冬、山下洋輔の十枚二十枚

2011年12月21日 (水)


山下洋輔



 
 こちらの雨、夜更け過ぎにはきっとドシャメシャ。
 キミはドタキャン、ゼッタイ来ない。
 来るのはキマって、ズージャのドンバの連れション仲間。
 オレたちの、極めて解像度の低いモノクロの夜。
 朝まで呑めば、一体何が歳末においてレバニライタメであるか
 ダパトトンと結論出る。
 最良の結論、ココに発表させてください。 







 
トリオ・バイ・トリオ・プラス1
 
 トリオ・バイ・トリオ・プラス1 / 山下洋輔・沖至・大野雄二・笠井紀美子
 Think!  DTHK012  2012年12月21日発売  紙ジャケット

 “和ジャズ最後の秘宝”シリーズ第3期 〜和ジャズ・ディスク・ガイド公式推薦盤〜
監修:塙耕記 + 尾川雄介

山下洋輔、沖至、大野雄二、笠井紀美子。日本のジャズ・シーンを席巻した若きミュージシャンたちが全身全霊を傾けた超弩級のセッション!! 昭和45年5月20日、第5回スイング・ジャーナル・ジャズ・ワークショップ・コンサートとして、東京銀座のヤマハ・ホールで開催された「トリオ・バイ・トリオ・プラス・ワン」の実況録音盤。出演は、山下洋輔トリオ、沖至トリオ、大野雄二トリオ、そして笠井紀美子。ゆえにこのタイトル。またオリジナルLPは、ビクターから<S・J・ジャズ・ワークショップ>シリーズ第5集として発売されている。


ディスク 1:山下洋輔 (p) / 中村誠一 (ts, ss) / 森山威男 (ds)
       沖至 (tp) / 翠川敬基 (b) / 田中保積 (ds)
ディスク 2:大野雄二 (p) / 水橋孝 (b) / 岡山和義 (ds) / 笠井紀美子 (vo)
1970年5月20日ライブ録音
 





Trio By Trio +1
 あえて名付けるならば「ザギン・ドシャメシャ・ナイト」か? ニコヤカなワークショップのステージが一瞬にして工事現場のゴリラと化す。新曲<ドレ>。新曲と言っても、すでにそこに完成されたものということではなく、その場でドシャメシャに構築されていくサマを ”アタマを開いて” 見守るという意味での新曲。ホントの、出来立てホヤホヤ。だからつまり、完成した瞬間にその曲はエンディングを迎えている。目の前には厭な静けさとヤリキッタ男たちのホットな恍惚しか残っていない。

 森山威男のブルドーザーがおもむろに突っ込む。中村誠一のパワーショベル、激しくそのアームを軋ませる。山下洋輔の特大ダンプカー、思ってもいなかったモノを運搬。それを見ていた油井正一氏、「壊してるかのように見えるが、実は作られていくんだぜ、ボーズ」と、セクトのヤングを嗜めるかのよう。音の洪水というよりは残骸。無情にも空間から剥ぎ取られた瘡蓋が足元に捨てられていく。だがよく見ると、砂ぼこりの向こうにうっすらと<ドレ>の御姿が。ニッポン・ジャズ界最高の重機オペレーターたち、設計図なき明日を占うかのような信じられない手さばき。なるほど、昭和のチビッコの憧れのマト。「こんな音楽を聴いてはいけないザマス、ショパンを聴くザマス」と嘆く親を傍目にブーブーでドロンコ遊び。コレ、ドシャメシャが生んだ昭和の美しい風景にして、新しいドレミのレッスン。また、ハリキリすぎてブルドーザーの片側のキャタピラ外れる、という願ってもないハプニングも。   

 <木輪(もくりん)>と<グガン>。多少約束されたジカンも訪れるが、時すでに遅し。大巾に異形なモノになっていることに立腹する者、狂気乱舞する者、本日も真っ二つ。すでに主流派から距離をとった者たちがさらに賛否を分かつ。四分の一が大錯乱、四分の三が大アクビ。そういう世界が在ってもいい。マンガやプロレスにこれっぽっちも興味のないヤツは家に帰ってあやとりでも! ...とはおくびにも出さず、猛々しく騒々しく鬱蒼としてヤッカイなこのスーパーソニックのイイナリになる。意識遠のく。すばらしく夢ウツツだ。あくる日オレは、誰も見たことのないジャズのような大河でガッツポーズの土左衛門となって発見された。 


<了>


“和ジャズ最後の秘宝”シリーズ第3期 その他のタイトルは



 

 
ミナのセカンド・テーマ

荒野のダッチワイフ
「荒野のダッチワイフ」
(DVD廃盤)
 
