橋本徹(SUBURBIA)コンパイラー人生30周年記念対談 with 山本勇樹(Quiet Corner)

2023年05月25日 (木) 09:00

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橋本徹(SUBURBIA)さんのコンパイラー人生30周年を記念するコンピレイションCD『Merci 〜 Cafe Apres-midi Revue』が5月26日に発売されます! これは2月22日にP-VINEから発売された『Blessing 〜 Free Soul x Cafe Apres-midi x Mellow Beats x Jazz Supreme』と、5月24日にULTRA-VYBEから発売された『Gratitude 〜 Free Soul Treasure』に続く3作目であり、橋本さんがこれまでに監修・選曲を手がけたアプレミディ・レコーズの29枚のコンピCDから選りすぐられた、まさにベスト・オブ・ベストというファンならずともたまらない内容です。

選曲の妙はもちろんのこと、プレイリストでは味わえない曲順&曲間の心地よさや、丁寧にマスタリングされた音質も魅力ですし、また『音楽のある風景』シリーズでおなじみの星図が施されたジャケット・デザインも素敵で、やはりフィジカルで所有したいと思わせてくれる仕上がりになっています。

今回は、そんな『Merci 〜 Cafe Apres-midi Revue』の発売を記念して、監修・選曲を手がけた橋本徹さんと、山本勇樹による特別対談をお届けします。司会進行はアプレミディ・レコーズの担当ディレクターの稲葉昌太さんです。

山本勇樹  

国内盤CD

Merci 〜Cafe Apres-midi Revue

CD

Merci 〜Cafe Apres-midi Revue

価格(税込) : ¥2,970

発売日: 2023年05月26日

橋本徹(SUBURBIA)コンパイラー人生30周年記念コンピ!
橋本徹が過去30年間に監修・選曲した350枚におよぶコンピレイションCDのうち、INPARTMAINTよりリリースされた29タイトルから選りすぐられた、メロウ&グルーヴィーな珠玉の名作群が80分にわたって連なる“感謝”のベスト・オブ・ベスト・セレクション!

キース・ジャレット/ミルトン・ナシメント/シャーデー/ビートルズ/マーヴィン・ゲイ/アントニオ・カルロス・ジョビン/ジョアン・ジルベルトの名カヴァーから、ジョー・クラウゼル〜Nujabes絶品ワークスまで、時代やジャンルをこえて、エヴァーグリーンな輝きを放つ選りすぐりの17曲を収録。アプレミディ・レコーズのハートの部分を構成してきた名作中の名作ばかりで紡がれる、80分間の新しい物語。

収録曲

01. Pippo Non Lo Sa / Jazzinaria Quartet

02. All Loved Out <Ilu 'Ife (Love Drum)> / Ten City

03. So Reminding Me / Grazyna Auguscik

04. Circo Marimbondo / Pedro Bernardo

05. Nada Mais / Deni

06. Love Is Stronger Than Pride / Lincoln Briney

07. If I Fell / Nando Lauria

08. The Sun ・ The Moon ・ Our Souls <Sacred Rhythm Version> / Mental Remedy

09. Make A Rainbow / Benny Sings

10. Mangoes And Pears / Gaby Hernandez

11. Woman Of The World / Emma Noble

12. You'll Never, Never Know / Dislocation Dance

13. Sunset Red <12" Long Version> / Lucinda Sieger

14. Two Kites / Jo & Tuco

15. Lamp / haruka nakamura feat. Nujabes

16. Give Me Little More / Carlton & The Shoes

17. Valsa [Bebel] / Ithamara Koorax & Juarez Moreira

橋本徹(SUBURBIA)コンパイラー人生30周年記念対談 with 山本勇樹(Quiet Corner)

構成・文/稲葉昌太(アプレミディ・レコーズ A&R)

「Suburbia Suite」やフリー・ソウルが育んだ
90年代渋谷系世代の豊かなリスナーシップ

ーー橋本徹(SUBURBIA)さんのコンパイラー人生30周年記念企画コンピレイションCD『Merci 〜 Cafe Apres-midi Revue』が、アプレミディ・レコーズより発売になります。今日は、橋本徹さんとHMVのバイヤーでご自身も『Quiet Corner』というコンピレイション・シリーズを手がけている山本勇樹さんにお越しいただき、いろいろとお話をお聞きしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

橋本山本 よろしくお願いします。

ーー橋本さんがコンピレイションCDの選曲を始められて30年が過ぎたわけですが、30年前の山本さんはどんな音楽が好きだったんですか?

