グレン・コッチェ インタビュー

2010年4月30日 (金)

interview
グレン・コッチェ(ウィルコ) インタビュー


 7年という月日の経過。2003年幕張メッセで行われた「Magic Rock Out」フェスティバルで初めて日本の地を踏んだウィルコ。あれから7年、素晴らしいアルバムは届けられるものの、なかなか実現されることのなかった単独来日公演。そして2010年朗報は届いた。結成15年目という節目を迎える彼らが、遂に大阪と東京でワンマン・ライヴを行う。デビュー・アルバム『A.M.』から『Summerteeth』に向かう新化と迷走の過程、『Yankee Hotel Foxtrot』におけるK点越えの大飛躍、そして、『A Ghost Is Born』から最新作『Wilco(The Album)』に至る自信に満ち溢れた大航海。ローファイ感という青臭い自己陶酔に別れを告げ、それぞれが苦みばしった人生という名のフルーツの皮を剥き始める。ウィルコも僕らも7年前とは勝手が違う。全てをこの目で確かめるために、ということで。

 さて、ジム・オルーク、ジェフ・トゥイーディとのルース・ファーでの共演をきっかけとして、2000年に正式にウィルコに加入したドラマーのグレン・コッチェ。現在ウィルコ以外でも、ジム・オルークとのセッション、オン・フィルモアでの活動など様々なプロジェクトで多才ぶりを発揮するグレン氏に、大阪公演を目前に控えた4月20日都内某所にて、お話を伺う機会をいただきました。

インタビュー/文・構成:小浜文晶  



--- 本日はよろしくお願いします。まずは、色々なところで訊かれていることかと思いますが、あらためて日本の印象というのはいかがでしょうか?

 最高だよ。愛してる(笑)。日本には、1998年にジム・オルークのバンドで初めて来たんだけど、みんな親切だし、食べ物もおいしいし、何をするにも効率が良かったりって、ホント完璧。

--- ウィルコは今回が初の”単独”来日公演となります。初来日となった「Magic Rock Out」フェスからすでに7年が経過してしまいましたね。

 ウィルコでなかなか日本に来れないのにはそれなりの理由があってさ。バンドが大所帯な分やっぱり機材の量もものすごくてね。その辺の費用的な部分がちょっと”足かせ”みたいになってるっていうのは事実かな。 でも、ウィルコと並行して僕がやってるデュオ、オン・フィルモアでは、近々また来る予定にはなっているよ。 京都、大阪、東京、まだこの3都市しか行ったことがないからね。もっと色んなところを見てみたいよ。

--- 他のメンバーより一足早く日本に来られていたそうですが・・・なんでも、新宿のPIT INNでライヴをやっていたという噂を耳にしました。

 僕は一週間前(4月13日)に来て、その週にオン・フィルモアのライヴをPIT INNでやったんだ。同じ週には、ジム・オルークと東京、大阪のBillboardで計6回のショウ(坂田明、青山陽一、YOSHIMI、小池光子らがスペシャル・ゲストで参加した「バカラック・トリビュート」。1日2公演×3日)にも出たんだ。ギターのネルス・クラインも先週の土曜日(4月17日)に日本に着いて、次の日さっそくフィアンセの ゆか(本田ゆか)と一緒にライヴをやっていたんだよ。キーボードのマイケル(・ヨルゲルセン)も奥さんと一緒に来てたし、この3人だけ一足早くやってきて、残りの3人は今日か明日、日本に着くはずだよ。

--- 今回のライヴでは「テーパーズ・セクション」を設けるそうですね。

 そうなんだ。会場中どこでも録音できるようにしておいてね。ただ、最前列で大きい機材なんかで録られるのはさすがに困るけど(笑)。

--- ライヴでは毎回「テーパーズ・セクション」を?

 うん。世界中どこの国でもね。

--- 所属レコード会社にとってはある種のリスクを背負うかたちにもなってしまうのかもしれませんが、カウンター・カルチャーの復権という点でもとても意義のあることだと個人的には思います。例えば2000年代以降、フィッシュやブラック・クロウズといったアーティストたちもかなり積極的に「テーパーズ・セクション」を取り入れていますよね。

 ライヴでは“化学反応”が常だからね。そういう部分では、スタジオ・レコーディングとは違ったものをファンが録音できるということは、とても意味のあることなんじゃないかな。

