【HMVインタビュー】 BUDAMUNK
2011年11月9日 (水)
- --- 今回のインタビューでは、Budamunkがどういう人なのかっていうところにフォーカスしていろいろと質問をしていければと思っています。まず、Budaさんが最初にHIP HOPに興味を持ったきっかけを教えてもらえますか?
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最初はどっちかと言うとR&Bが好きだったんですよね。D’angeloとかネオソウルって呼ばれてた渋い感じのとか、70年代のソウルとかが。HIP HOPは最初はネタがいいやつを探して聴いてる感じでしたね。たぶん最初はTribe Called Questっすね。ノリとかが「ヤベー」って思って。それがHIP HOPにハマっていったきっかけかもしれないです。
- --- もともとHIP HOPはラップよりもサウンドの方を重視していたというか。
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そうですね。
- --- 今もそうですか?
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今は全然違います。もともとはビートで選んでる感は、確かにありました。昔は、歌がフィーチャーされている部分だったりメロディーを聴いてたかもしれないですね。最初は普通にICE CUBE、2PACとか、聴きやすいのから入って、結局WU-TANG CLANとかMOBB DEEPとかが影響デカかったですね。そうゆうノリの方にどんどんヤられてって。けど、ソウルとかの理解もあったんで、「ノリ + 音楽的な部分」が重要というか。
- --- 最初はリスナーだったと思うのですが、音楽をやってみようと思ったきっかけは?
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とりあえず、めちゃめちゃ音楽が好きだったんで、レコード屋で過ごしてる時間が長かったんですよね。でかいレコード屋行ったら、R&BとかHIP HOPのセクション端から端まで全部見て何時間も入り浸るの当たり前でしたから。それだけが楽しみだったというか。で、やってみたいと思ってたんすけど、楽器が弾けるわけでもないし。とりあえずHIP HOPっていうのは、楽器を弾けなくても出来るっていうのがわかってたんで、MPCを買ってみたっていうのが始まりですね。気がついたらHIP HOPが一番好きな音楽になってたタイミングでもあったし。
- --- ラップをやりたいとは思わなかったんですね。
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そうですね。ラップやろうとはあまり思わなかったですね。ビート作りはどんどんハマっていきました。ちょうど俺が日本に帰ってくるちょと前ぐらいから今のLAのビートのシーンが広まっていったんですよ。もともとLAのアンダーグラウンドのシーンがあって、ビートバトルとかプロデューサーがスポットライトを浴びる場面が増えてきたんで、どんどん面白くなって。シーンがデカければデカいほど面白く感じるんですよね。
- --- いつ頃からLAにいたんですか?
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高校の時からですね。音楽聴くのに一番ハマってたのも高校時代で。HIP HOPがメインストリームになりかけてる時だったんで。BETとかMTVとか見て、かなり衝撃受けましたね。LAのアングラのシーンが丁度でかくなってった時期でもあったし、刺激は受けまくりましたね。全てが面白くてしょうがなかったです。
- --- LA行くのはどういうきっかけだったんですか?
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親が仕事の関係でLAに行く事になって。自分は日本に残る事も出来たんすけど、やっぱむこうの音楽が好きだったんで、とりあえず行ってみたいって思って。最初は、高校卒業したら帰るつもりで行ったんすけど、親が日本に帰った後も、自分は自然と残っちゃいましたね。生活をしてる内に、LAの方が馴染んじゃった感じですね。
- --- Budamunkという名前にはどういう意味が?
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日本にいると気付かない事だったかもしれないすけど、むこうにいると「自分がいったい誰なんだ?」って事を強く感じていて、やっぱアジア人っぽい名前が良かったというか。仏陀って、普通の人が修行して悟りを開いて目覚めていくっていう話なんですよね。もともとはBudamonkeyなんで“目覚めた猿”「ビートに対して目覚められたら」っていう意味が入ってるんすよ。自分が申年っていうのもあって、自分がレペゼン出来るところはどんどんREPしていきたいと思って。
- --- LAのどういった地域に住まれてたんですか?