山本 1993年というと僕は中学3年生で、振り返ると今年は自分の音楽リスナー歴30周年だなと勝手に思っていたんですが、橋本さんのコンパイラー人生も30周年だと知って、おおっと思って。でも同時に、それはそうだなと思ったんですよね。振り返ると橋本さんの紹介する音楽を追いかけてきたのがそのまま僕のリスナー歴と重なるので。僕が中学3年生のときに、CMで流れていたピチカート・ファイヴの「スウィート・ソウル・レヴュー」を聴いて、そのあと、コーネリアスのソロ・デビュー・シングル、ジャミロクワイのファースト・アルバム『Emergency On Planet Earth』という順番で聴いていくんですけど、どれもすぐに気に入って。なんてかっこいい音楽なんだろうと。で、彼らが60〜70年代の音楽に影響を受けているということで自分も興味を持って、当時のいわゆる渋谷系っていう音楽のムーヴメントの中に自分がどっぷりと入っていったんです。

橋本 確かに1993年っていうのは、僕が編集・発行していた「Suburbia Suite」でもその夏に“1993 *summer of love* tokyo”と表紙に謳ったスペシャル・イシューを作っているんですけど、シーンが活性化してましたね。その年の2月にロンドンやパリに行ったときに思ったんですが、ウエスト・ロンドンのカリブ系の移民とかが多くてカーニヴァルやアンティーク市をやっているような地域で、渋谷や下北沢で会っていた同世代とどんどんすれ違うような状況で。東京の音楽シーンがイギリスの音楽シーンともリンクしてパッと花開いていって、それが後に渋谷系って言葉で括られたりするようになるんですが、すごく豊かなリスナーシップが育まれていた、まさに季節でいえば春から夏へという時期だったのかなと感じます。山本くんはその頃に中学3年生で春の入り口にいたんですね。

山本 はい。もちろんまだ橋本さんがお話されたようなカルチャーを理解はしていませんでしたが。

橋本 1993年の2月は、まだジャミロクワイは12インチしか出ていなかったんだけれど、ブライトンでちょっとしたイヴェントみたいなものがあって、ロンドン中のレコード屋が出店していて、当時のレア・グルーヴやアシッド・ジャズの流れにあるライヴ・アクトとして彼らが出たんですが、すでに話題沸騰でしたね。

山本 当時、僕はCDはたくさん買えないので、よくJ-WAVEをエアチェックしてました。で、ジャミロクワイとかインコグニート、ブラン・ニュー・ヘヴィーズなんかが流れると、やっぱりアシッド・ジャズやレア・グルーヴといったキーワードがどんどん出てくるので、いったいそれは何だろうと。高校生になって、若者向けの人気雑誌のカルチャー系のファッションや音楽の特集を読んだりするようになったんですけど、ある号の巻頭でフリー・ソウル特集が組まれてたんですよ。そこに書かれてた文言が、いわゆる「渋谷系〜コーネリアス〜レア・グルーヴ〜アシッド・ジャズ好きは必聴!」みたいなキャッチで。これは今の自分が聴かなきゃダメなやつだなっていうのをそこで認識したんです。で、たまたま地元の高校に近い街のCDショップに行ったら、『Free Soul Lovers』と『Free Soul Colors』が面出しで陳列されていたんです。あ、これだ、ここに売ってると思ってお小遣いで買って。

橋本 高校に入学したての一学期とかだよね。素晴らしい高校1年生(笑)。1994年っていうとオリジナル・ラヴがすでにかなり人気が出てたからね。93年から94年になる冬に「接吻」の大ヒットがあって、その後『風の歌を聴け』が94年にオリコン1位になって。時代的には、東京ではもうそういう70年代ソウル周辺のグルーヴィーでメロウな音楽っていうのは、「フリー・ソウル」という言葉を意識しなくても、雰囲気というか空気感としては熟成されつつあった時期だったのかもね。だから高校1年生にも届いたのかな。

