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スーパー・アマチュアの時代 許光俊の言いたい放題へ戻る

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2017年4月11日 (火)

連載 許光俊の言いたい放題 第252回


 もう桜も散る頃合いになってしまったが、年始のことから書こう。
 今年、最初に私が出掛けたコンサートは、坂入健司郎指揮東京ユヴェントゥス・フィルのマーラー交響曲第3番だった。アマチュアの指揮者、団体である。
 すばらしいコンサートだった。なんの留保もなく音楽に没頭できた。気が付くと、私はごく当たり前に音楽といっしょに呼吸し、その美を楽しんでいた。まったく稀なことである。
 私は、これまで日本のプロオーケストラに対しては厳しいことを書いてきた。ひとことで言って、偽物くさいとしか思えないからである。偽物なら偽物で、驚くほどすごい偽物であれ。それなら、文句など言わない(ま、偽物だとは言いますけどね)。
 もしかしたら・・・。
 昨年からなんとなく思っていたのだが、スーパー・アマチュアの時代が到来したのではないか。大きなオーケストラが存在しつづけるのはたいへんなことだ。ベルリン・フィルですら、集客に余念がない。コンセルトヘボウ管は、誰もが認める世界一流のオーケストラだけれど、彼らの年間スケジュールを見ると、暗い気持ちになる。大げさでなく、世界中に出稼ぎに行かねばいけないのだ。そんな時代に、純度の高い音楽をできるのは、むしろアマチュアなのではないか。ある程度腕がある人たちが、準備や練習を重ねて作り上げる音楽のほうがよいということも十分あり得るのではないか。
 そもそもプロ、アマの違いとは何か。音大を卒業すればプロというわけではない。ピアニストや指揮者を自称することは誰でもできるけれど、仕事がないなら、プロとは呼び難い。むろん、プロになれば、日々さまざまな経験が蓄積される。それはアマの比ではない。が、疲弊し、摩耗し、やる気を失うことだってあり得る。やりたいこととできることの違いに悩みも起きる。
 だから、どちらがいい悪いの問題ではないのだが、結果的に、私はいくつかのアマチュア、つまり演奏で生計を立てているわけではない人たちの演奏を聴いて、彼らの音楽が実に初々しく、また自分の音楽を突き詰めていることに打たれた。こういうのもありなのではないか。
 小説家にしたところで、同人誌に書いたものが、たまたま人の目に触れて文芸誌に転載され、それが賞をもらえば、プロということになる。プロとアマの差など気にすることもないのではないか。そんなことを、私はここのところ考えたのである。

 坂入とユヴェントゥスの演奏がよかったのは、一生懸命やっているから感動的だ、そんな(よくある)アマチュアらしさゆえにではない。
 まったく驚いたことに、その演奏には偽物くささがなかったのだ。私が日本のプロオケを聴くと、ここが違う、あそこが違う、全然なってないじゃん、もう帰りたくなった・・・そんなふうにいら立つポイントがたくさんあるが、そんな問題にまったく煩わされずに聴けたのだ。本当にごく当たり前に音楽に耳を傾け、味わうことができたのだ。私はそのことに、演奏の途中で気づいて、信じがたい気持ちになった。なるほど小さなミスはある。しかし、流れ、抑揚、強弱などなど、大きなところをはずさないのだ。特にフィナーレは、信じられないほど美しく、深みがあった。繰り返すが、呆然とするほど美しく、感動的だったのだ。
 もちろん技量も重要とはいえ、志があればここまでのことができる。プロもアマも関係なく、誰でも、理想の音楽を夢見ることができる。あとはそれをどう現実にするかだ。
 それは、私にとってはあまりにもシンプルで原始的な発見であり、それゆえ大きなショックだった。やれベルリン・フィルだのドレスデン・シュターツカペレだのパリ管だの、さんざんうまいオーケストラを聴く生活の中で、私はあまりにも大事なことに気づかないでいた。あるいは、忘れていた。音楽贅沢三昧の馬鹿になっていた。
 可能性は、遠い手の届かないところにあるのではない。本当は、目の前、すぐそばにあったのだ。
 坂入とユヴェントゥスの演奏には、早くもアルトゥスが目を付け、ブルックナーの交響曲第5番などがCD化されている。マーラーもそのうち発表されてのだろう。だが、何しろいい意味で発展途上にある人たちだ。マーラーをも上回る演奏が実現されてしまうのではないか。そう想像すると、楽しみなような、怖いような。興味がある人は、録音を、そしてナマを聴いてほしい。
 もし、キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルと、坂入指揮ユヴェントゥスのコンサートが同じ日にあったら? 私は後者を選ぶに違いない。嘘だろう、大げさだろうと受け取られるだろうが、つい先月、前者のコンサートを本拠地で聴いたばかりの私にとって、迷うことはない。前者は、うまい連中がバリバリ弾きまくるのを楽しむ猛獣ショー。後者こそが本当に音楽がわかる人が行くべき貴重な催し。猛獣ショーは、それはそれで楽しいかもしれないが、私が行くべきは後者だ。

