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「ギトリスの痛快演奏に興奮」

2010年7月23日 (金)

連載 許光俊の言いたい放題 第182回

「ギトリスの痛快演奏に興奮」

 いやはや酷暑である。モスクワでは40度を超す日もあったというから尋常ではない。こんな天気が続くと、ロシアのオーケストラがスペインやメキシコの楽団みたいな演奏をするようになる日も来るのかもしれない。
 ところで、私はヴァイオリン協奏曲という分野が苦手である。バロック程度の小編成ならいい。メンバーの中の腕利きが技を披露するという設定は自然だからだ。
 しかし、いくら名手とはいえ、音量の限られているヴァイオリン一挺でフル・オーケストラに対抗するような曲は、すでに発想からして破綻しているように感じられて仕方がないのだ。たとえば、ソロがむやみとコチョコチョ細かい音符を弾き続けるシーン。数十人の前でこんなことやったってねえ、とバカバカしい気がしてくる。ナマで聴けば明らかだが、オケがうるさくなると、独奏はどんどん聴きづらくなる。フォルティッシモではまったく聞こえないことだってままある。逆にCDでは、そのバランスがひっくり返され、独奏ばかりが強調される。なので、ナマでも録音でも、ヴァイオリン協奏曲を聴くのは嫌なのである。ついでに言うと、実はピアノ協奏曲も好きではないが、その理由はまたいつか。
 唯一、独奏ヴァイオリンでもフル・オーケストラに対抗できていると思えたのは、ずいぶん前にパリで聴いた、チョン・キョンファとブーレーズのバルトークの協奏曲。確かロンドン交響楽団だった。このときばかりは、独奏者の圧倒的な強さがオーケストラと拮抗していたのだ。が、むろんこんなのは例外中の例外である。
 さて、とは言いながら、最近思いがけなくもお気に入りのヴァイオリン協奏曲セットが現れたのである。イヴリー・ギトリスが1950年代から60年代にかけて制作した録音をまとめた激安セットだ。
 ギトリスと言えば、ずいぶん高齢になってから日本でも人気が高まった。不良老人という言葉がピッタリくる自由かつ退廃的な雰囲気で、好き勝手に弾きまくる様子が一部愛楽家の熱狂的な反応を引き起こしたのだ。特に、アンコールで小曲を弾いている最中に突然即興を始めたりすると、お客は大喜び。するとギトリスはますます悪ノリ。芸人魂炸裂といったところだ。老人ゆえ当然テクニックは衰えているが、そんなことは関係ないらしく、日本の代表的ヴァイオリニストとされている諸氏にも熱心なギトリス・ファンが何人もいる。ヴァイオリン弾きの琴線にいたく触れる人らしい。
 が、そんなことには関係なく、このセットはすばらしい。30代、つまり全盛期のギトリスがどれほど冴えまくっていたか、老人になってからの彼しか知らない人にはショッキングですらあるだろう。ここでのギトリスは、崩しすぎるということがない。だが、表現の密度はすさまじく、すみからすみまで自分の音楽になっている。まるで指先の練習をしているかのような音型が延々と続く、私が嫌い抜いているチャイコフスキーの協奏曲ですらが、艶やかな歌とやすやすとした軽快感でかつてなく魅力的に聞こえてしまうのだ。自由自在に変化するニュアンス(けれども、あくどくない)、凛々しい低音、そして颯爽とした身のこなし、もちろんヴィルトゥオーゾ風の心地よいくすぐりにも事欠かない。
 ブルッフにしてもシベリウスにしても、弾き始めの2秒程度で、すっかり引き込まれてしまう。堂々かつキッパリしたカッコイイ始まり方のブルッフは、やがて想像以上にロマンティックに歌い上げる第二主題に移行する。こんな音楽を聴かされると、この人、若いときにはさぞかしモテたのでは?と邪推してしまう。すばらしい集中力、高揚感、官能美だ。第3楽章もたっぷりと歌い回すが、音楽に停滞感がないのがいい。
 シベリウスは、ちょっとかすれたように始まる。これが、ひとり河原で孤独にハーモニカを吹くと言った風情で独特だ。が、やがて音楽はヒロイックな強さを帯びてくる。時折感極まったような絶叫もはさまる。まるで1970年代のテレビドラマか劇画みたいだ。たまりません。そして、フィナーレの最後のほうは海にもてあそばれる小舟のように音楽を揺らしてエキサイティング。すっかり夢中になって聴いてしまった。不思議なことにソロがこれだけいいと、オーケストラまで意味深く感じられてくる。こんな演奏を聴かされると、先ほど書いたような、ヴァイオリン協奏曲というジャンルに対する不満などすっかり忘れてしまう。
 メンデルスゾーンは、最初のうちしばらくはややせっかちな感じがするのだが、やがて独特のおもしろさが表れてくる。なんと、まるでジプシーの辻音楽師が弾く踊りのようなのだ。これにはたまげた。もちろんバルトークもフォークロア的な色が濃い。
 その一方でベルク、ヒンデミット、ストラヴィンスキーでは意外にも抑制されたキッチリした音楽を聴かせる。でも、ストラヴィンスキーではそこかしこに諧謔の味があるのが、新古典主義の音楽らしくていい。
 何はともあれ、異才だの奇人だのと言われたヴァイオリニストの見事な弾きっぷりを楽しむのにこれ以上はなかなか得難いセットだ。ヴァイオリンにはうるさい石井宏センセイもこれなら大満足?

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 

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