山本 そうですね。田島貴男さんはTVでも歌ってたり、「モグラネグラ」という深夜番組の司会とかもしてたから、「接吻」のヒットもあって、東京の外れに住んでいても、そういうのが本当に今、渋谷あたりで盛り上がっているんだなっていうのを子どもながらに感じることができましたね。あと、やっぱり『Free Soul』シリーズのアートワークがとても印象的で。ロゴとか写真とか、まず今までに見たことがない洗練されたデザインに惹かれました。

橋本 吸引力があるよね。なんかワクワクする、心躍らせてくれる感じがあったんだと思うんだよね。あのロゴと女性の写真のジャケットがCDショップに並んだときに。

山本 で、収録曲を見たら、あれだけ曲数が入ってる中で知ってるアーティストがアイズレー・ブラザーズとアース・ウィンド・アンド・ファイヤーだけなんですよ。

橋本 高校1年生らしくていいね(笑)。

山本 そのふたつのアーティストしか知らない、だけどもうそんなの関係なしに、この作品自体きっとすごいんだなって思って買って帰って、ワクワクしながらCDをセットして。オープニングのビル・ウィザースの「Lovely Day」が流れてきた瞬間は今でも覚えてます。一発目からちょっとショックを受けたというか、ちょっと言葉では説明できない感じ、幸福感というのか、ぐっと気持ちがこみ上げてくる感じですかね。それでいて渋谷系の音楽ともつながる雰囲気もあって。あと、『Free Soul Lovers』だと2曲目のアイズレー・ブラザーズの「If You Were There」について、ライナーの対談で橋本さんたちがシュガー・ベイブの「DOWN TOWN」について言及していて、ちょうどリイシューされたばかりのシュガー・ベイブのアルバム『SONGS』をレンタル屋で借りたりしました。コンピ全体を通しても、とにかくなんかすごいなと思って。それまでコーネリアスとかジャミロクワイを聴いてた耳があったんで、これはなんか知らないけれども本当に素敵な音楽だなと。

橋本:70年代の音楽なんだけど、90年代の音楽と地続きで共鳴するものだということを直感的に感じとったんだろうね。

山本 そうですね。ソウル・ミュージックって言われても、自分がそれまでイメージしていたものとは違う、もっと心地よい感じがして。続いてその前にリリースされていた『Free Soul Impressions』と『Free Soul Visions』も買って、その4枚を繰り返し聴いていました。

橋本 その時点ではその4枚しか出てないもんね。それが高校1年生に届いたってことが本当に嬉しいな。そこから山本くんはいろんな音楽を好きになって、莫大な量の音楽を聴き込んできたと思うし、途中からは共に道のりを歩んだりして、最近はむしろ助けてもらったりすることの方が多くてという感じだから(笑)。ありがたいというか本当に感慨深いですね。

山本 で、CDのブックレットで橋本さんの名前を知って、そこから橋本徹という名前を意識し始めたのがスタートでしたね。やっぱり僕にとって1994年っていうのは本当に大きくて。初めて見る人が親じゃないですけど(笑)、自分の30年を振り返るとそこからずっと続いてるというか、未だにずっと自分の中にあるものだなっていうのは改めて感じています。

「SiFT」の雑誌内雑誌「Suburban Sprawl」と
タワーレコードのフリーマガジン「bounce」の自由でモダンな誌面作り

橋本 高校2年生の頃は音楽雑誌だと「SiFT」とか読んでたんでしょ? そこがまたその年代ならではだなっていう。1995年はフォーキーの年とか言ってたんだけど、ポール・ウェラーの『Wild Wood』が93年で、『Live Wood』が94年で、『Stanley Road』が95年かな。ちょうどUKのロックもブラー対オアシスなんて話題があったりで、ブリット・ポップなんて打ち出しが目に付いた時代だよね。

山本 そうですね。ブリット・ポップが盛り上がってて、その中でポール・ウェラーがグル(導師)みたいな感じでたびたび名前が出てきてましたね。そういうのが好きで「SiFT」を読んでいたら……。

