OKI インタビュー

2010年7月27日 (火)

interview


カラフトアイヌの伝統弦楽器トンコリの奏者 OKI が率いる世界唯一のアイヌ・ルーツ・バンド、
OKI DUB AINU BAND。 前作から4年ぶりとなる2010年新作 『サハリン ロック』 はより深くへ、より内へと突き詰めた感のあるへヴィで密なサウンドに痺れる衝撃の一作!

トンコリの源流に触れるべく訪れたサハリンの地で感じたことや思い巡らせたこと、学校では教えてくれないサハリンアイヌの歴史やワールドミュージック 談義まで、OKIさんによる貴重なお話をじっくりと。


「 僕はどっちかっていうと境界線に立ってる感覚かな。
どっぷりアイヌでもなく、どっぷり日本人でもなく、絶えずどこかの境界線に立たざるを得ない立場で、ある意味どこにも属せない。 」



--- 現在は北海道のどちらに住んでらっしゃるんですか?

旭川の近く。ちょうど真ん中へんだから冬は寒くて夏暑いよ。ただ東京みたいにこういう逃れられない暑さじゃない。周りはみんな暑いのイヤだって言うけど、北海道で暑いってのはありがたいよね。
育ったのは湘南方面。大人になってから北海道に来ました。

--- OKIさんが書かれる歌詞には動物や自然が描かれていますね。

イメージとしては「自然と仲良くやってる」「協調してる」っていうよりも自然と戦ってる感じのほうが強いですね。マイナス20度と寒いから、油断してるといろいろ障害出てくるし。

--- 新作『サハリン ロック』のレコーディング中にサハリン(樺太)に行かれたそうですが、サハリンは何度めですか?

2回目。1回目はユジノサハリンスク[1]に一泊してイベントに出演しただけなので行った感じがしなかったですね。サハリンとのガチンコ勝負は今回が初めてです。カメラマンの伊藤君が「仕事でサハリン行くから一緒にいかない?」って誘ってくれて、「行く行く!」って二つ返事ですすめた話なんだけど。今回のジャケットもサハリンで撮影してきました。

--- ジャケットの写真、漁師さんみたいですね。

そう!これ、ポロナイスク[2]の凍った川の上で立ち釣りしてるんですよ。この下に沈没船とか埋まってたりするんだよね。ちなみにジャケの文字はなんちゃってロシア語です。

--- 寒そうですね。1月ですよね。

とりあえず寒いっすよ。大寒、暦の中では一番寒い時期に行きました。北海道とは雪の質が全然違くて、飛んでくる雪がパウダーっていうより砂みたい。サハリンは緯度が高いから太陽が低くて、太陽光線がいつも正面から照り付けて来る感じ。

--- 「サハリン ロック」のPVの感じですね。

そうそう。あの感じ。


--- サハリンでは毎日どんなふうに過ごしていたんですか?

ユジノサハリンスクからフィロソフォ[3]、シララオイ[4]、北はポロナイスク、その下にタラントマリ[5]っていうところがあって、そこの海岸線の川が海に出会うところにかつてアイヌの集落があったんです。そのあたりを汽車で行きました。

--- 歴史的な背景も含め、サハリンのアイヌとはどんな人たちだったのでしょうか。

サハリンはかつて4、5種族によって住み分けられていた島で、北緯50度線から北はニブヒ、ウィルタという別の民族が住んでいた。1840年代だとサハリンのアイヌの人口は3千人くらいと少ないんだけど、その少ない人たちによって作られたのがサハリンアイヌの文化なんです。
当時、松前藩[6]は海産物・ラッコや黒テンの皮とか北海道の天然資源を年貢として幕府に献上していて、そのためにサハリンで漁場を開いてアイヌを労働力として使ってた。で、荒くれの松前藩はこの島でもアイヌの人権を奪うようなことをし始めるんです。
とはいえ当時アイヌ民族はロシア、中国、北海道、江戸、大阪っていう交易の中継地的な役割を担っていて、サハリンアイヌの実力者であるノテカリマ[7]という人は中国の清の皇帝から正式な交易相手としての認定書を持ってた。それってものすごい権威だったわけで、松前藩の役人でもノテカリマみたいな権力者の前では歯が立たなかった。

自然とともにやってきたアイヌは閉じた世界で素朴な生活をしていたかのように思われてるけど、実際のダイナミズムはそんなもんじゃなくて。
サハリンアイヌの意識の中には常に清やロシア人がいて、南には日本人、近隣には別の種族がいたから、そういう環境の中で揉まれて文化を作っていくんだよね。たとえば元寇。元は間宮海峡[8]を渡ってサハリン〜北海道を中継して本州を攻めようとしたんだけど、それってつまり朝青龍が何百人と押し寄せて来るようなもんでしょ(笑)。それをサハリンアイヌや他の種族が団結して阻止するんです。つまり彼らはは戦闘集団としてもかなり統率がとれていた。