 ミナのセカンド・テーマ
 Super Fuji  FJSP34  紙ジャケット

 1969年10月録音、山下洋輔トリオの記念すべきスタジオ初録音作品。大和屋竺監督映画「荒野のダッチワイフ」のための表題曲、早くもハナモゲラの萌芽を思わせる「ロイハニ」、トリオのライブではラスト曲の定番だった「グガン」の3曲。まさにこの時期、「我々が演奏するのは実験的なニュージャズなどではなく、ごく当たり前のプロト・ジャズ〜原ジャズとでも言うべきものである」と高らかに宣言、この時代を突き破り、以後世界へ飛躍することになる名盤。インナーには、赤塚不二夫書下ろし「ベシ」の画を。また、平岡正明氏書下ろしライナーを併収したオリジナル・ダブル・ジャケット仕様。

山下洋輔 (p) / 中村誠一 (ts) / 森山威男 (ds)
1969年10月14日録音
 



 映画『荒野のダッチワイフ』の中で殺し屋の情婦ミナが唄う挿入歌をトリオがジャズ素材としたもの。それが「ミナのセカンド・テーマ」。「我々のレパートリーの中でいちばん曲らしいもの」とは山下の弁だが、三分と経たないうちに全景がドシャメシャに崩されていく。「音楽の原型を捉えた」と宣言するこのトリオにとっては、臥薪の末に作り込まれたメロディ、アンサンブル、ストーリーほどシラけるものはない、とでも吐き捨てるかのように次々に約束事を無視していく。この時期のステージにおけるクロージング・テーマとなっていた<グガン>は、チャックどころか右脳、左脳、全知全能、内臓概ね、穴から孔まで、何もかもが大全開。おっぴろげ。セシル何某、ジョン何某の英名を出すまでもなく、ニッポンの地下室に比類なきグガンの大輪が咲き誇った。 

 

 
Dancing 古事記

田原総一朗の遺言 〜タブーに挑んだ50年!未来への対話〜
「田原総一朗の遺言
〜タブーに挑んだ50年!
未来への対話〜」

麿赤児「大駱駝艦」とのジョイント「嵐」
麿赤児:大駱駝艦との「嵐」
 
 Dancing 古事記
 Super Fuji  FJSP46  紙ジャケット

 1969年7月、バリケード封鎖された早稲田大学構内で行なわれた山下洋輔トリオの壮絶な、壮絶としかいいようのない演奏を収めたライブ盤。当時、(唐十郎・状況劇場から独立したばかりの)麿赤児と作家デビューしたての立松和平の自主制作LPとして発売(95年豪華版CDとして再発)。アジ演説から始まり、それをぶった切るかのようにスタートする山下洋輔永遠のテーマたる「テーマ」は、高速/爆音/疾走/音の洪水なるスイングが15分、山下得意の肘打ち連発! 中村誠一作「木喰」は、そのソプラノがスピリチュアルに響き渡るバラードに始まり、しかし狂宴の乱へ。そして全てにおいて疾風怒涛の森山威男のドラミングの凄まじさたるや。異様なハイテンションで60年代新宿を代表し昭和の熱い時代を切り取った一大ドキュメント。

山下洋輔 (p) / 中村誠一 (ss) / 森山威男 (ds) / 監修:麿赤児, 立松和平
1969年7月録音
 



 麿赤児、立松和平、さらには彦由常宏(無政府主義の黒ヘル部隊隊長)との共闘と捉えるべきか否か、平岡正明氏は「田原総一朗のやらせ」と暴くが、紛うことなき憤激というものが方々から聴こえてくる。今や「団塊の...」などと言ってもピクリともしない世の中。みなゲームとアニメにストイックだ。1969年の暑い盛り、いかなる理由があって山下洋輔トリオが早稲田大学の8号館地下で演奏する必要があったのか? 「勝手にウィキペディアで調べてくれ」と五月蝿がられるのがオチか。十五年ほど前に新宿しょんべん横丁でこんなことを口走ろうものなら、忽ち朝方まで血気盛んなロートルのエジキになることは必至だったが、今は”見て見ぬふり”をしながら保身のみに従事するのが”デキる人”とされる時代(国政)。当時を知っている者ですら、そんなことはもはやどうでもいい。大切なのは今日・明日の暮らしだ.....が、例えコンセプトは風化されたとしても刻まれた音の塊は未来永劫意志を持つ。それが単なるノイズに聴こえるか、自らをドシャメシャに鼓舞する憤激に聴こえるか、ただそれだけの違いだ。それは、バリケードの中にいるか外にいるか、それだけの違いと同じと言えるのだろうか。ならば。バリケードの中にいるヤツだけ聞いてくれ、<木喰(もくじき)>での中村誠一、神だぞ。