橋本 そこにも橋本徹の名前が出てきたと(笑)。

山本 はい、橋本さんの特集ページがあって(笑)。プライマル・スクリームの『Give Out But Don't Give Up』にもはまって、そういう方面からルーツ・ミュージックにも興味を持つようになって、当時そのあたりが詳しく書かれていた雑誌「SiFT」をよく読んでいたんですけど、その中にあった橋本さんのコーナーにすごい影響を受けましたね。

橋本 そう、雑誌内雑誌みたいなのをやってほしいって、その後リットーミュージックの社長になる編集長から言われたんですよね。それで「Suburban Sprawl」っていう、「Suburbia Suite」にちょっと引っかけて何ページか毎月作って。ドナルド・フェイゲンの「Maxine」の歌詞に出てきた「Suburban Sprawl」っていう言葉を敢えて使って、ロックの雑誌でサバーバン・スプロールするっていうコンセプトで、自分なりに編集ページを95年から96年にかけてやってました。やはりドナルド・フェイゲンの曲名から名づけた「New Frontier」というコラムも毎回書いたり。山本くんがすごく反応してくれてた、フォーキーを土系と草系に分けてとかね。HMVで以前トークショウをやったときに、山本くんが「SiFT」のバック・ナンバーの「Suburban Sprawl」のコピーを全部持ってきてくれて、あれには感動したな。そのとき山本くんが「高校2年生だからまだ遊びに行けなかったけど、橋本さんがこの“リンダ・ルイス幻の名盤大試聴会”でかけていたのはどんな音楽なんだろうとか想像していました」みたいな話をしていて、そのピュアな山本少年を感じるエピソードが僕の中ですごく胸を打ちましたね。

山本 「SiFT」はとにかく一言一句、隅から隅まで読み込んでましたね。「Suburban Sprawl」の対談やコラム、その中にあるキーワードとか。「Free Soul Underground」の今月のトップテンなんかも載っていて。

橋本 僕は「Straight No Chaser」に載っていたチャートとか、大学生のときに全部チェックしていたから、「SiFT」でもそういうのがあるといいなと思ったんだよね。当時の大学生だった僕はロンドンのクラブの現場には行けなかったけど、そのチャートを見て、その音楽を聴くことで、こういうのが流れてるんだと思ってたからね。

山本 僕も「SiFT」でチャートを見て、橋本さんはフリー・ソウルの現場でこういうのをかけてるんだなって。当時はサブスクとかもないから、その曲目とアーティストやジャケットを見てイメージするしかなかったんですが。

橋本 そういう曲が後にコンピCDに入ってきたりするわけだよね。それと90年代半ばって、サンプリングやカヴァーを通してヒップホップとジャズやソウルやブラジル音楽とかの結びつきを示しやすかったから、そういう記事も結構作ってたよね。ちゃんとジャケットも掲載して新譜と旧譜の結びつきみたいなのを見せたりというのを意識してました。

山本 そうですね。だからヒップホップとかクラブ・ミュージックも新旧リンクするものがいろいろ掲載されていて面白かったです。あと僕は当時、ポール・ウェラーからつながって知ったマザー・アースが大好きで、リーダーだったマット・デイトンのソロ・アルバム『Villager』が取り上げられてて。

橋本 あのアルバムは僕も大好きで、ジャケットを大きく掲載した記憶があるよ。フォーキー草系ね(笑)。あの年でいちばんくらい聴いたアルバムだったからね。先ほどの話の続きだと、『Free Soul 90s』のコンピを作った年だったっていうのも大きかったかもね、95年は。あと、『Groovy Isleys』と『Mellow Isleys』というアイズレー・ブラザーズのコンピ2枚もそうだけど、現在進行形の音楽と、フリー・ソウルで光を当てた70年代の音楽との蜜月というか、結びつきみたいなものを、わかりやすく記事にしたりDJプレイで示したりすることに、僕は関心があった時代だったのかもしれないな。

山本 その頃はもうタワーレコードのフリーマガジン「bounce」には関わっていたんですか?

