「チョコより甘いチャイ5に狂喜乱舞」
2013年2月18日 (月)
連載 許光俊の言いたい放題 第217回「チョコより甘いチャイ5に狂喜乱舞」
チャイコフスキーの交響曲第5番を知らないクラシック・ファンはいないかもしれない。だが、この曲で本当の名演奏に遭遇するのは宝くじを当てるより難しい。さんざんコンサートに通った私ですら、チェリビダッケの別格的な大演奏と、デュトワとフランス国立管による軽やかで美しい演奏の2つしか記憶にない。
たとえば今シーズン、超有名オーケストラと人気指揮者によるこの曲の演奏を2度海外で聴いた。ひとつはあまりにも俗悪な解釈がわずらわしく、もうひとつはプロがこんな演奏を人前でしていいのかと疑われるほどに弾けていない低次元な演奏だった。名前を出すと立腹する人が続出しそうなので、この場では控えておくが、虚名に惑わされてはならない。いくら有名曲、有名演奏家であろうと、よほどの解釈、きちんとした準備がなかれば、悲惨な結果しか出ない。
ところが、思いがけない掘り出しものだってなくはないのだ。シノポリ指揮のサンタ・チェチーリア管によるライヴ盤である。実は数ヶ月前に初めて聴いたときからここで紹介したくてたまらなかったのだが、なかなかタイミングが見つからなかったのである。正真正銘あまりにも独特ゆえ、受け入れられない人も少なくないかもしれないが、疑いなくこの曲のもっとも強烈な演奏のひとつである。
ひとことで言えば、蜂蜜の中で溺死するような、信じられないほど甘美な演奏だ。チャイコフスキーをここまで甘くやってしまったのは、曲を問わずあまり例がないだろう。しかも、これは「くるみわり人形」「眠りの森の美女」ではない。もともとやりすぎの傾向があるシノポリだが、まさか甘さの点でもやりすぎ路線を突っ走るとは。演奏時間は約48分、通常よりやや遅めのテンポでドルチェ、ドルチェ、ドルチェ、甘さの美学を徹底しているのである。「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲が好きな人にはたぶん一生の友となるだろう。
第1楽章では弦楽器のとろりとしたハーモニー感やルバートが実に魅力的だ。この演奏全体を通じて、テンポの変化は多く、また大きい。それゆえ時に合奏が乱れるが、少なくとも曲想と合っているのでわざとらしくない。また、レガートがむやみと効いている。同じレガートでもカラヤンとは違ってベルカント・オペラのアリアを聴いているかのような自然な抑揚があるのがいい。特に第2主題の濃密な弾き方はもうこれでなくては物足りなくなるほどだ。チャイコフスキーは安っぽいと言う人は、中途半端を突き抜けたこれを聴けば認識を改めるかもしれない。
第2楽章はさらに好調だ。頭からしてすばらしく影が濃い。苦みと甘みをたっぷり含んだ贅沢なチョコレートの味わいなのだ。むろん、ホルンのソロはこれ以上は無理というほどロマンティック。それ以後も、青少年には勧めたくなくなるほどの陶酔美が展開される。まるで昔のイタリア映画のようなリッチな感覚に酔わされる。それも恋に命をかける大恋愛映画だ。人目を避けて愛に溺れるロミオとジュリエット、あるいはトリスタンとイゾルデみたいな雰囲気なのだ。こんな破滅的なまでにエロティックな演奏ができてしまうイタリアのオーケストラ、あまりにもすごすぎる。他の国の楽団では100%無理である。
盛り上がる一方だけではない。音楽が息を潜めていくときの音のふるまいは、香水がぷんと香るがごとし。こんなにもドキドキしながらこの楽章を聴ける体験は、他にはほとんどあり得ないだろう。また、これほどまでに緩急自在というかやり放題が貫かれたのはメンゲルベルクの「悲愴」以来なのかもしれない。
第3楽章のワルツもかつて聴いたことがない艶美。ヴァイオリンの歌い方はむろん、伴奏の合いの手の入れ方にもいちいち悩殺される。
フィナーレでは冒頭主題をいきなりのろいテンポでレガートいっぱいに歌っているのに仰天させられる。大いに見当違いの感じがするが、もうここまで来たら笑って楽しめる。それにしても、これほどまでに1音1音への思い入れが強いチャイ5の演奏も希有だ。
そしていよいよ最後、これまた超ネットリと勝利が歌い上げられるが、これはもう「2人の愛の勝利」そのもの。「トゥーランドット」の最後の場面を連想した。この曲って、恋愛の曲だったっけ?と思いながらも、乗せられてしまう。
ローマにあるモダンなコンサートホールはサラ・シノポリ(シノポリ・ホール)と命名されている。その理由の一端がわかった気がした。おそらく彼はときたまこのような演奏をして聴衆に強烈なインパクトを与えたに違いない。
1996年録音としては音質が物足りないが(というより、どうしてこんな音でしか録れないのか不思議)、これだけユニークな演奏が聴ければ文句を言う気はまったく起きない。何度でも聴きたくなる。
なおこのセット、他のCDもちょい聴きはしたが、シノポリがあまりに強烈すぎて、聴く気が起きないのが難点だ。入手のしやすさも考えて、いつか単売されるとありがたい。
ちなみに、シノポリのチャイコフスキー第5番は、フィルハーモニアとのスタジオ録音もあるようだが、私は聴いたことがない。なかなか入手難のようである。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
評論家エッセイ情報
※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。
featured item
輸入盤
ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団 1937〜2010(8CD限定盤)
ユーザー評価 : 5点 (2件のレビュー)
価格(税込) :
¥13,079
会員価格(税込) :
¥11,380
発売日:2012年08月05日
-
販売終了
%%header%%
%%message%%