文化的にも北海道アイヌが持ってないようなものを持ってて、例えばトンコリなんかも元々はサハリンが発祥です。

--- OKIさんのご先祖はサハリンアイヌではないんですよね。

うーん・・・遠い昔サハリンアイヌだったとも言うし、ロシア人の血も混ざってるらしいけど、僕はサハリンアイヌではない。ルーツ的には北海道アイヌです。だからあんまりサハリン、サハリンって言うのもおこがましいところがあるんだけど。

僕は日本語を母語にしてるから日本語で考え、英語もしゃべるから英語でも考える。考え方って言葉にすごく影響されるので、僕はどっちかっていうと境界線に立ってる感覚かな。どっぷりアイヌでもなく、どっぷり日本人でもなく、絶えずどこかの境界線に立たざるを得ない立場で、ある意味どこにも属せない。日本人でもアイヌでもない。かたやその一方で、曲がりなりにも十数年トンコリを弾いてきた経歴があって・・・

--- そういえば、今回の旅は「トンコリの源流を訪ねる旅」だったと伺いました。トンコリの故郷としてのサハリンはいかがでしたか。

松浦武四郎[9]がサハリンの探検記の中で、オタサム[10]の町でオノワンク[11]っていう爺さんに出会った時のことを書いてるんだけど、オノワンクはずーっとひたすらトンコリ弾いてたんだって。夜になると浜にトンコリ持ってって、おぼろ月夜の下、黄砂が飛んでくる中で、海をみながら、話のような歌のようなものを語りながら両手十本の指でトンコリを弾いてて、それがすごく良かったと。で、弾き終わって家に帰るとまたトンコリをいじってる。どうしてそんなにトンコリばっかり弾いてるのか、と訊ねるとオノワンクはこう答えた。
「松前藩の漁場が出来てからは、アイヌがそこで働かされ、きれいな女性はみんなお妾さんにされて、幕府も管理出来ない中で松前藩はやりたい放題。アイヌも日本人になれと言われ続け、今やトンコリを弾く奴もいなくなってしまった。だからそれを後世に伝えるためにも、自分はこうやって毎日トンコリ弾いてるんだ」と。

トンコリはもともと男が弾くものだったのが、いつの時代からかアイヌの女性のたしなみになってくるんだよね。
1900年代の初めには西平ウメさん[12]という女性のトンコリの名手が現れるんだけど、ウメさんは僕がトンコリの技術において最も影響を受けているトンコリ奏者。オノワンクの録音は残ってないけど、ウメさんの録音は今も残ってる。彼女はオノワンクのひ孫くらいの世代の人で、オノワンクには会ってないんだろうけど彼の次の世代の演奏は聴いてたんじゃないか、つまりウメさんの演奏の中にオノワンクのリズムの面影が残ってるんだろうな、と思ったわけ。

1840年っていうとすごく昔のことのような気がするけど、今回サハリンに行って、そういった歴史をもっと接近したものとして感じることができた。そんな遠い昔のことではないんだと思いましたね。いろいろ合点がいくっていうか。

『サハリン ロック』の中ジャケの写真はフィロソフォ。オノワンクやウメさんが生まれたところの近くなんだけど、きっとこのへんの浜辺で座ってトンコリ弾いてたんじゃないかと思ってる。そこにトンコリ挿してきた。


やがてノテカリマみたいな有力者が世を去ると、サハリンアイヌ自体が力を失っていくんだよね。
どんどん近代化に向かっていって、船を使えばアイヌを通さなくても交易ができるようになってくる。交易ルートを外れてしまったアイヌは富を蓄積できないし、結果、第二次大戦でサハリンの北緯50度から北の種族はロシア人、南のアイヌは日本人、という扱いになるんです。彼らはもう日本に行くしかなかった。日本語を覚えて天皇崇拝して・・・同化政策ですね。当時の政府にとって、アイヌを日本人化することは日本の国境政策として大事だったんですよ。「日本人のオプションとしてのアイヌが住んでる南樺太は日本の領土でしょ」と。アイヌ問題ってのは民族問題じゃなくて、外交問題なんだよ。

現在のサハリンは190もの民族がいると言われてるのね。北方の民族、ロシア人、朝鮮民族なんかが今でも暮らしてて、交易の中継点だった頃の賑わいは今でもあります。
だけど、そういった歴史の中からサハリンアイヌだけがいなくなってしまった。大事な役者が去ってしまった感じ。

