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2013年3月18日 (月)
連載 許光俊の言いたい放題 第218回「サヴァールは偉大なり!」
今年もいよいよ花粉最悪期となった。このコラムを始めていったいもう何年か、毎年この時期には「花粉」という言葉を出している気がする。あいかわらず「花粉症の人はこうするとよい」的な情報や記事をよく見かけるが、もはや空しい。昨年出版された片山杜秀氏の『未完のファシズム』『国の死に方』(新潮社)あたりでは、日本人の工夫好きが強調されていたが、工夫につぐ工夫で乗り切ろうという発想では歯が立たないのが花粉である。原因となる木をばっさばっさと切るしか根本的な改善はあり得まい。これだけ多くの人が苦しんでいるのに基本的にはいまだ各自の工夫任せとは、まったくもってやりきれない話である。
この花粉症が最盛期を迎える時期、ピリスとハイティンクとロンドン交響楽団のコンサートを聴きにサントリーホールに出かけた。ピリスもハイティンクも花粉症には見えなかったので、ほっとした。音楽家が花粉症を患っているとしたら、あまりにも気の毒である。
今年の2,3月はサロネンやミンコフスキなど来日公演で見るべきものがいくつもあったことは以前記した。そのため、私としても珍しく首都圏のホール各所に足を運んだ。その結果、あまり知りたくない事実を確信することになってしまった。その事実とは、東京の大ホールとしては、サントリーホールの一部の席以外クラシックを聴くことができる場所はないということ。これ以外のホールはすべて音響的に決定的な間違いを犯しているということ。どう駄目かはあまりにも長くなるし、ホール関係者が読めば(もし理解できればだが)愕然とするほかないので、ここでは記さない。が、本当にそれだけ決定的な話なのだ。
正直言って、私の感じ方が厳しすぎるのかとも思った。が、直後に香港に行き、そちらのホールを2箇所訪れて、やはりそうであるかと確認したのである。香港で聴くミンコフスキは、東京の比ではなく美しかった。東京のミンコフスキは白黒写真に過ぎず、香港はカラーだった。日本以上に高温多湿な土地柄にもかかわらず、ヨーロッパで聴くのと同様の印象を受けた。東京でミンコフスキを聴いて感激した人にこんなことを言うのは残酷で気が引けるが、あれはミンコフスキではない、そう断じるしかない。同行した知人も、あまりの違いに愕然としていた。
一見響きがよさそうに感じられても、それが音楽の本質を伝えるものでは必ずしもないこと。一見音がよくなさそうに思えるホールのほうが音楽の本質を伝えることもあるということ。あまりにも冷厳な事実であるが、今後、これをよく理解したうえで東京のホールが建築なり改修されることを私としては切に願う。なぜ海外の演奏家は、ことのほかサントリーホールの音響を褒めるのか。これは偶然でも何でもなく、当前のことなのだ。ウィーンのムジークフェラインザールが音楽家から絶賛されるのも。どうして、ベルリン・フィルはいくらでもぶあつい音を出せるのに和声的感覚が鈍感なのか(そもそもこのことがあまり言われないことが私には腑に落ちないが)。この件については、後日どこかで詳細に書きたい。
さて、私が香港で聴いたのはミンコフスキとサヴァールであった。ラモーやグルックを指揮したミンコフスキも本領発揮で実によかったが、今回は話をサヴァールに絞ろう。もう70歳を過ぎたサヴァールをなぜか私はそれまで一度も聴く機会が持てていなかった。彼の長いキャリアを考えれば不思議なことだが。
いやはや、今頃こんなことを言うのも自分の不勉強を明らかにするようなもので恥ずかしいが、サヴァールは別格的にすばらしい音楽家である。何しろ、そのたたずまいからして、これぞ名人という独特かつ強烈なオーラを発散している。ヴィオールを調整している姿が、すでに異様に美しいのだ。楽器を抱えている姿がこれほどまでに一幅の絵としてきれいな人は初めて見たかもしれない。たとえば、現在の活躍中のヴァイオリニスト中、たたずまいのすばらしさでこの人に匹敵する人は誰もいないだろう。そして、小さな音で行われる調律がまた言葉を失うほど美しい。信じられないほど美しい。いつだったか、アルゲリッチがドレミファ・・・と試し弾きするのを聴いて悶絶したことがあったが、それ以来の経験だ。
むろん音楽自体が比較を絶して美しい。彼がその日、満員の客の前で弾いたのはすべてヴィオールの独奏曲だった。70歳を過ぎて音楽からも姿からもいまだ色香を放つが、その色香は決して生々しくなく、上品に枯れている。ボルドーでもブルゴーニュでもよいが、ヨーロッパの極上のワインを数十年寝かせたかのような繊細複雑かつ官能的な味わいだ。ひそやかにして艶、しかも非常に個性的であり、安易に常識や音楽理論で片付けられない部分がある。
そして弦楽器とはこする楽器であるということをこれほどまでに思い知らされたことはなかった。こするという動作から生まれる恐るべきエロティシズム。サヴァールはまさしく楽器を愛撫するようにして多彩きわまりない音色を出すのだ。それは私には幸福な情交のようにすら思えた。
恐るべし香港市民。どこでどうやって知ったのかわからないが、会場は満員だった。あの喧噪の町で、ヴィオール1本による、本来決して大衆受けするようなものでない渋い音楽会なのに。
そのコンサート以来、ちょうど発売された「ロ短調ミサ」、それに「エラスムス 痴愚神礼讃」を聴いて楽しんでいる。どちらも異常に立派な本仕立てで、CDがおまけとも見えてしまうセットである。柔らかな「ロ短調ミサ」もよいが、やはり彼の本領は「エラスムス」で聴けるようなソロにあるだろう。いずれにしても、もっとあれこれ聴いて研究しなければ。
と同時に、サヴァールの美を存分に楽しむには、相当オーディオをがんばらなくてはいけないのではないかとも思った。あのあまりにも細やかかつ多彩な音色の移りゆきはちょっとやそっとでは再現できないのではないか。これはたぶんナマで彼のヴィオールを聴いた人全員が全員考えることに違いない。
いずれにせよ、こうは言える。今まで私は、オーディオ製品を選ぶときには記憶に残っているチェリビダッケやヴァントを基準にしてきた。今後、サヴァールがそれに加わった。サヴァールの演奏が正しく再生できる装置が音楽的に正しい装置。私はそれを信じて疑わない。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
評論家エッセイ情報
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