フィリー・ソウルに所縁のある著名人にお話を訊く「月刊フィリー」掲載のインタヴュー、このWeb版では冊子には収められなかった発言を含めた拡大版としてお送りします。記念すべき第一回目は、音楽プロデューサーでR&Bの紹介者としても活躍されてきた松尾潔氏。インタヴューは2時間以上に及び、プロデューサーである氏から見たフィリー・ソウル観を、まさに<Ain't No Stoppin' Us Now>なノリで、たっぷりとお話しいただいた。
松尾:グループだったらNo.1はオージェイズ。ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツよりもオージェイズのほうが好きですね。オージェイズは85年の『Love Fever』とかも、名作と言われてないですし、音もチープですけど、大好きで。あと、ソロ・アーティストとしてはテディ・ペンダーグラスということになるかなぁ。このふたつだけ挙げると、フィラデルフィア・ソウルの超初心者みたいな答えですけど(笑)。あと曲単位としては、フィリーのイメージの拡散のひとつとして、例えばアーチー・ベル&ザ・ドレルズの「Don't Let Love Get You Down」が好きだったり。
松尾:
そんなこと書いてましたっけ? 今回、凄く迷って持ってきたつもりなんだけど……好みって変わんないもんですね(笑)。でも、フィラデルフィア・ソウルをどれか一枚って言う時に、これを挙げる人はあんまりないですよね。テディペンってソロは最初の3枚が絶対的で。『TP』はテディペンの中で一番NYっぽいアルバムって位置づけになっちゃう。だから、僕はあくまでNYのサウンドに近しいところでフィリー・ソウルを好きになってきたという感じですかね。どれか一曲と言われれば(次作の表題曲の)「It's Time For Love」なんですよ。ウォーキング・テンポのやつ。あれはシカゴ出身のドラマーのクイントン・ジョセフを介してシカゴ・ソウルと繋がっていて、カーティス・メイフィールドの『There's No Place Like America Today』(75年)とかの、あのリズムでテディペンが歌うわけだから悪いはずがない。ですが、作品集としては『TP』の方が好きなんですよね。僕にとってのキラーと言える「Love T.K.O.」が入ってますし。
松尾:ブルー・ノーツのアルバムは『Wake Up Everybody』(75年)が好きだって言い続けてきたんですけど、最近は『Black & Blue』(74年)とかもいいかな。あと(『To Be True』収録の)シャロン・ペイジとのデュエット「Hope That We Can Be Together Soon」とかも、以前はヤワだなぁと思ってましたけど、最近はシャロンのあの歌い方も珍味として愛せるような寛容さが自分の中に芽生えてきました(笑)。この曲はクリストファー・ウィリアムズとミキ・ハワードもデュエットしてますよね。確かにクリストファー・ウィリアムズはテディペン・フォロワーのひとりでもあるから適役なんだろうし、ミキ・ハワードもシャロン・ペイジより歌手としてのスキルは上なんですが、でもシャロンが歌うブルー・ノーツのヴァージョンの方がいいんですよ。ヘタな良さというか、作り込んでない良さって、やっぱあるんだなぁと。高校生の時は、何でシャロンより上手いシンガーを連れてこないんだろうと思って聴いていたのに、この歳になってみると、少しずつギャンブル&ハフが見てる景色が分かるようになってきたというか。テディの横にいるべき女は熱唱型じゃなくて、こういう女性だろうっていう。双方の魅力が引き立つのはその組み合わせですよね。プロデューサーとしては非常にクレヴァーですよ、ギャンブル&ハフは。歌い手の資質に見合った曲をあてがうというA&R的なセンスが素晴らしい。
――では、フィリー・ソウルのもうひとりの立役者であるトム・ベルはどうでしょう?
松尾:トム・ベルの世界に関して言うと、部分的にはギャンブル&ハフを超える偏愛があるかもしれない。スタイリスティックスの「Break Up To Make Up」なんかはもう最高ですよ。トム・ベルが手がける曲には誰が歌っても素晴らしいという別の良さがありますね。そんな中でも、トム・ベルはリンダ・クリードと組んだ時が一番素晴らしい。もともと僕は日本人のソウル好きとしては歌詞をちゃんと聴いてるほうだと思いますし、自分が作詞をするようになってから、特にこの10年ぐらいは歌詞を吟味しながら聴くことが多いのですが、リンダ・クリードが書く歌詞は特別に思えますね。愛の普遍というものを常に着地点としている。
EXILEの「Ti Amo」は「Me And Mrs. Jones」
――では、松尾さんのお仕事で“フィリー”が薫る曲ってあります?
松尾:例えば、EXILEの「Ti Amo」は、作っている時は自分で思いもしなかったんですけど、あれは不倫ソングですから、ビリー・ポールの「Me And Mrs. Jones」のような曲を聴いてきた蓄積なんだなぁと思って。ストリングスはフィリー仕様ではないんですけど、夜の不倫ソングにストリングスが似合うという自分なりの落とし前でもあるんですよね(笑)。あの曲については結構たくさんのソウル好きな人たちに「松尾さん流の「Me And Mrs. Jones」ですか?」って聞かれましたね(笑)。
松尾:そう聞こえるなら嬉しいですね。実はあれを作る時にイメージしていたのは、シルヴェッティの「Spring Rain」なんですよ。それをあえて「春雨」と訳さずに、日本的情緒を加味して「桜雨」とカスタマイズして。シルヴェッティのあの曲はサルソウルですから、ざっくりとフィリーの流れで聴けるものでもありますよね。あと、「桜雨」に関して言うと、メアリー・J・ブライジとかホイットニー・ヒューストンのような女性シンガーと仕事をしている時のジョンテイ・オースティンみたいな感じをかなり意識したんですよ。ただ、日本のマーケットにはおいては、そういった音像っていうのはイヤー・キャッチの第一歩になりますけど、それよりも歌詞を気に入っていただかないと繰り返し聴いてもらえないですから……。いや、でも、実は日本だけじゃなくフィリー・ソウルだって、リンダ・クリードじゃないですけど、クラシックスとして残っているものは歌詞もいいですよ。それに、例えばオージェイズの「For The Love Of Money」の歌詞、あれを良いと言うのかどうか分からないですけど、言葉としての強さはありますよね。やっぱり、歌詞の世界と音の世界は乖離できない。歌詞と音が渾然一体となって溶け合っているというのが理想的な音楽、理想的な歌モノだと思うんですよ。で、その打率が異様に高いのがギャンブル&ハフやトム・ベルといった人たちだったのかなぁっていう気がしますね。