橋本 「bounce」はまだ取材を受けてた立場で、『Free Soul 90s』のときにすごくいい特集を作ってくれたんだよね。それがまさにそういうグッド・リサイクルをテーマにしたインタヴューとコラムで。その号ですごく印象的だったのはイジットのニコラ嬢とマット・デイトンの結婚式の写真が表紙で、ページをめくると『Free Soul 90s』の記事という。最高の一冊だよね。で、翌月も僕は寄稿したんだけど、ポール・ウェラーが表紙でフォーキーの特集。ほぼほぼ「SiFT」で僕がやってたこととシンクロしてて(笑)。で、モッズの特集もあったりね。

山本 モッズの特集といえば、当時シンコーミュージックからモッズのディスクガイドが出版されて、僕はそれをすごく読んでいたんですよ。で、その中で橋本さんが選盤されてて、ジョージー・フェイムの『Rhythm And Blues At The Flamingo』やスタイル・カウンシルの『Our Favourite Shop』と一緒に、デ・ラ・ソウルやビースティー・ボーイズを紹介していたんですよ。ディスクガイド自体は本当にモッズの定番中心に載っている中で、橋本さんの選盤がすごすぎたのを覚えていて。こういうのが本来の意味でモッズだよって、シャープに紹介されていて。

橋本 デ・ラ・ソウルの『3 Feet High And Rising』やビースティー・ボーイズの『Paul’s Boutique』とかね。あの本は確か「MODS’ BEAT」って言ったかな。大久達朗・監修で、それまでのモッズ本に比べると自由だったんですよ。それで、ステレオタイプなフーとか「さらば青春の光」だけじゃなくて、モッズ、つまりモダーンズの本来の精神っていうのはこういうものじゃないかみたいな選盤とコラムを期待してますって言われて。僕はそれを受けて、教科書通りに聴くだけじゃなくて、自分なりにモダンなこととかモダンな音楽に触れていくことが本当のモッズだよねという趣旨で書いて。山本くんがそこに反応してくれたのは、めちゃめちゃ嬉しいですね。

山本 僕はもうデ・ラ・ソウルもトライブ・コールド・クエストも知ってたんで、それを読んだときに橋本さんがこういう本でこういうのを紹介するんだっていうのが、若いながらにかっこいいと思ったのが印象的で。そういった誌面上の橋本さんの自由なセレクトだったり、愛情のこもった文章からも、CDの選曲と同じくらい影響を受けましたね。

橋本 そういうことをわかってもらえるかって本当に大きいんだよね。そんなのモッズじゃないって思う頭の固い保守的な人たちだっているわけでさ。だからそれはスタイル・カウンシル初期のポール・ウェラーから何を学ぶのか、どういうところをかっこいいと思うのかって話にも通じるよね。ファッション的に見ても、ヴェスパに乗って細身のスーツを作ってって方向だけが正解じゃなくて、綺麗な色のニットやステンカラーのコートを合わせたりとか、フレンチ・トラッドやフレンチ・アイヴィー、上品なフレンチ・カジュアル指向に行ってもいいわけで。僕にとってはそういうことがポール・ウェラーのかっこよさであり自分にとっての理想だったから、それに似た自由なことをやりたかったんだと思いますね。過去やシックスティーズを求めて疑似体験にいざなうのではなく、大胆な遊び心や反骨精神を大切にしたかったというか。

HMV渋谷に象徴されるフリー・ソウル/サバービアの隆盛と
ディスクガイドの功績によるCDショップの品揃え充実

山本 僕はフリー・ソウルのDJパーティーは未経験で、橋本さんがどういう人柄なのかはその頃は知らなかったんですけど、そういう媒体を通して、自分の中で、あ、橋本さんってこういう人なんだなって感じるようになって。橋本さんが紹介されている音楽を聴けば、自分の音楽ライフがどんどん充実していくなっていうのを、10代のうちに実感していたんだなって思います。

橋本 僕は音楽の連想ゲームをひたすらやっていたんだけど、それについてきてくれて、一緒にその好奇心を広げていけるようなリスナーだったんだと思うんだよね、若くして山本くんは。「Suburbia Suite」はどこから読んでいたの?

