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ドイツ・グラモフォン クラシック・カレンダー2017

2016年12月2日 (金)

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ドイツ・グラモフォン クラシック・カレンダー2017
クラシック・カレンダーの決定版


◆1898年の創立から現在までクラシック音楽界を代表する超一流のアーティストと共に歩み、彼らの素晴らしい演奏をディスクとしてお届けしてきた名門レーベル、ドイツ・グラモフォン。
◆その代表的なアーティストの貴重なポートレートを使用したカレンダーが登場。質感にこだわったシンプルかつ重厚感あふれる装丁!お部屋を荘厳に彩ります。
◆ベーム、ヨッフム、ブーレーズをはじめ、ドイツ・グラモフォン栄光の時代を築いた巨匠指揮者たちの輝かしいオーラ、そしてポリーニ、リヒテル、ヴァルヒャらソリストたちの気品あふれる穏やかな表情はクラシック・カレンダーに相応しい納得の出来栄えです。
◆ご自宅用はもちろん、ご贈答用ギフトにも最適。
◆2017年にアニヴァーサリーを迎えるアーティストを中心にピックアップされています。(ユニバーサル・ミュージック)

【掲載アーティスト】
表紙  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1月:ピエール・ブーレーズ(指揮・作曲、没後1年)
2月:マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ、生誕75年)
3月:オイゲン・ヨッフム(指揮、生誕115年、没後30年)
4月:アンドレ・プレヴィン(指揮・作曲、米寿)
5月:ナルシソ・イエペス(ギター、生誕90年、没後20年)
6月:ネーメ・ヤルヴィ(指揮、生誕80年)
7月:イーゴリ・マルケヴィッチ(指揮、生誕105年)
8月:カール・ベーム(指揮、生誕123年)
9月:スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ、没後20年)
10月:ヘルムート・ヴァルヒャ(オルガン、生誕110年)
11月:ダニエル・バレンボイム(指揮・ピアノ、生誕75年)
12月:アマデウス弦楽四重奏団(活動停止30年)