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ダウンタウンから近くなんですけど、EAST LAとモントレーパーク(でかいチャイナタウン)の境目のとこですね。フリーウェイがいくつも交差しているところのそばだったんで、どこに行くのも便利で良かったですね。EAST LAの治安の悪いエリアでもなく、ちょっといったらチャイナタウンでうまい飯も食えるし、いい感じの場所でした。East LAの方はそんなに行くことはなかたんですけど、一回だけメキシカンのギャングの家のホームパーティーでKeentokersでライブした事とかもあります。最初怖かったんすけど、ライブやったらみんな超反応良くて(笑)
- --- そうやって色々と活動する中で、MCのJoe StylesとOYGと出会ってKeentokersを開始した感じですか?
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Joe Stylesとは学校が一緒で。Keentokersを含めてSoul Jugglersっていうデカいクルーがあるんすけど、そのメンバーの奴らも同じくらいの時期に出会って、仲良くなって、そのままクルーになっていった感じですね。
Joe Stylesの幼馴染でラップをやってたLaidLawってヤツがいて、その二人はある時期から喧嘩して会ってなかったんすけど、たまたま同じくらいの時期にオレは両方と友達になって、オレを通じて二人がまた繋がっていくみたいな事もあって。LaidLawってやつはJurassic 5のChali 2naの弟で、OYGはそっちとも繋がってて、結構交差してる感じでしたね。好きなHIP HOPのタイプも似てて。Soul Jugglers的にはWU-TANG CLANとかハードなノリのHIP HOPがみんな好きで。Joe Stylesはそっちもいきつつ、JAY DEEとかメロウなHIP HOPが好きだったんで、Joe Stylesと二人でやるときはメロウなのが多くて。Soul Jugglersの時はハードでストレートなHIP HOPをやってましたね。 - --- Budaさん的には両方とも好きな感じですか?
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どっちも好きですね。元々、メロウなソウルとか好きなんで。そういうのは黒人色の濃い音楽なんで「アジア人である自分がそれをやってるのはどうなんだろう?」って思う事はありましたね。けどJoe Stylesと仲良くなって、彼はサウスセントラル出身の黒人なんですけど、俺が日本人である事も気にせず受け入れてくれたんで、あまり思いつめる事はなかったですね。だから俺のメロウな部分はJoeの影響がでかいです。もちろんJay Deeとかの影響もあるけど、Jay Deeのやばさに改めて築かせてくれたのもJoeだし。
- --- 例えば日本人でHIP HOPがやりたくてUSに渡る人も多いかと思うのですが、Budaさんがシーンに入り込んでいく上で何か特別な事ってしましたか?
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自然に友達が出来て、自然にシーンに溶け込んでたんで…でも確かに日本人はいなかったですね。
Soul Jugglersの中にLive Radioっていうクルーがいるんですけど、彼らは、でかいアーティスト、例えばJAYLIB、KRS-ONE、COMMON、Little Brother…のオープニングもやってたんですよ。俺らはほんとLive Radioが好きで、どこでもついてくって感じで遊んでて、それがSoul Jugglersっていうクルーになっていって…まじ楽しかったですね。逆に今はLive Radioはやってないんすけど…(笑) - --- LAという層の厚い環境の中で、頭一つ飛びぬけるように、ビート制作で意識する事はありましたか?
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そこまでは考えた事なかったですね。自分の中で、そこまでビートについてわかってなかったと思うんで、ついていくのに必死でしたね。始めたころはJoe Stylesに気に入って貰えるビートを作るのが一つのモチベーションだったというか。もともとそうやってMCである彼のためにビートを作ってたんで一番相性はいいと思いますね。
- --- そんな中05年にはLAのBeat Battleで優勝する事になるんですよね。
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それはRUN DMCのJam Master JayがNYではじめた学校主催の大会ですね。ターンテーブルとMPCを繋いで、ネタをサンプルして制限時間以内にビートを作って客がジャッジするっていう大会の第一回。自分が好きなプロデューサーもいっぱい出てたんで、ここで優勝出来たのはかなり自信つきましたね。これがはじめて自分に自信が持てた時だったというか、嬉しかったですね。
- --- そこで自信をつけた事は、翌年06年に帰国する事になった事に関係してますか?