ポロナイスクの博物館でライブをやった時、原住民のおじさんやおばさん、おばあちゃんたちがたくさん来てくれたんだけど、そこに“アイヌだけがいない”っていうことが凄いサウダーヂなんだよね。胸がきゅんとする、サウダーヂみたいな感覚。

僕はサハリンアイヌではないけど、サハリン回帰はこれからどんどん増えてくといいなあと思う。マーカス・ガーヴェイ[13]が「Back to Africa」と言ったように。実際に戻るんじゃなくて、意識の上でね。


(次項へ続きます)


新譜OKI DUB AINU BAND / サハリン ロック
前作から4年。世界のフェスを渡り歩き、遂に到達した人類史上初の “AINU BEAT”!!
パンデイロの魔術師マルコス・スザーノとのブラジル録音、トンコリの故郷・サハリンの地でのフィールド録音を含む前例なき12曲。
⇒ 「サハリン ロック」 のCOOLなPVは必見! (Youtube オフィシャル)
⇒ さらに詳しい特集記事はこちら
新譜マレウレウ / マレウレウ
OKIプロデュース作品。アイヌ語で「蝶」の意をもつマレウレウは、アイヌの伝統的な歌「ウポポ」の再生と伝承をテーマに活動する女子四人組。さまざまなリズムパターンで構成される、天然トランスな感覚が特徴の輪唱などウポポを忠実に再現。ずらしたり追っかけたりしながら歌われるながら生まれる不思議な響きは本当に鳥肌モノ。


  • 注釈
  • [1] ユジノサハリンスク
    サハリン州の州都で最大の都市。
  • [2]ポロナイスク
    [3]フィロソフォ
    [4]シララオイ
    [5]タラントマリ

    いずれもサハリンの都市名。
  • [6] 松前藩
    16〜19世紀。蝦夷地に居所を置いた江戸藩。
  • [7] ノテカリマ
    19世紀頃サハリンアイヌを統率していた実在のアイヌの有力者。
  • [8] 間宮海峡
    タタール海峡。サハリン島とユーラシア大陸(北満州・沿海州)との間にある海峡。地図参照。
  • [9] 松浦武四郎
    1818-1888。幕末の北方探検家。当時のサハリンについては著書 『近世蝦夷人物誌』 に詳しく記されている。
  • [10] オタサム
    フィロソフォの旧都市名。
  • [11] オノワンク
    サハリンアイヌのトンコリの名手。松浦武四郎著 『近世蝦夷人物誌』 に記録されている。
  • [12] 西平ウメ
    サハリンアイヌの女性トンコリ奏者。
  • [13] マーカス・ガーヴェイ
    1887〜1940。ジャマイカにおけるアフリカ回帰運動の提案者で国民的英雄。
  • [14] カンドンブレ
    ブラジル・バイーア州を中心に広まったアフリカ・ルーツの黒人密教。またはその儀礼音楽に用いられるリズム。
  • [15] PERCPAN
    マルコス・スザーノがディレクターを努める音楽イベント。ブラジルで開催。
profile

OKI:
アサンカラ(旭川)アイヌの血を引く、カラフト・アイヌの伝統弦楽器「トンコリ」の奏者。アイヌの伝統を軸足に斬新なサウンド作りで独自の音楽スタイルを切り拓き、知られざるアイヌ音楽の魅力を国内外に知らしめてきた稀有なミュージシャン/プロデューサー。

オキの演奏するトンコリは樺太アイヌに親しまれていた5弦の琴。いわゆる日本の琴との共通点は全くない。トンコリのルーツをたどるのであれば、それは中央アジア、さらに遡ると遠くアフリカの赤道直下「イトゥリの森」であるとオキは主張する。

五弦、つまり五つの音階しかないという意味においてトンコリは現代の、例えばピアノなどと比較すると明らかに劣勢に立たされる。ではトンコリに限界があるかといえばそうとも言い切れない。トンコリの伝統曲「ケント ハッカ トゥセ」はたった5つの音でピアノでは到底表現できない完璧なリズムとメロディを構築している。トンコリをメロディ楽器として認識してしまうと限界はあるが、リズム楽器としてとらえれば可能性は広がる。

オキはトンコリの限界と可能性の中で試行錯誤を繰り返し,これまで1995年に発表したアルバム「カムイ コル ヌプルペ」から2007年の「ダブ アイヌ バンド ライブ イン ジャパン」まで12作品を発表。2005年には伝統曲と正面から向き合い、トンコリだけで録音、制作されたアルバム、その名も「トンコリ」を発表、また、アイヌの天才的歌手・安東ウメ子の2枚のアルバムでは演奏とプロデュースを手がけ、現代に息づくアイヌ音楽として高い評価を受ける。

