ベートーヴェン(1770-1827)

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CD 輸入盤

交響曲全集 ギーレン&南西ドイツ放送交響楽団(1997−2000)(5CD)

ベートーヴェン(1770-1827)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
93285
組み枚数
:
5
レーベル
:
:
Germany
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


ベートーヴェン:交響曲全集(5CD)
ミヒャエル・ギーレン&バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団


ギーレン・ファンにはおなじみの映像版ベートーヴェン全集から音声部分をとりだしたCD版ベートーヴェン全集の登場。リリースにあたってはヘンスラー社が、あらたにSWRメディアの許諾を得ており、放送局マスターから最新技術でCD用にマスタリングをおこなって音質向上を図っているということです。

【ギーレン2度目の全集】
ギーレンはかつてINTERCORDレーベルでベートーヴェンの交響曲全集を制作していますが、ホールの響きの問題や、当時のギーレンのテンポが総じて速めだったこともあってか、オケのサウンドも含めてかなりドライな印象の強いものとなっていました。
 しかしこの全集では、まずフライブルクのコンツェルトハウスの音が非常に豊かで優れているため、ライヴ録音であるにも関わらず、オーケストラの表現が細部まで艶やかに再現されている点が大きく異なっています。

【ギーレンの解釈】
基本的な傾向こそ以前と変わっていないものの、ここでは余裕のあるテンポを設定して細部まで丹念に描きこむことで音楽のスケール感もアップしており、表現の幅も拡大、また弦楽器の人数を多めにしたバランスにより、作品の軸となる部分の表現が強化されている点も効果的です。
 オーケストラの楽器配置が第2ヴァイオリン右側の両翼型であることも見逃せません。作品本来のパースペクティヴの中に、各素材が見通しよく適切に配されることによって生ずる響きや動きの妙味がとても面白く、見事に解析される重なり合う旋律や意外なバランス、素材間の緊張関係や対位法的な部分の説得力などへの聴き手の関心が自然に高められるのも嬉しいところです。(HMV)

【収録情報】
ベートーヴェン:交響曲全集
CD1 [69:37]
・交響曲第1番ハ長調 Op.21
・交響曲第3番変ホ長調 Op.55『英雄』

CD2 [72:27]
・交響曲第2番ニ長調 Op.36
・交響曲第7番イ長調 Op.92

CD3 [57:20]
・交響曲第4番変ロ長調 Op.60
・交響曲第8番ヘ長調 Op.93

CD4 [73:54]
・交響曲第5番ハ短調 Op.67
・交響曲第6番ヘ長調 Op.68『田園』

CD5 [64:35]
・交響曲第9番ニ短調 Op.125『合唱つき』

 レナーテ・べーレ(ソプラノ)
 イヴォンヌ・ナエフ(アルト)
 グレン・ウィンスレイド(テノール)
 ハンノ・ミュラー=ブラッハマン(バス)
 ベルリン放送合唱団
 バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団)
 ミヒャエル・ギーレン(指揮)

 録音時期:
 2000年2月16-18日(CD1)、1998年6月16,17日(CD2)
 2000年1月21,22日(CD3)、1997年11月29日,12月1日(CD4)、1999年7月15,16日(CD5)
 録音場所:フライブルク・コンツェルトハウス
 録音方式:デジタル(ライヴ)