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それは全く関係ないですね。本当はLAに残りたかったんすけど、VISAが切れちゃって帰ってきただけなんで(笑)
でも「とりあえず日本で出来る事をやろう」ってやってきて、面白いヤツにも会えて、今いろいろと面白い事が形になりつつあるんで満足してます。 - --- 帰国した時の日本のシーンの印象はいかがでしたか?
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最初はあんまりチェックしてなかったんすけど、08年に初めてMONJUを観たときに「すげえ面白い、向こうのノリと大して変わんないじゃん」って思ったんですよね。最初MySpaceでメールして、イベントに遊びに行って、仲良くなってって感じですね。日本帰ってきてからは一人で作業をしてる期間が長かったんで、ISSUGI君との出会いはすげーあがりましたね。その後S.L.A.C.K.と会って、みんなもその頃からどんどん知名度があがってった感じで。それに一緒に乗っかってった感じですね(笑)
- --- 帰国後、Jazzy Sportに所属されたのはどういった経緯で?
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もともとSOUND IN COLORっていうLAにあったレーベルの人と仲良くて。Jazzy Sportはそのレーベルのディストリビューションを日本でやってて、SOUND IN COLORはJazzy SportのディストリビューションをLAでやってたという関係があったんですよ。そこを介して繋がった感じですね。
- --- S.l.a.c.k.とISSUGIと結成したSick Teamのリリースで、それまでコアなHIP HOPファンよりも外側にまで名前を広げたと思うのですが、その辺の状況に関してはいかがでしょう?
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彼らとは音楽の話とかもすごい理解しあえる事が多くて、かなり頻繁に3人で遊んでたんですよね。その流れで曲を作り始めたのがきっかけですね。LAの時と同じで、自然な流れの中で集まったヤツとやるのが一番いいんで。やっぱ音楽が好きっていうのが根本にあるから、同じ音楽が好きなヤツと一番仲良くなっちゃう感じなんじゃないですかね。
- --- 今回、帰国から5年を経て初の本人名義のアルバム『BLUNTED MONKEY FIST』が万を持してリリースという事になりますが。
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Sick Teamも全部自分がプロデュースしてるし、この間出したKeentokersもDR. OOPと作ったアルバムも全部自分が作ってて、自分のものだと思って作ってるんで、力の入れようは毎回一緒っすね。
「日本人として世界に誇れるものを作りたい」
「本来黒人のカルチャーから生まれたHIP HOPを日本人としてどう表現するか。」
「向こうのやつらも理解してくれるぐらいかっこいいものを作れるか。」
っていうのが一番考えてる事なんで。
だからこのアルバムはアジア人であることをREPして作った作品ですね。
日本人、アジア人にしかわからないノリも絶対あるじゃないですか?けど俺はHIP HOPって音楽を理解してるんで、それを組み合わせて。WU-TANG CLANとかもアジアっぽいネタをサンプルしたりしてるけど、あれはもろ黒人の音楽なんで。俺はそういうテイストも含めながら更に自分なりに日本人としてHIP HOPを表現したい感じなんすよね。 - --- この作品をLAにいる仲間に聴かせた反応とかはいかがでした?
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まだ聴かせてないすけど、反応は間違いなくいいと思います。絶対好きっすね。
- --- 注文書には「BLUNTED MONKEY FISTとは、長い間新たな継承者がいなかったヒップホップのスタイルである。」とあるのですが、これに関して伺うのはヤボですか?
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これは勝手に言ってるだけの作り話なんすけど(笑)
「BLUNTED MONKEY FIST」ってカンフーの技の名前みたいなノリじゃないっすか。「HIP HOPなら俺はこのスタイルだ」っていうのが技の名前みたいだったらヤバいなと思って。自分のスタイルに名前をつけた感じですね。 - --- ジャケやPVからもカンフーからの影響が感じられますが?