--- そして、録音したテープをファン同士が交換してコミュニケーションをはかる、と。

 ウィルコ、フィッシュ、ブラック・クロウズにしても名前はよく知られているけど、その割にはラジオでかかる回数なんてたかが知れているところはあるからね(笑)。だから、そういったトレードを通じて僕らの音楽が広まっていってくれたらうれしいなって思うし、ウィルコがウェブサイトで先行フリーダウンロードをしているのはそのためでもあるんだ。

 要は、僕らは別に金持ちになりたいからじゃなくて、多くの人たちに自分たちの音楽を聴いてもらいたいから音楽を始めたんだってことだよね。

--- それでは、昨年リリースされた最新アルバム『Wilco(The Album)』についてお伺いします。 まずは、何からお訊きしようかなというところで・・・なぜ、“らくだ”なのでしょうか?(笑)

 分かんないよ(笑)・・・なんで? ダメだった?(笑)

--- いえいえ、なぜだか妙にハマっていますよ(笑)。

 でしょ(笑)。らくだの“稼動”が可能だったから、「じゃあ、やろう」って(笑)。

--- (笑)。 共同プロデューサーには、古くからお付き合いのあるジム・スコットを登用されていますよね。

 ご存知のとおり、ジムは『Being There』や『Summerteeth』、ライヴ盤の『Kicking Television』のミックスをやっていたりするんだけれど、昨年リリースした 7ワールズ・コライドのアルバムでも一緒にやっていたんだ。7ワールズ・コライドっていうのは、クラウデッド・ハウスのニール・フィンが中心となって活動している、Oxfam International(オックスファム・インターナショナル=貧困の克服を目指す国際的団体)をサポートするプロジェクトでね。メンバーには、僕らウィルコの他にも、ジョニー・マー(スミス〜ザ・ザ〜クリブス)やレディオヘッドのエド・オブライエン、フィル・セルウェイなんかも参加しているんだけど、昨年その全員がニュージーランドに集まってライヴをやり、チャリティ・アルバムを作ったんだ(『Sun Came Out』)。実はそのアルバムのプロデュースをジムが手掛けていて、その時のレコーディングがあまりにもいい雰囲気だったから、僕らウィルコ組はそのままニュージーランドに1〜2週間ほど残ってさ。そこでアルバム『Wilco(The Album)』のベーシックな部分をジムと作り上げたんだ。

--- 収録曲の「Sonny Feeling」や「You Never Know」には、すごく“ジョージ・ハリスン的”な匂いが感じられたりもしたのですが、このアルバムの制作過程においては、そのジョージの作品だったり、70年代の少しレイドバックした音を意識していたところもあったのでしょうか?

 「You Never Know」は、もろジョージ・ハリスン(笑)。ギター・フレーズなんかには、「My Sweet Lord」からの引用がしっかり入ってるよ。この曲に限って言えば、12弦ギターを使って2日足らずで仕上げたもので、完成してみてやっぱり 「あぁ、ジョージっぽいね」ってみんなで言ってたりしてたよ(笑)。

 「Sonny Feeling」や「I’ll Fight」なんかは、どちらかというとボブ・ディランっぽいかな。 『John Wesley Harding』あたりのね。

--- 今、ジョージ・ハリスンやボブ・ディランという名前も出ましたが、ウディ・ガスリーのトリビュート、グラム・パーソンズ/フライング・ブリトー・ブラザーズなどへのオマージュやそのアティテュードを受け継いでいるような点からも、ウィルコのみなさんには、彼らの音楽を次の世代に伝えていきたいという特別な意気込みみたいなものが強くおありなのでしょうか?

 たしかにバンドの初期には、今挙がったようなアーティストの影響は強くあったとは思うけど・・・それでも、例えばカンだったり、キャプテン・ビーフハートだったり、それこそノイズ系の作品だったりって色んなアーティストの影響を受けてきているよ。今じゃ6人でやってるわけだから、当然6人それぞれの音楽的嗜好が要素になってバンドに反映されているよね。

 ただ、突き詰めるとやっぱりフォークが基本になっていて、その上に色んな要素が加わっているんだと思う。だから、ウディ・ガスリーだとかの曲は純粋に大好きで取り上げているだけであって、そこに特別な意味合いはなかったりするんだけどね。

 まぁ、ウィルコっていうバンドが「アメリカっぽいよね」って言われることは確かだしね。しかも、僕らを含めて今名前が挙がったのは全部アメリカのアーティストだったりするわけで。だから、多分僕らがアメリカのトラディショナル・フォークやカントリーなんかの文脈の中にいるってことは間違いないと思うよ。

--- グレンさんも幼い頃からそういったトラディショナルなフォークなどに親しんで育ってきたのですか?

