマディ・ウォーターズであった。その影響力の絶大さは想像を絶するほどの大きさと言わねばならない。特にイギリスでその傾向は強く、ロックの流れの中心、または太い幹を支える養分としての役割をになったのが、米国産ロックンロール、そしてマディ・ウォーターズら米国のブルース・ミュージシャンたちの音楽だった。

マディ・ウォーターズは75年になってチェス・レーベルを離れた。76年に録音された作品Hard Againジョニー・ウィンターが運営するブルー・スカイ・レーベルからのリリースだ(発表は77年)。同レーベルにマディは4枚のアルバムを残した。"Im Ready(78年発表)、Muddy “Mississippi”Waters Live(79年)、King Bee(81年)だ。Hard Againと前者2作は、3年連続グラミー賞を獲得している。正に最後の輝きを放ったのがこの時期だった。

1983年4月30日、マディ・ウォーターズ永眠。彼の遺した偉大なる業績はこれからもブルースの歴史とともに語り継がれていくに違いない。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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