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カンフー映画は好きなんで、VHSの時代からかなりの量を見てますね。LAのビデオ屋行くと、アジアのセクションがあるんすよ。サムライ映画とかもあるんすけど、8割くらいはカンフーの映画っすね。アジアの文化が好きなんすよ。LAに行って余計好きになっていったんすけど、アートも含めアジアのトラディショナルな部分には興味があります。世界に誇れるものだと思うんで。
- --- LAにいたからこそ感じたアジア人としての自分のルーツというか。
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間違いないっすね。自分が何者かっていうのは知っておかないとかっこ良くないと思うんで。自分が日本人だって事を踏まえて、音楽やってないとイケてないと思うんすよ。黒人がやってる事と全く同じ事をやっても「それ自分じゃないじゃん」って事になっちゃうじゃないですか。だからこういうアジアを意識したアルバムは作っておきたかったですね。
- --- オリエンタルなサウンドにしたのは、逆にUSに聴かせる事を意識したのかなとも思ったのですが。
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そうですね。日本人にはもちろん聴いてもらいたいですけど、世界のヤツに聴いてもらいたいっていうのはありますね。日本人は、日本ぽいスタイルでかっこいいHIP HOPを作れるって言うのをチェックして欲しいっすね。むこうのヤツに認めて欲しいっていうのは根本にあります。
- --- 今後またLAに行って活動する事は考えているんですか?
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チャンスがあれば全然行きたいっすね。
- --- 参加アーティストは、全員気心知れた仲間といった感じですか?
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LAのやつにしても、日本のやつにしても、基本的にはいつも一緒にいるような仲のいい奴らですね。NYのMeccaGodZillaは日本で仲良くなって、「Seven MCs」はMeccaGodZillaの友達がNYから来てた時に録った曲です。
- --- PSGとしての録音はこれが最後になるって話もちらほら聞きますが。
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どうなんでしょうねー?俺はわかんないです。
けど、俺とPSGは結構面白い組み合わせのような気がしますね。このアルバムでは一番意外性があるというか。 - --- 今後一緒にやってみたいアーティストはいますか?
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いっぱいいますね。メジャーな人だとMASTA KILLAとかやりたいっすね (笑)
- --- 12月にはMabanuaとのGREEN BUTTERの作品をリリースされますよね。
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GREEN BUTTERでは、俺のビートに、普通だったらラップとか歌を乗せる代わりに、Mabanuaが楽器を乗せるっていうスタイルでやってる曲が多いですね。Mabanuaがドラムの音だけ録って送ってきて、その上に俺が音乗せたりとか、さらにそのドラムの音を俺がチョップしちゃって自分で叩いちゃったりっていうのもありますし。実際、二人で曲を作る場合、いろいろな事が出来ますね。
- --- かなり楽しみながら作ってるみたいっすね。
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それはそうっすね。インストとしては「こんなの今まで無かったんじゃないか?」っていうのが出来ましたね。
- --- 『BLUNTED MONKEY FIST』とはまた違ったテイストの作品ですよね。
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メロウですね。けど、俺のビートなんでHIP HOPなノリのままジャズみたいな。新しいっすよ、かなり。いつも新しい事に挑戦したいっすね。S.L.A.C.K.と作った『Budaspace』ってやつも、日本語ラップには今まで無かったようなノリのやつが出来たと思いましたね。Sick Teamのアルバムもそうだと思うし。新しい事って受け入れられるのにも時間がかかると思うんすけど、絶対聴いてるうちにどんどんハマってくと思うんで。『BLUNTED MONKEY FIST』でも、また新しい事ができたんで、そこで身につけた技を使ってまた新しい事をやるって感じですね。「自分のスタイル + 何か」それがあると自分でも作るのが面白いんで。
- --- 最後に今後、どのようなアーティストになっていきたいですか?
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目標は「いいプロデューサーになりたい」だけなんすよね。Jay DeeとかPETE ROCKとか歴史に残るようなプロデューサーになりたいっす。そういう人って聴けば誰のビートかわかるような特徴があって、自分もそうやって自分のスタイルを追求してるタイプなんで。
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取材協力:Jazzy Sport
インタビュー/文:松井剛
BUDAMUNK
『BLUNTED MONKEY FIST』
2011年11月16日
濃い〜ソロ活動や多彩なプロデュースワークでコアなHIP HOPリスナーからの支持が熱いBUDAMUNK。S.l.a.c.k.、ISSUGIとのSick Teamで知名度を大きく躍進させ、遂にソロアルバムをリリース!オリエンタルなアジアネタをサンプルし、日本人・アジア人であるアイデンティティーを存分にRepした2011年最重要作品!日本語ラップとUSのHIP HOPの壁を完全にぶち壊す、強靭な作品が遂にリリース!