 

 
フローズン・デイズ

1973年7月「フリージャズ大祭」のオムニバス・ライブ「Inspiration & Power 14」
「Inspiration & Power 14」
 
 フローズン・デイズ
 Pictus  DICR2008  紙ジャケット

 1974年、ドイツのENJA レーベルの招聘によりメルス・ジャズ・フェスティバルに参加するなど、聴衆を興奮の渦に巻き込んだ第二期山下洋輔トリオ。その勢いをあますところなく封じ込めた日本クラウン傘下PANAM録音の凱旋スタジオ・アルバム。このトリオによるライブ盤と比べると幾分抑制が利いているという声も挙がるが、エネルギーの放射量や緊張感はスタジオ盤とは思えないほど。ライブのそれに一歩も引けをとっていない。

山下洋輔 (p) / 坂田明 (as, b-cl) / 森山威男 (ds)
1974年9月25,27,28日録音
 



 広島大学水畜産学部水産学科卒業生、「自分なりに力一杯吹こうじゃないか」と、自称”阿部薫のライバル”坂田明が1972年暮れに本格参戦。ドシャメシャ、ネクストステージへ。腰をぐっと落として「ギャバシュビキョカモケケ」(©山下洋輔)と吹く坂田の人間離れしたギャバシュビキョカモケケ。ライブの<キアズマ>も良いが、スタジオ録音のそれも体内の血という血が沸騰する。テーマもイビツでドキドキ。テーマ以外の自由時間に至っては吐き気がするほどスバラシイ。何しろ、ゲルマン民族も目を丸くするあのギャバシュビキョカモケケだ。いつか見たギャバシュビキョカモケケとはワケがちがう。タテにすこし大きい。しかもわずかにコゲくさいギャバシュビキョカモケケ。その火種は<ミトコンドリア>に見事引火。こうゆうのは一種のカタルシスだと思っていたが、いやまったく違うんだなと独りごちる。ギャバシュビキョカモケケにまたしてもいっぱい食わされそうになった。ちなみに、<ミトコンドリア>は、「早く名前を付けろ」と司会者に急かされた坂田が苦しまぎれに覚えていた生物学用語を吐き出したのがそのタイトルの由来だそう。作家・河野典生氏による当時のライナーも、好きだ。

 

 
キアズマ

「モントルー・アフター・グロウ」
「モントルー・アフター・グロウ」
 
 キアズマ [廃盤]
 ユニバーサル インターナショナル  UCCJ4085  

 1974年にベルリン・ジャズ・フェスティバル、ドナウエッシンゲン現代音楽祭に出演。ついで75年にもメルス・ジャズ・フェスティバルをはじめ西ドイツの20ヵ所を旅楽。「彼らが出たあとのステージでは何をやってもウケない」と言われるほどの人気を博した。本盤は、その75年の欧州ツアーから、6月6日ドイツのハイデルベルク・ジャズ・フェスティバルに出演した際の壮絶なライブを収録。同年の暮れに森山威男がトリオを抜けることを踏まえると、第二期トリオの総決算とも言える貴重な演奏記録となるだろう。

山下洋輔 (p) / 坂田明 (as) / 森山威男 (ds)
1975年6月6日 ドイツ、ハイデルベルク・ジャズ・フェスティバルにて録音



 ハイデルベルクだの、マンゲルスドルフだの、サンクトペテルブルクだの、ズビグニエフナオミスオフスキーだの、まったくヨーロッパってヤツはけしからん、大マジメではないか。そこへくると山下洋輔トリオ界隈の密室芸は、実に珍妙かつ愉快かつ意味不明かつ聡明だ。グガングガンダバトトン、カリキリコレラから、コネコネコノコオコゼノコ、イカノアシジュポーンまで、タイプいろいろ使い方いろいろ。ハイデルベルクがアヘアヘと目を回し白旗を挙げた<キアズマ>、<ハチ>。カミカゼトッコータイ一糸乱れぬジェットストリームアタックから生まれたインプロヴィゼイション、という半分ホンキの冗談ゼイション。

 