 思い起こせば、このような、既成の枠に縛られない演奏のあり方は、前にも取り上げたことがある。西脇義訓指揮デア・リング東京オーケストラだ。そのときは、ブルックナーの交響曲のCDについて書いたが、そのあとで発売されたチャイコフスキーの第5番はもっと練られた、もっと確信に満ちた演奏だった。そして、最新盤のモーツァルトはさらにすばらしい。
 西脇は長い間レコード業界で生きてきた人である。その点ではプロである。だが、長い間演奏にも情熱を持っていたとはいえ、演奏のプロとは呼べまい。その彼が、バイロイト祝祭劇場に触発され、理想の響きを求めて独自に編み出したのがこのオーケストラ独自の配置。
 モーツァルトの交響曲第29番を聴いて、驚いた。まるでベーム指揮ウィーン・フィルをムジークフェラインザールで聴いているような、黄金の響きがするではないか。
 まずテンポが実にいい。この作品は、モーツァルトが書いた音楽の中でも、簡潔でいながらなんとも言えない微妙な美しさを持つ名作だが、テンポとフレージングが適切でないと、たちまち魅力を失う。その点、西脇はまったく正しい。ベームよりは若干速いが、決して速すぎず、じっくりしているのに、停滞感がない。ちなみに、この曲の第1楽章はアレグロ・モデラート。
 第2楽章はさらにすばらしい。桃源郷の美しさ、夢のような美しさだ。西脇の音楽には、実に上品は艶っぽさがある。淡々としているようで味がある。単調ではなくて、ところどころのハーモニーの生かし方が効いている。この曲は決して複雑でも何でもないが、それだけに、指揮者が全体を把握していることがよくわかる。これに比べると、いや、比べなくとも、世評高いケルテスなどはいかにも粗い。
 この演奏には惚れました。第29番は好きでいろいろな演奏を聴いてきたが、目下、ベームとウィーン・フィル、西脇とリング・オケが私にとっての2トップである。

 さらにもうひとつ。
 昨年末に聴いたCDの中で、思いがけず心動かされたのは田辺秀樹が弾いている「ウィーン、わが夢の町」というアルバム。
 実は、田辺は本職のピアニストではなく、ドイツ文学者である。幼時よりピアノが大好きだった彼は、しばらく前から首席ならぬ酒席ピアニストと称し、特に飲食の場でピアノを弾くことを楽しんでいるという。
 というと、まさにアマのお遊びのようだが、違うのだ。
 まだ若く貧しい学生だったころ、氏は、オペレッタでも有名なオーストリアの温泉保養地、バート・イシュルに出掛けたという。そのホテルのラウンジで、すばらしいピアニストが弾いていたのだ。彼の演奏に夢中になった田辺氏は、日参し、コーヒー一杯で聴き続けた。ピアニストとも話してみた。じぶんはたいしたことないよと謙遜する彼は、ナチのドイツを生き抜いた、波乱の人生を歩んできた人物だった。
 それ以来、このサロン・ピアニストのような演奏ができるようになることが田辺氏の目標になったという。
 もう昔のことだが、田辺氏とは何度か飲んだことがある。一度は、東京でのグルダのコンサートのあとだったのではないか。
 そのときのできことが、ひとつ、鮮明に記憶に残っている。何かの拍子に私が「グルダは芸人だな」みたいなことを言ったのである。すると、普段はきわめておだやかな田辺氏が、きっとなったのである。「芸人? 芸人でいいじゃないですか」と妙に強い口調で言われて、私は黙った。それだけの迫力があったのだ。田辺氏もそれ以上は何も言わなかった。
 私は、このCDの解説を読んで、なぜ氏が「芸人」という言葉にあれほど反応したのかを知った。田舎のホテルで人知れず弾いている名ピアニスト。その姿が彼の頭の中にはあったのだ。
 このアルバムに収録されているのは、いい意味でセンチメンタルな小曲ばかり。いかにもウィーン的で、情緒的な旋律。じんわり、しんみりと伝わってくる何かがある。ピアノが、それに寄り添って呼吸する。わざとらしくない。演出臭さがない。
 田辺氏のピアノには味がある、一朝一夕にはできない時間の堆積がある。そう感じるのは、私だけではないらしい。氏が、あるとき外国のホテルで、置いてあるピアノを弾いていると、支配人が出てきて、ただで泊まっていいから、毎日弾いてくれと言われたという(もし私が支配人だったら、食事とワインも無料で付けるところだが・・・)。

 ここに挙げた人たちは、みな、違った条件で、自分の理想の音楽を求めている。そういう人たちの音楽を聴いて、私は改めて音楽というもののすごさやありがたみに感じ入ったのである。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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