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100人の偉大なアーティスト - No. 91

2003年3月23日 (日)

 Jaco Pastorius こそは、Charlie ParkerAlbert Aylerといった「天才破滅型」のジャズミュージシャンとしてのオーラを持った、1970年代以降最も輝いたミュージシャンだった。パーカーやアイラーがその一片のフレーズさえ多くのファンたちの垂涎の的となったように、ジャコに関してもそうしたライヴ音源は発掘し続けられ、2003年4月には、最も初期の未発表演奏2曲を収録した『Jazz Funk:The Jaco Pastorius Anthology』が発売となった。

 ジャコのカリスマ性は、ウエザーリポート全盛期におけるたび重なる来日とその音源のアルバム化によって熱狂的なファンと化した日本の音楽ファンと、近年の“フュージョン・ルネッサンス”に乗って、21世紀を越えてから盛んに制作される「ジャコ・トリビュート・アルバム」によって再びそのカリスマ性が目を覚ました。

 実際、ジャコの影響はベース奏法のみに止まらず、ジャズとフュージョンを繋ぐ最も大きな掛け橋としての存在感も大きくなっている。日本でも納浩一をはじめジャコ・サウンドの深化、そして、進歩を目指したミュージシャンたちは後を断たない。そうした中、国内盤も発売されたMaurizio Rolli / A. M. P. Big Bandなどは多くのファンに受け入れられた。

 <ジャコの経歴>
 Jaco Pastoriusこと、ジョン・フランシス・パストリアスV世は、ジャック・パストリアスとステファニー・パストリアスの子供として、1951年12月1日ペンシルヴァニア州ノーリスタウンに生まれた。1959年にはフロリダ州フォート・ランダーデールに家族と一緒に移り、1963年9月、10才でドラムをプレイし始めている。

 1966年には“ドラマーとして”、“Las Olas Brass”に加わり、1967年の夏、15歳でベースに転向、1972年1月、“ウエイン・コクラン&ザ・C.C.ライダーズ”に加入し、1973年春からはマイアミ大学で臨時講師としてベースを教え始める。生徒の中には、Mark Eagan、Hirum Blockらがいた。

 ジャコの年齢からすでに生徒に教えていたのはPat Metheny(彼も10代からマイアミ大学で教えていた)くらいのものだろう。いかにジャコが優れた音楽的な才能と、それにもました能力を早くから身に付けていたかを物語る逸話である。

 やがて、1974年夏、ブルース・バンドのアルバム一枚と、Paul Bleyが主催するIAIレーベルから、Bruce Ditmous(ds)パット・メセニー(g)ポ−ル・ブレイ(p)とのトリオによるアルバムをリリースする。

 1975年には自身のアルバム『ジャコ・パストリアスの肖像』(Epic)を録音すると共に、パット・メセニーの初期の傑作『Bright Size Life』に参加する。また、Weather Report『Black Market』の録音の一部にも参加、このレコーディングによってジャコの名声は広く音楽界に知られることになった。

 翌年1976年、ウエザー・リポートに正式加入、WRの最高傑作と目される『Heavy Weather』を共同プロデュース。ここへ来て改めてジャコは70年代以降現れた最も偉大なミュージシャンとなった。

 ジャコはベース奏法の革新だけでなく、やがて、“Word Of Mouth”を結成、オーケストレイションにも新しい手法を試している。1980年、そのオーケストラでアルバム『Word Of Mouth』を録音。ジャコの演奏には、時々バップ・ナンバーが顔を見せるが、ここでの演奏における彼のアプローチには、ジャズの伝統に対する彼なりの解決が示されている。

 1982年、ジャコはウエザー・リポートを脱退、自分の音楽の確立のためツアーに出る。1983年には前年のジャパン・ツアーの演奏からのライブ盤『Invitation』を発表、Randy Brecker(tp)Bob Mintzer(ts,ss)らを擁したバンドは、日本のファンにジャコの存在を忘れられないものにした。ここでも「ソフィスティケイテッド・レイディ」や「ジャイアント・ステップス」を採り上げ、常にジャズ界への視線を忘れなかった。

 しかし、WR時代は父親役のWayne ShorterJoe Zavinulの二人がいたが、独立後は独り立ちしなくてはならず、自己破壊的なジャコにとって先の道は明らかだった。Santanaのステージに乱入した逸話や警備員に殴られたことも含め、天才ジャコを支える者はなかなかいなかった。正式な録音の少なさを補う多くのライブ音源が発掘され、いまでも発掘が続いているように、ジャコの人気はますます大きくなり、ジャズの歴史においてもジャコが残した大きな足跡は明らかになった。

 今後共、ジャコの評価はますます大きくなるだろう。なお、ジャパン・ツアーの演奏は近年コンプリートな形で『Twins - Live In Japan 1982 』としてリリ−スされ、ジャコのこの時代の演奏の骨格がさらに鮮明となった。

 近年の情報によればジャコの双子の息子達も演奏をしており、長女はヴォーカリストとしてステージに立っている。長女の夫君も一緒にプレイしていることを考えてもやがて、Jaco Pastorius Family Bandの登場もあるかもしれない.そうしたこととは別としてもジャコのファンは現在も未来も増えつづけるだろう。最後のカリスマ・ジャズマン、ジャコ・パストリアス!  
※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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