そしてここ数年オキが取り組んでいるプロジェクトの一つに「ダブ アイヌ バンド」がある。海外のフェスティバル出演の経験から、今日的なマナーであるドラムとベースを導入たダブアイヌバンドは、2005年以降アジア、アメリカ、ヨーロッパなど世界各地をツアーし、また世界最大規模のワールドミュージック・フェスとして知られるWOMADへの参戦(04年オーストラリア、06年イギリス、07年シンガポール)や、日本国内でも数多くの夏フェスに出演(FUJI ROCK、朝霧JAM、RISING SUN ROCK FES、渚音楽祭、SUNSET等)。2010年には待望のニューアルバムのリリースも予定されている。

OKI DUB AINU BAND:
カラフト・アイヌの伝統弦楽器『トンコリ』を現代に復活させたOKIが率いる日本 / 世界唯一のAINU ROOTSバンド。
いにしえの楽器トンコリを大胆にもオール電化し、ベースとドラムで強靭に補強したヘヴィなライブサウンド に、アイヌに歌い継がれるウポポ(歌) の伝承曲やリムセ(踊り)、アフログルーヴ、レゲエ、ロック等が入り混じった越境DUBサウンドで人気を集める。

これまで主に海外フェスでライブ実績を重ね熱狂的に迎えられたサウンドが、アルバム 『OKI DUB AINU BAND』 (06年)のリリースを機に日本上陸。今作 『サハリン ロック』 が4年ぶりの作品となる。

現在のメンバーはTonkori、Guitar、Vocalの“OKI”、Tonkori/Chorusと勇壮なリムセで脚光を浴びる北海道出身アイヌ“居壁 太”、説明不要の日本が誇るグルーヴメイカー Drums“沼澤 尚”とDry&Heavy,Little Tempo Flying Rhythms等でも活躍する”天下一品の働くラスタ”ことDUBエンジニア “内田直之”。

これまで世界最大規模のワールドミュージック・フェスとして知られるWOMADへの参戦 (04年オーストラリア、06年イギリス、07年シンガポール) をはじめアジア、アメリカ、ヨーロッパなど世界各地をツアーし、また日本国内でも数多くのフェスに出演 (FUJI ROCK、朝霧JAM、RISING SUN ROCK FES、渚音楽祭、SUNSET等)。2009年にはRISING SUN ROCK FES初日ヘッドライナーを努めた他、ブラジルで開催されたPERCPANに出演し喝采を浴びる。
2009年11月から2010 年2月までクラブクアトロマンスリー企画を実施。多種多様なゲスト陣(MO'SOME TONEBENDER,サカキマンゴー&リンバ・トレイン・サウンド・システム、OOIOO、OGRE YOU ASSHOLE)との競演も話題となる。

OKI (tonkori/vo/g/b/drs/key/mukkuri)
居壁太 (chorus)
沼澤尚 (drums)
内田直之 (engineer)

トンコリ TONKORI:
トンコリはカラフトアイヌに伝わるアイヌ民族唯一の弦楽器。胴が細長く平べったいため、内部で音が増幅されにくい。弦楽器としては、あまり効率の良い構造ではない。しかしその構造こそがトンコリの音色に不思議な倍音成分を加えている。また、きちんと音の出ないところがトンコリを神秘的で謎めいた存在にしているようだ。そのトンコリサウンドにやられたファンも多い。
5本の弦はすべて開放弦で、ギターのようにフレットを押さえて音程を変化させることができない。和音を構成するには、これまた不向きな作りである。つまり演奏者は5本の弦が発する5色の音をリズムによって刻み、奏でるほかない。弦楽器でありながら、リズムをいかにして生み出すかが演奏上の重要なポイントになってくる。トンコリの伝統曲は、最大5つの音から構成されるきわめて単純なフレーズの繰り返しだ。オキはステージで、この単純なフレーズをひたすら繰り返す。だが、単純であっても単調ではない。たった5つの音の組み合わせの中に、明らかに西洋音楽とは異質の−−そして日本の伝統曲とも別種の−−個性が光っている。
トンコリの原材料はエゾマツやオンコ(イチイ)を使い、弦はもともとシカのアキレス腱やイラクサを細かくよって作られていたが、昭和30年代にはすでに三味線の糸に取って代わられていた。トンコリは女体を模している。てっぺんが頭、糸巻きが耳、天板に空いた穴がヘソ、胴の裏側の弦を止めてある部分は尻。弦の付け根の穴を覆う逆三角形の小さな毛皮は陰毛を表している。

(以上全てオフィシャルサイトより)