【仕様】
A2縦13枚綴り(表紙+12ヵ月:写真13点)、「ハイブリッドUV印刷」3色刷(モノクロ)、ニューエイジ紙



世界最大のクラシック・レーベルであるドイツ・グラモフォンの歴史は、1898年にまでさかのぼることができます。この年、イギリスのグラモフォン・カンパニー(HMV)はドイツのハノーファーに工場をつくり、同地を拠点として事業を本格化するのですが、その英グラモフォンが設立されたのは前年の1897年のことでした。 英グラモフォンは、ハノーファー出身で円盤型蓄音機の発明者であるエミール・ベルリナー[1851-1929 独→米]がアメリカで興した円盤型蓄音機の製造・販売会社「ベルリナー・グラモフォン」の欧州進出のために、イギリスのウィリアム・バリー・オーウェンとトレヴァー・ウィリアムスがベルリナーから特許を取得し、1897年に設立した会社です。 つまり流れとしては、ベルリナー・グラモフォン → 英グラモフォン → ドイツ・グラモフォン ということになります。
 有限会社「ドイツ・グラモフォン」としてスタートしたこの工場は、アメリカから運搬された14台のプレス機によって操業を開始、当初はイギリスからの音源のプレスが主な業務でしたが、1902年になるとスレザークやカストラートのモレスキなどの録音をおこなうようになります。翌1903年には同じドイツのゾノフォンを合併して規模を拡大し、1907年には指揮者でもあるブルーノ・ザイドラー=ヴィンクラーがエンジニアとして入社し、さまざまな工夫を凝らして録音技術の向上に成功し、本格的なオーケストラ録音に乗り出します。
 1913年には有名な二キシュの『運命』を録音し、話題を呼びますが、翌年には第一次世界大戦が開戦、英国資本だったドイツ・グラモフォンは、1918年には敵国資産として没収され、ライプツィヒのポリフォン・ヴェルケの傘下となり、国内向けは「ドイツ・グラモフォン」のまま、海外へは「ポリドール」の名を使うようになります。このころの録音では、1915年に始まったシュルスヌスのものや、1917年のリヒャルト・シュトラウス自身による『町人貴族』などが重要です。
 第一次世界大戦がドイツの敗戦で終わるとドイツ・グラモフォンは活動を再開しますが、HMV音源の使用が禁止されていたことが、結果として自社録音の活性化につながり、1920年にはケンプとの録音を開始、その後、プフィッツナー、ブレッヒ、アーベントロート、ワルター、クレンペラーなどもレコーディングをおこなうようになり、同社は業績を回復させることに成功します。
 1925年には電気録音も始まり、翌年にはフルトヴェングラーが、翌々年にはエーリヒ・クライバーも同社と契約、また、クリスマス・アルバムがミリオン・セラーを記録するなどして1929年には年間売上枚数が1,000万枚を超えるという、5年で5倍の成長を遂げる躍進ぶりでした。
 しかし、この年の10月、ニューヨークの証券取引所で株価が大暴落して引き起こされた大恐慌は、敗戦の補償で疲弊していたドイツ経済にも大きな打撃を与え、加えて1928年に設立されたウルトラフォンが1932年にテレフンケンに発展、翌年発足したナチ政権の支援を受け国策レーベルになると、ドイツ・グラモフォンの業績は下降線をたどるようになり、1936年には年間売上枚数が140万枚と、7年間で7分の1に売上枚数が減少しています。
 1938年、若きカラヤンとの一連の録音を開始しますが、その後も第二次世界大戦中ということで業績は低迷。1941年には英グラモフォンの資本をシーメンス(ジーメンス)が取得してドイツ資本の企業になります。やがてハノーファーの工場が空襲で被害を受け、ベルリンの本社とスタジオが爆撃で焼失するという惨事に見舞われます。
 戦後は1946年8月に連合国の許可が下り、さっそく戦火を免れたスタッフとプレス機によって業務を再開、テープ録音を開始し、古楽専門のアルヒーフ・プロダクションをたちあげ、細々と活動を続ける中で次第に業況を上向かせてゆきます。
 創立50年を迎えた1948年にはフリッチャイと契約し、1949年には、ドイツ国内で使用していた犬のマーク(ニッパー)の商標権を英グラモフォンに返還し、新たに23本のチューリップを配したイエロー・レーベルのデザインを採用。現在のイメージとほぼ同じになります。
 1951年にはLPレコードの生産が開始され、1956年には同社のステレオ録音第1号としてアルヒーフでのヴァルヒャのバッハが選ばれます。ドイツ・グラモフォンとしてのステレオ録音第1号は、当時の看板指揮者フリッチャイによる1957年の『フィデリオ』序曲でした。
 1959年になると当時すでに大スターだったカラヤンとの契約に成功、以後、膨大なレコーディングを行い、大きなセールスを記録、同時にベームやクーベリック、フリッチャイの録音もおこない規模を次第に拡大してゆきます。
 1962年、フィリップスの音楽部門と提携、1970年にはアメリカ・ポリドールを設立、1972年になると、シーメンスとフィリップスの合弁でつくられたポリグラム(ポリドール+フォノグラムからの造語)の傘下に組み込まれます。
 こうした経営戦略の国際化を受けてレコーディング・アーティストも多彩で華やかになり、1970年代は、バーンスタインやクライバー、小澤征爾、ミケランジェリ、ポリーニ、アルゲリッチなど、スター路線が明確になりました。
 さらに1980年代になると録音方式がデジタルに切り替えられ、いっそう国際化の進んだアーティストたちによってドイツ・グラモフォンの黄金時代が築きあげられます。
 しかし、1989年にカラヤンが、1990年にバーンスタインが亡くなると、大きな二つの軸を失ったことにより、大スター中心路線から、若手も視野に入れた柔軟な路線へと方針を転換することとなります。
 この路線は現在に至るまで継続されており、さまざまな国籍、さまざまなキャリアのアーティストたちを起用し、よく考えられたレパートリーで丁寧にソフトを制作するという方針が固められ、好調なリリースが続いています。
※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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