山本 1996年2月に出た「Suburbia Suite; Suburban Classics For Mid-90s Modern D.J.」からだから、高2くらいですね。渋谷のHMVに行くようになって、もちろんそこがメッカだっていうのはもう知っていて、店頭の入り口に「Suburbia Suite」が一面に並べてあって、その横にフリー・ソウルのコンピ・シリーズもドーンってあって。小沢健二の『LIFE』があって、その横に小坂忠の『ほうろう』があったりとか。その光景は未だに目に焼きついていますけど。

橋本 いい売り場だねぇ(笑)。ジャンルも新旧も関係なくて。その頃のHMV渋谷の1階のコーナーって、邦楽売り場なのに『Free Soul Parade』や『Free Soul Lights』が週間売り上げの1位を獲得していた時期ですね。

山本 フリー・ソウルのディスクガイド本が出ているっていうのは知ってはいたんですけど、当時はインターネットとかもなくて買う術がなくて。それをHMVの店頭で見て、あ、これだ! と思ってすぐに買って。それは本当によく読み込みましたね。それ以前の「Suburbia Suite」はやっぱり手に入らなくて。でも中古レコード屋に行くとレジの近くに置いてあるんですよ、過去のディスクガイドが。それで僕は読んでましたね。店内閲覧用のものを。

橋本 中古レコード屋もそれを読んで仕入れしてたからね。96年の初めだと完全に中古盤屋はフリー・ソウルとかサバービアってコーナーを作ってましたね。

ーーそして1996年の4月、山本さんは高校3年に、橋本さんはタワーレコードのフリーマガジン「bounce」の編集長になります。山本さんの90年代後半はどんな感じだったんでしょうか?

山本 大学に入ったら、バイト代でひたすらサバービアやフリー・ソウルで紹介されているレコードを買いまくるっていう。大学が神田にあったので、橋本さんの動向をチェックしながら、「Suburbia Suite」をいつもバッグに入れて、毎日のようにレコード屋に行っていましたね。それで2000年に出た、雑誌「relax」のサバービア特集でさらに熱が高まるという感じで。その後「ムジカ・ロコムンド」とか、他のディスクガイドも充実してきて。

橋本 1992年のサバービア以降って、ディスクガイドとか音楽書籍が出て、そこに紹介されてる音源がCDでリイシューされ、CDショップの品揃えが充実する、ということをどんどん繰り返していった感じがしますよね。2000年代前半まではそうだった気がする。それこそ最初はサントラとかソフト・ロックとかシンガー・ソングライターとかボッサとかだったのが、クラブ寄りのものも含めて、ブラジル音楽とかもそうだし、スピリチュアル・ジャズやヨーロピアン・ジャズ、ライブラリーなどもそうですが、みんなが比較的容易に手に入れられるようになったのがその時期だったのかなと思って。だから僕はそういう時期にbounceの編集長をやれたのはすごく大きくて、それまでは買えなかったようなものでもタワーレコードで手に入れてもらえるから、音楽シーンを本当に縦横無尽に、ジャンルや地域も、その新旧も含めて行き来できるみたいな、音楽の海が広大になっていって、それを誌面に展開できるようになった時代だったという印象があって。

山本 「bounce」のあとに橋本さんが編集した「relax」のサバービア特集のディスクガイドも、カルトーラで始まってファラオ・サンダースで終わるっていう。僕はあれを見たときに、広大な音楽の海を縦横無尽に行き来する、こういう自由なセンスってすごいなって感激して。こういう切り口で音楽紹介するのってとても素敵だなって思いましたね。

橋本 僕もそういうセンスに共感してくれる人が増えたらいいなっていう気持ちをかなり込めてやっていましたね。それは「MODS’ BEAT」でデ・ラ・ソウルやビースティー・ボーイズを選んだのと同じ発想なんだけど。

カフェ・アプレミディのコンピ・シリーズがもたらした高揚感と
音楽とライフスタイルの素敵な関係

山本 橋本さんがカフェ・アプレミディのコンピ・シリーズを始めたのが2000年ですよね。

橋本 そうですね。前年の11月に店がオープンして、春に「relax」の「Suburbia Suite 2000」特集が出て、その年の7月が最初のリリース。

山本 7月に『Cafe Apres-midi』の最初の4タイトルが出るっていう広告を「bounce」で初めて見たとき、僕にとっては最初に『Free Soul』のアートワークを見たときと同じぐらいの胸の高鳴りを感じました。