 
エイプリル・フール 〜キャシアス・クレイの死ぬ日

「家」
筒井康隆・山下洋輔「家」

「筒井康隆文明」
「筒井康隆文明」
 
 エイプリル・フール 〜キャシアス・クレイの死ぬ日
 Super Fuji  FJSP47  紙ジャケット

 「家畜人ヤプー」出版、ネッシー騒動、オリバー君フィーバー、アントニオ猪木×モハメド・アリなどをプロデュースした戦後最大の ”虚業家” 康芳夫を全権プロデューサーに、「話の特集」編集長矢崎泰久が構成した世紀の奇盤、オリジナル初復刻! 1972年4月武道館で行なわれたモハメド・アリ対フォスターのドキュメント(来日記者会見、インタビュー、試合実況など)の中に、山下洋輔トリオの演奏(「クレイ」「サンドバッグ」「ケイコタン」「ラフィング」など全6テイク)が入る先鋭的コラージュ作品。

山下洋輔 (p) / 中村誠一 (ts) / 森山威男 (ds)
1971年11月録音




 キャシアス・クレイ、つまりはモハメド・アリ。蝶のように舞い蜂のように刺す、言わずもがなの、あのヘヴィ級ボクサー。対するは、丸腰のドシャメッド・アリ、つまりは山下洋輔トリオ。蝉のようにわめき稲子のように喰い尽くす、悪名高きジャズの危険分子(?)。相手にとって不足はない。拳闘ではハンデありとみるやアントニオ何某戦を彷彿とさせる異種格闘技スタイルへとなだれ込む、と思いきや、序盤から激しい打ち合いへし合い。<クレイ>が放たれるや、首謀者・康芳夫、思わずニヤリ。これが新時代ジャズキチの欲情ポイントだ。中盤おしゃべりが過ぎるチャンプにカウンターで見舞う<ケイコタン>。ドシャに勝機アリ。「ミニクイ」とは何だ! 笑わせんな! と大爆笑の肘打ち。ドシャ完全に優勢。さぁフィニッシュホールドは.....無情にも打ち鳴らされる10カウントゴング。勝敗やいかに?
 顔をパンパンに腫れ上がらせたドシャは控え室で声を荒げる。「アリよ命拾いしたな、これが野球拳だったら1Rで死んでたぞ!!」  

 

 
ホット・メニュー

「砂山」
「砂山」 (廃盤)
 
 ホット・メニュー
 ユニバーサルインターナショナル  UCCJ9113  限定盤

 山下洋輔トリオがアメリカ・デビューを飾った、1979年6月29日のニューポート・ジャズ・フェスティバルでのステージの模様を収録(リリースは自身のFRASCOレーベル)。同夜は、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ、ワールド・サキソフォン・カルテットというそのスジの傑軍が聚合。「ニッポンに山下洋輔トリオあり」を全米に広く知らしめた<うさぎのダンス><砂山>、そして<ミナのセカンド・テーマ>。ちなみに、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ、1974年の来日公演(京都・円山野音、東京・郵便貯金ホール)に山下はゲスト出演している。

山下洋輔 (p) / 坂田明 (as, a-cl) / 小山彰太 (ds)
1979年6月29日ニューヨーク・ライブ録音




 ドシャメシャ、第三期にしてついにリンゴちゃん攻略の糸口つかむ。では、全米が泡食う日、そのために用意していたヤツ、とっておきの、キツめのフロア・フィラーいっぱつ、ドーゾ。箍の外れたウサギちゃん、武者震いとも律動ともつかないミョーゼツなスンダを披露。しばしオイルショックを忘れ拍手喝さいの全米。アタマにクエスチョンマークの全米もいるが、ほとんどの全米はこんなに荒くれたモンゴロイドを見るのは初めてよ、という顔のまま硬直。坂田明のネズミ花火が高速でピンスーすればやがてリツマも佳境。全米もろ手挙げウェルカム。

 

 
センチメンタル

「スイングしなけりゃ意味がない」
「スイングしなけりゃ意味がない」
(廃盤)
 
 センチメンタル
 ユニバーサル インターナショナル  UCCJ4041  

 ニュー・オリンズ、セントルイス、カンザス・シティ、シカゴ....各地のクラブに(半ば死を覚悟して?)“乱入”しながら、ジャズの源流を辿る米国の旅を終え、終点のニューヨークで録音されたソロ・ピアノ集。奔放で力強い即興、時にロマンティックな面さえ見せる情感、優美な歌心が、旅の収穫を伝える。一音でスウィングさせてしまう達人の力量に脱帽。ライナーノーツは、旅の”チーフ・オーディエンス”に勅命された鴻上尚史氏。