【HMVオリジナル特典】 ステッカー
[参加アーティスト]国内:S.l.a.c.k. / ISSUGI / OYG / 仙人掌 / TAMU / RAU DEF / PSG
海外:Joe Styles / Laidlaw / Jugga Da Beast / Degree / Rogue Venom / MeccaGodZilla / Ness(AAlikes)
[収録曲]
01. my choice
02. Blunted Fist
03. At the Top remix feat. Joe Styles & Rogue Venom
04. Monkey Business feat. S.l.a.c.k. & ISSUGI
05. Budamonk Funk II
06. Murderous feat. OYG
07. Stalactite
08. Guess Who remix feat. Laidlaw, Degree, Jugga da Beast
09. Hidden Monkey
10. Fatal Strike feat. S.l.a.c.k. , TAMU, ISSUGI , RAU DEF , 仙人掌
11. dodges and blocks
12. Waterfall Meditation
13. Bad beautiful feat. PSG
14. Rift
15 Seven MCs feat. MeccaGodZilla , Emjae , Soupa , A-live , Cavalier , Ness , Consious
16. Booty
[Bonus Track]
17. Slow Down remix feat. MONJU
ヒップホップ・ビートプロデューサー。96年にLAに渡米。後にDJやビート作りを始める。2004年にMCのJoe StylesとOYGと”Keentokers”として活動開始。Keentokersは、Live Radioらと共に"Soul Jugglerz"としても、LAアンダーグラウンドのステージで多くの通をうならしてきた。Budamunk個人としても2005年に、LAのレコード 店で行なわれたBeat Battleで、唯一の日本人でありながら優勝という快挙を成し遂げる。DIBIASEらとのビートセッションに参加するなど、日本人でありながらLAの シーンで活躍してきた。2006年に帰国し、国内での活動を始めJazzy Sportに所属。2008年に日本で初めて行われたAKAI主催のMPCバトル『GOLD FINGER'S KITCHEN 2008』で優勝。Jazzy SportやDOGEAR RECORDSからレコード、Mix CDのリリースを重ね、自身のBeatシリーズ"Mokstrumentals"、S.l.a.c.k.『MySpace』のremix EP『Buda Space』が大きな反響を呼んだ。そして、現在話題沸騰中のSick Teamの一員として、全てのビートをプロデュース。Budamunkの作り出すビートに、海外は当然のことながら、国内でも高い評価を得ることになる。
Sick Team
『Sick Team』
BUDAMUNK / S.L.A.C.K. / ISSUGIによるSick Team。2011年リリースの最も重要な1枚。これは聴いておかないとヤバイ!
S.L.A.C.K.
『この島の上で』
発売前に一切情報を露出せず、11年11月2日に突如リリースされたS.L.A.C.K.最新作!311以降S.L.A.C.K.が思う事とは?
GREEN BUTTER
『未定』
2011年12月07日 発売予定
BUDAMUNKがmabanua(Ovallのドラマー/TwiGy al salaamのプロデューサー)と結成した全く新しいユニット!独創的なアイデアが炸裂するメロウなインストサウンド!
Keentokers
『Fresh Speech』
BUDAMUNKがLA時代に活動を開始した、Joe Styles / OYGの二人のラッパーを擁する多国籍なヒップホップ集団。LAアンダーグラウンド・ヒップホップ好きが瞬殺された1枚!
DR.OOP & BUDAMUNK
『Black Love Oriented』
LAアンダーグラウンド・ヒップホップ・シーンのベテランMC、Dr. OopとBUDAMUNKのコラボ!S.l.a.c.k.、ISSUGIも参加したドープな作品。
Budamunky / Joe Styles
『Budastyles Classics』
BUDAMUNK自身が最も相性が良いと語るMC,Joe Stylesと作り上げた作品。
BUDAMUNKY
『Buda Session: The Mixtape』
GAGLE『3Peat』への参加等で俄然注目度を増す中リリースした09年作品。BUDAMUNKYの音源のみを使ったミックスCD!
ISSUGI FROM MONJU
『Thursday』
BUDAMUNKが帰国後、一番最初に衝撃を受けたMONJUのMC、ISSUGIのソロアルバム!“日本人のHIP HOP”という概念を超えた名作!