橋本 それはデザインを手がけたNANAの功績が本当に大きいね。フリー・ソウルのコンピレイションとカフェ・アプレミディのコンピレイションはジャケットが並ぶと本当に鮮やかで、店頭でも目を引いたからね。

山本 そのときは、橋本さんが何か新しいシリーズをスタートさせるんだってファンとして楽しみにしていて。「bounce」の広告に「お待たせしました!」って書いてあって、その惹句とジャケット写真の並びを見たときに、ウワッと来たんです。そこには収録曲リストも載っていて、もう「relax」の特集を読み込んでいたので、リストを見ながら、お、この曲が入るんだ、これはまだ単体CDでリリースされてないやつだっていうのを全部チェックして(笑)。そこから怒涛のように『Cafe Apres-midi』のコンピ・リリースが続きましたね。

橋本 2000年から2002年くらいまではすごかったですね。カフェ・アプレミディが社会現象のようになって。あの3年間を30年間に均してもらえたらよかったくらいで(笑)。店も行列ができて入れないし、レコード会社はほぼ全社からコンピCDのオファーが来ましたね。で、もうこれで全社終わったかな、と思ってたら最後にP-VINEからも来て、アナログ盤も出て。本当にすごく活気づいてたよね。山本くんがHMVに入社したのは何年?

山本 2001年です。

橋本 まさにカフェ・ブーム真っ只中だね。

山本 僕が入った年はレ・マスクやコルテックス、トリオ・カマラ、あとアグスティン・ペレイラ・ルセナやカンデイアスなどのリイシューが出まして、店頭で飛ぶように売れてっていうのを覚えてますね。

橋本 そういう話を聞くと、やっぱり山本くんはアプレミディ的なイメージを強く感じるな。

山本 『Cafe Apres-midi』シリーズでピエール・バルーのサラヴァ・レーベルの音源をコンパイルしたCDも、僕が入社した2001年にリリースされて。サラヴァってこんなにいい音源がたくさんあるんだと。

橋本 『Cafe Apres-midi』はオムニバスだけじゃなくて、クレプスキュールやサラヴァ、チェリー・レッド、エル、スカイ&グリフォンみたいにレーベル括りでコンパイルできたり、チェット・ベイカー、ブロッサム・ディアリー、ジョイス、エリス・レジーナ、マルコス・ヴァーリ、パウリーニョ・ダ・ヴィオラみたいにアーティストものをやれたのも楽しかったですね。

山本 今度は自分が売る立場になってはいたものの、やっぱり橋本さんのリスナーそしてファンとして、毎回コンピを楽しみにしていました。

橋本 よく覚えてることがあって、あるときHMV渋谷店の最上階のジャズ・フロアがアプレミディ・グラン・クリュみたいなインテリアになったんだよね。椅子やCDラックがウッディーになって、落ち着いたトーンで統一されて。上質というか、そういうのを気持ちよく感じる時代だったよね。

山本 2002年に出た「relax」のアプレミディ・グラン・クリュ特集も相当読み込みましたからね。選盤や世界観に関しては、クワイエット・コーナーもだいぶ影響を受けていると思います。

ーー山本さんが渋谷店勤務だったのは2001年から2008年まででしたよね。

山本 そうですね。まさにアプレミディのコンピCDがたくさん出ている時期で。

橋本 その頃すごく意識していたのは、インテリアとか料理とか雑貨とか、そういうカフェを通して興味が広がっていったようなこと、大きく言えばライフスタイルみたいなものと、自分の好きな音楽をどう結びつけていくかみたいなところだったから、HMVの変化はついにCDショップまでお洒落になってきた(笑)って嬉しかったの覚えてますね。オーディオや試聴機も業務用じゃなくてインテリアとして素晴らしいものが置かれてて、デザインのいい雑誌とかまで置いてありました。音楽を売るだけじゃなくて、音楽が流れる、音楽と出会う素敵な空間を作るところにまで、大手のCDショップが踏み込んだのはすごく象徴的だったし。それが最終的につながっていったのが、2009年後半から翌年HMV渋谷店が閉店するまで続いた「素晴らしきメランコリーの世界」コーナーですね。僕から名乗り出て、リラックスして試聴できるアームチェアを寄付させていただいて。

山本 はい、引き取りにうかがいました。ありがとうございます(笑)。


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