山下洋輔 (p)
1985年8月28日ニューヨーク RCAスタジオ録音




 ニュー・オリンズからニューヨークまでの道のりおよそ1200マイル。それすべて道場破りで完走。帯同した鴻上氏のエッセイを読むかぎり、19戦19勝。来年のスケジュールまで決めなければならないオマケまで付いた。特にN.Y.グリニッジ・ヴィレッジ「スウィート・ベイジル」でのコンサートは圧巻。当時のニューヨーク・タイムズのレポーターが上気しながらその様子を伝え、記事は「新旧ジャズ・ピアノのかけ橋的なステージだった」という最敬礼の言葉で締め括られている。その翌日に同じくN.Y.のRCAスタジオで吹き込まれたソロ・ピアノ録『センチメンタル』。ジャズの歴史を辿る三週間の旅、そのよき想い出にとばかりにラフマニノフとおもむろに向かい合う股旅ピアノマン....と、何かがうずく。もうダメ、スイッチ入る。力道山を街頭テレビで応援していた世代にとってはフツーのことか? 数時間後その白鍵、哀れ空手チョップ仕込みのタッチで真っ二つ。旅は見事にオチがついた。

 

 
MAKI VI

「ONE」
浅川マキ 「ONE」
 
 MAKI VI / 浅川マキ
 EMIミュージックジャパン  TOCT27046  紙ジャケ初回限定盤

 山下洋輔の第二期トリオに、稲葉国光という当時のジャズ界新進気鋭のミュージシャンたちと創り上げたアルバム。ブルースとジャズが沸騰する浅川マキの新境地でありながら、その世界にはやはり独特としか言いようのない翳り、そして幽玄な音霊が満ちている。山下は<わたしの金曜日><港町><キャバレー><あんな女は はじめてのブルース>という4曲のオリジナルを書き下ろしている。

山下洋輔 (p) / 坂田明 (as, cl) / 森山威男 (ds) / 稲葉国光 (b)
1974年発売(神田共立講堂ライブ録音含む)




 山下洋輔曰くの浅川マキは、「文武両道に秀でた人」であり「麻雀狂」であり「疫病神」であり「秀逸な電話魔」であり、貫ろくのハスキー・ボイスで詞と音楽を完璧に一体化させて唄う猫背のシンガー「マキ」であった。前回の<奇妙な果実>はおいといて、ここでの山下トリオは”それなり”に影武者に徹している。が、エルボースマッシュ、ドロップキックといった大技こそ封印しているものの、彼らの辞書に”フツー”や”予定調和”という言葉はない。ゆえに感情を無理くりコントロールしている、というありきたりの歌伴場面には一秒たりとも出くわさない。「マキ」の唄の魔力にとりつかれ、なおその優しさにも心満たされる男たち。惚れた女に手を差し伸べ、また差し伸べられる、とてつもなく艶めいた時間が過ぎてゆく。

 

 
asian games

「BANG!」
三上寛 「BANG!」 (廃盤)
 
 Asian Games / 山下洋輔・Bill Laswell・坂本龍一 [廃盤]
 日本フォノグラム  PHCE42

 その時何が起こったのか! テクノロジーとリズムの鬼、坂本龍一、ビル・ラズウェルのもと、山下洋輔が初めてエレクトリック・キーボードを駆使して作り上げた異種格闘技セッション。山下の音楽に本来在る”ダンス・エレメント”があらためて明確に浮き彫りにされた、衝撃の「ストリート・ミュージック」。

山下洋輔 (p, key) / ビル・ラズウェル (b, sitar, sounds, pro) / ニッキー・スコペリティ (fairlight) / アイーヴ・ディエング (per) / 坂本龍一 (key)
1988年ニューヨーク録音



 鼓童、読売交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団忌野清志郎桑田佳祐矢野顕子和田アキ子エルヴィン・ジョーンズレスター・ボウイラリー・コリエル.....80年代後半の異種格闘技セッション、その主な対戦相手、実に多彩で強敵ぞろい。しかしながら、そこに一歩も引くことなくオリジナル・スタイルを貫きケリを付けてきた山下洋輔。「やっぱアンタ天才だわ」と唸るも束の間、次なる山場はギョーカイ・デジタル・テクノロジー化著しくなりし80年代も末。ヒップホップだ、テクノだ、ミニマルだ、アンビエントだ、ノイズだ、レイブだと、俯瞰すれば世のヤングが音楽に最も飢えてドン欲だったと思しき時代。ラズウェル、教授との顔合わせそれ自体にさほど驚きはないものの、シンセまでもを駆使しながら、サンプリング・マシーンによって工作されたトラックに音を入れていくという過程には誰もが胸騒ぎを憶えたハズ。いや、最も激しい胸騒ぎを憶えていたのは山下洋輔自身だったのかもしれない。結果、『Dancing 古事記』『嵐』『エイプリル・フール』など、時代を果敢に撃ち抜いた数々の先鋭作にも肩を並べる、ヒジョーに”気になる”ゲノムを誕生させてしまった。





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