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2013年11月22日 (金)

連載 許光俊の言いたい放題 第226回

「スヴェトラーノフと広上淳一」

 おそろしく長期間続いている本コラムだが、一番多く取り上げた演奏家のひとりはスヴェトラーノフかもしれない。ことに近年のライヴが、うるさくて野蛮という彼のイメージを覆す、巨大かつしみじみ系なのは繰り返し述べている通りである。
 その彼の「惑星」はすでにスタジオ録音が存在したが、私にとってはだいぶ物足りなかった。野蛮でもいい、ノロノロでもいい、明確な特徴や表現意欲に欠けていたのが物足りなかった。今回発売されたライヴは、その不満を吹き飛ばす充実した内容を持っている。
 「火星」はゆっくり目のテンポできわめてスケール感豊かだ。腰が据わっているとはこのこと。カラヤン指揮ウィーン・フィルの録音のように速めに煽るやり方もそれはそれで緊迫感があっていいが、スヴェトラーノフはそれとは大違いの、ショスタコーヴィチにも通じる、まさしく避けようがないという感じの深刻さだ。ことに最後のいくばくかの時間は戦慄的である。そして、例のごとく元が放送録音としては音質が実に好ましい。
 一転して「金星」は甘い。まるで「ドン・ファン」の愛の場面だ。この楽章をこんなにたっぷり歌って丁寧にやった例も珍しいのでは。これくらいゆったりしたテンポだと、いつ醒めるかわからないような夢のような雰囲気が強く出てくる。「牧神の午後」みたい。新鮮である。
 「水星」はもう少し軽妙さがあるとよいが、例の「木星」中間部は期待通りである。それよりそのあとがいい。音楽が異様に大きい。ことに楽章の終わりが近づくと途方もないことになる。
 「土星」ではいきなりコントラバスの存在感が異様だ。ここを台詞を喋らせるみたいに弾かせるなんて。そのあともいろいろな楽器が登場するがこれまたいちいちが非常に雄弁。この楽章もまた終わりの部分の余韻が深い。
 もっと練り上げてほしいところがなくはないが、あらゆる「惑星」録音の中でもっともユニークなもののひとつだということは疑えない。もちろんファンにとっては、晩年のスヴェトラーノフならではの、スケール極大なのに細部に味がある独自の境地をたっぷり楽しむことができる。

 ところで、私はこれまで日本のオーケストラに対して非常に厳しい意見を表明してきた。一般的には辛辣すぎるように感じられるかもしれないが、特に厳しくしているわけでも何でもなく当然のことを言っているだけで、同様のことはアメリカの楽団に対しても言っている。この意見を変える必要性はいまだまったく感じない。
 だが、それだけに広上淳一が指揮した京都市交響楽団の「ばらの騎士」組曲には心底びっくりしてしまったのである。これこそが音楽というものである。こういうものを日本のオーケストラもやらなければ、できなければいけないのである。
 おそらく、少なからぬ人がこれを聴くと、「N響より下手」「ずれている」と言いたがるのではないだろうか。が、音楽の本質とはそういう表面的な整いとは違う次元の話である。
 私はこの演奏を聴くと、どきどきする。音楽が生きているからだ。人間的だからだ。単にお行儀がよいきれいごとではなくて、切実な何かを言っているからだ。
 まずこの演奏からはやわらかな官能美が感じられる。動物的な体温やしなやかさや、杓子定規ではない脈動が感じられる。弦楽器がエロティックに絡みあい重なりあって法悦に至る。単に音が大きくなったり強くなるのではなく、内的な高揚感がある。スポーツ的でない、精神性がある。音が小さいだけでない静謐がある。はちきれんばかりの豊かさが哀切につながる、「ばらの騎士」ならではの矛盾的でユニークな魅力がちゃんと出ている。特に、微妙に音楽を伸び縮みさえながら示される、限りなくやさしい表情には心打たれた。それはもう聖母の祈りにも近い。
 録音でもその雰囲気は感じられるけれど、ことに17分を過ぎたあたりからは、ちょっと信じがたい領域に入る。このとき指揮者の頭の中では、たぶん空前絶後のスケールを持った、まさに宇宙を呑み込むような壮大な「ばらの騎士」が鳴っていたのではないか。時間を解脱したニルヴァーナの至福に到達していたのではないか。この作品が好きでさまざまな名指揮者で聴いてきた私にとっても衝撃的な解釈であり演奏だ。
 ともかく、これほどまでに私を驚かせたCDは近年稀である。広上と京響はここまですごい音楽ができるのか? これはぜひ1度、古都まで確かめに行かねばなるまい。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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