 もちろんビートルズ、ストーンズ、ツェッペリンなんかをみんなと同じように通ってはきたけど、それでも同時にフォークやブルースもよく聴いていたから、”まわりまわって”っていう感じになるのかな。

--- そうした中で、グレンさんが後にジム・オルークさんと一緒に演奏するようになったきっかけというのは?

 最初は、単に彼にお願いされたんだよね(笑)。たしか、僕がどこだかのライヴ・ハウスで、ドラムを叩いていたっていうよりは、わりと実験的な演奏をしていたのをジムがたまたま観ていて、そこで「是非レコーディングに参加してくれないか」ってお声がかかったんじゃなかったかな? そこで、プレイもそうだけど人間的にもかなりウマが合ってね。そこから一緒にやるようになったんだ。

--- それはもちろん地元シカゴでのお話ですよね?

 そうだね。1997年ぐらい。

--- その頃からジェフ・トゥイーディさんをはじめウィルコとの交流はあったのですか?

 いや、全くなかったよ。ジムを通じて知り合ったんだ。ジムとジェフが一緒にバンドを始めるっていうところにたまたま僕が呼ばれてね。それがルース・ファーだったんだけど。その流れでジェフに「ウィルコに入らないか?」って誘われたんだよ。

--- その時は二つ返事でOKを?

 その頃ウィルコには長年叩いていたドラマー(ケン・クーマー)もいたから、即決はできなくてかなり迷っていたんだけど、そのルース・ファーでのセッションだったりで一緒にプレイしている時、すごく自由にやらせてもらえたし、フィーリングもぴったりだったんだよね。でまぁ、そういうところで最終的には、自分の音楽的成長にもなるかなって考えて加入することに決めたんだ。金銭的なことだけを考えたら、それはすぐにでも「お願いします」ってなるだろうけど(笑)、やっぱり音楽的な面での相性っていうのがいちばん重要だからね。

--- そうしてグレンさん、ジム・オルークさん(プロデューサー/ミキサーとして)がウィルコに加わったことで、『Yankee Hotel Foxtrot』や『A Ghost Is Born』などを聴くと明らかですが、ウィルコは音楽的に格段の進化や飛躍を遂げたなと感じるのですが。

 ジムに限って言えば、たしかに彼のバンドへの影響力はかなりのものがあったよね。ただ、僕に関しては・・・ウィルコ自体もちょうど新しい方向に舵をきろうとしていた時期だったから、そこにたまたま僕がハマっただけなんじゃないかって思ってるよ。

--- これはファンだけじゃなくて、ウィルコのメンバーみなさんもお感じになっていることかもしれませんが、ちょうどグレンさんが加入された時期に、それまでの所属レーベルとの意見の違いで、NONSUCHレーベルに移籍することになりましたよね? 色々と大変だったかとも思いますが、ウィルコのバンド・カラーにかなりフィットしたレーベルだと思いますし、結果的には良かったのかな、と。

 NONSUCHは、ブライアン・ウィルソン、ジョニ・ミッチェルのような素晴らしいアーティストの作品もそうだけど、クラシック、ワールド・ミュージック、現代音楽のような作品まで幅広くリリースしているレーベルだし。何よりすごく自由にやらせてくれるからね。本当にいいレーベルだと思うよ。

--- では最後に、ウィルコの活動が今年で15年、グレンさんが加入してからは10年。ちょうど節目の年を迎えたということもふまえて、ここからのウィルコの展望なりをグレンさんはどのようにご覧になっていますか?

 まずは、今の6人は最高のメンバーだってこと。もう5年も一緒にやっているからね。で、この『Wilco(The Album)』には、今までの全てのアルバムでやってきたことや、もっと言えばメンバーそれぞれの人生なんかが集約されているって言い切れる。でも、7月にニュー・アルバムのレコーディングに入るんだけど、そこでまた振り出しに戻って新しい章が始まるわけだから、それまでのウィルコとは決別する感じになるよね。振り返らないっていう点で。

 僕らはいつもコンセプトとかを描きながらスタジオに入るってことはしないんだ。自然にレコーディング・セッションをして、そこでできあがったものの方向性に沿っていくって感じだから、実際そのときになってみないと判らないっていうのが本音かな。



【取材協力:SMASH/WARNER MUSIC JAPAN】



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