【ミヒャエル・ギーレン】
近代・現代音楽ファンの絶大な支持を得る指揮者で作曲家、ミヒャエル・アンドレアス・ギーレンは、1927年7月20日、高名な演出家の父親と女優の母親というきわめて劇場的な環境のもと、ドレスデンで誕生。
 その後、父がベルリン国立歌劇場の指揮者クレメンス・クラウスに招かれたため、ベルリンへ移りますが、同地が反ユダヤ政策の本拠地であったこともあり、母がユダヤ人のギーレン家は、ウィーンへ移ることになります。
 しかし、1940年にはオーストリアはナチス・ドイツに併合されてしまったため、父がエーリッヒ・クライバーから招かれたこともあって、一家はアルゼンチンへと亡命。
 同地でギーレンは、作曲・ピアノ・理論・哲学を学び、テアトロ・コロンの練習指揮者をつとめます。
 その間、1949年には同テアトロ・コロンで作曲者の生誕75周年を祝い、シェーンベルクのピアノ作品全曲演奏会を開く一方、“弦楽四重奏のための変奏曲”を作曲するなど、若い頃から前衛的な作品への取り組みはきわめて積極的だった模様です。
 同時に歌劇場の練習指揮者として劇場人としての経験も積んでおり、1950年からウィーン国立歌劇場の練習指揮者も務め、1952年には指揮者として正式にデビューしていますが、プログラム前半はシェーンベルクのピアノ曲、後半は“兵士の物語”というなんとも斬新なものでした。
 また、この頃にはまだ若かったアルフレート・ブレンデルとシェーンベルクのピアノ協奏曲の世界初録音をおこなっています。
 そうした実績が買われてか、1960年から1965年にかけてはストックホルム王立歌劇場の首席指揮者として、また、1965年から1968年にはケルンのオペラでも活躍。
 この頃の前衛的活動としては、B.A.ツィンマーマンのオペラ“兵士たち”の初演(1966年)や“ある若き詩人のためのレクイエム”初演(1969年)という二大傑作への取り組みが有名です。特に前者は演奏不可能と言われていた作品だけに、ギーレンの果敢なアプローチが果たした役割は非常に大きなものと思われます
 その後、1969年からはアンドレ・クリュイタンスの後任としてベルギー国立管弦楽団の首席指揮者となり、1973年から1975年はオランダ歌劇場、1977年から1987年はフランクフルト歌劇場の芸術総監督、シュトゥットガルト放送交響楽団の指揮者としても活躍。
 同じ頃、1978年から1981年にはロンドンのBBC交響楽団の首席客演指揮者、1980年から1986年にはシンシナティ交響楽団の音楽監督も務め、1986年から現在までは南西ドイツ放送交響楽団の首席指揮者として世界的名声を獲得しているのは周知のとおり。
 日本には1975年と1972年にNHK交響楽団の招きで来演して以来しばらく音沙汰が無く、ようやく1992年に手兵の南西ドイツ放送響と来日して、そのときは一部で大いに話題になったものです。
 近年ではザルツブルク音楽祭の常連として一気に知名度を上げており、マニアや比較的若い層を中心に人気が出てきています
 レコーディングは1950年代後半からおこなっていますが、初期のレパートリーはバッハ・ギルドのためのカンタータ集、グルックのフルート協奏曲、ショパンのピアノ協奏曲&ラロのピアノ協奏曲(フルゴーニ)、リストのピアノ協奏曲集(ブレンデル)、バルトークのピアノ協奏曲集(シャーンドル)、フランクの交響曲ニ短調&交響的変奏曲、プロコフィエフのピアノ協奏曲集(フルゴーニ)、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番&チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(ブルメンタール)、シェーンベルク:協奏曲集(マルシュナー、ブレンデル)等々、実に多彩。
 その後、1970年代には名高い“モーゼとアロン”をレコーディングして話題になり、以後、複数のレコード会社にさまざまなレパートリーを録音しましたが、近年はドイツのヘンスラーからのリリースが多くなっています。(HMV)

収録曲   

ディスク   1

  • 01. Adagio Molto - Allegro Con Brio
  • 02. Andante Cantabile Con Moto
  • 03. Menuetto. Allegro Molto E Vivace
  • 04. Finale. Adagio - Allegro Molto
  • 05. Allegro Con Brio
  • 06. Marcia Funebre. Adagio Assai
  • 07. Scherzo. Allegro Vivace
  • 08. Finale. Allegro Molto

ディスク   2

  • 01. Adagio Molto - Allegro Con Brio
  • 02. Larghetto
  • 03. Scherzo. Allegro
  • 04. Allegro Molto
  • 05. Adagio Molto - Allegro Con Brio
  • 06. Allegretto
  • 07. Presto
  • 08. Allegro Con Brio

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ユーザーレビュー

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箱物廉価にはすぐ即反応,届いて一番に聴く...

投稿日:2017/12/12 (火)

箱物廉価にはすぐ即反応,届いて一番に聴く。季節柄第9→1の順に一気。 何と速い第9。まさにトスカニーニのごとし。65分以下の第は9あまりない。ノーリントン位しか記憶にない。ともあれメリハリがあり、録音もきわめて良好。1番までアッという間。ドイツの放送オケもどれも水準以上だが、このオケも遜色なし。全曲コレクター必買の箱物。

Ulaanbaatar さん | 宮城県 | 不明

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ベートーヴェン(1770-1827)

1770年12月17日(16日?):父ヨハン、母マリアの次男としてドイツのボンに誕生。 1778年:7歳でケルンでの演奏会に出演。 1781(1782?)年:クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事。 1800年:交響曲第1番を宮廷劇場で指揮。 1804年:交響曲第3番『英雄』を発表。 1805年:交響曲第5番『運命』、交響曲

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