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「リヒテルに息を呑む」

2010年1月18日 (月)

連載 許光俊の言いたい放題 第174回

「リヒテルに息を呑む」

 前回激安オペラCDについて述べた。その際、「私だったら、音がいいかもしれない高いCDよりは、安いCDをたくさん買うだろう」というようなことを書いた。その舌の根が乾かぬうちとはまさにこのことなのだが、今回は高いけど高音質を追求しているというxrcdについて記そう。
 この手のCDには、「こうだから音質が向上した」という能書きが詳しく記されているのが常だが、私はほとんど読まない。そういうのは料理の下ごしらえのようなもので、どんどん勝手にしてください、である。結果がすべてだ。
 xrcdとして発売されたあれこれを聴いたが、正直な話、そのすべての音がすばらしいとは思わなかった。情報量が多いことは間違いないのだが、聴いて嬉しい音かと言えば、そうとは言い切れない。概して高音がきつすぎるように聞こえる。もちろん装置との相性も大いにあるだろう。穏和な音を出す装置で聴いたほうが明らかにいい。
 文句なく、これは絶対にお薦め!と思ったのは、リヒテルが弾いたベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番だ。これは私の家で聴いても音質が好ましく、それに何より演奏が圧倒的だったのだ。
 伴奏はミュンシュ指揮ボストン交響楽団。私は以前からこの指揮者が苦手で、どうしてこうも威圧的に、ビュン!という感じで音を出したがるのだろうと思ってきた。最近ではパリ管とのライヴの「幻想交響曲」が発売されて話題になった。あれも好きな人にはたまらないのだろうが、私にはピンとこない。ナマで聴けばそれなりに圧倒されたとは思うが。なので、この伴奏についても特に褒めたいとは思わないが、音質が生々しくなったぶん、演奏者の息づかいがより生々しく伝わっていることは間違いない。楽器が目の前にあるように聞こえるのも、好きな人は嬉しいだろう。
 ひとしきりこの管弦楽を聴いたあとでピアノが弾き出すと別世界が始まる。あまりの美しさに息を呑んだ。すばらしくなめらかで均一な音のつらなりの見事さ。現代ピアノの到達点だろう。そして、落ち着きはらった、何が起ころうとも微動だにしないといった様子にも打たれた。まさに一級品の味わいである。吉田秀和氏なら中国の陶器にたとえたくなるだろう。
 かつて(つまり、巨匠という言葉が安売りされていない時代)には、こういうのを巨匠の演奏と呼んだのである。名ピアニストというといろいろ名前が挙がるが、リヒテルがその中でも別格だとよくわかる。第1楽章のカデンツァは神品。澄み切ったトリルといい、端正なリズムといい、なめらかなレガートといい、ひれ伏したいような気高い美の輝きに圧倒される。第2楽章の冒頭も同様だ。
 このピアノが聖ならば、時々突っ込んでくるオーケストラは俗。コントラストが残酷なまでに鮮やかだ。第3楽章冒頭など、イケイケで暴れ出すミュンシュ、「あら、わたくし、あの方は存じ上げませんの」と高級お姫さまぶりを示すリヒテルの対比が可笑しい。
 こんなにも美しくリヒテルの音が再生される例は、そうはないのではないか。この音質で彼の音楽をもっと聴いてみたい。実はいつも思っていることなのだが、リヒテルやミケランジェリといった人たちの録音はどういうわけか今ひとつ音質の点で満足がいかないことが多いのだ。xrcdは3800円、激安オペラがいくつも買えそうな値段だが、このリヒテルを聴くためだったら、損はない。

 マルティノンがシカゴ響を振ったラヴェル集もなかなかである。両者は相性が悪く、関係が長続きしなかったと言われているが、これを聴くと、マルティノンがアメリカで活躍したヨーロッパの他の指揮者たち、たとえばこのシリーズに含まれている人で言えば、ラインスドルフやライナーなどより、よほど突っ込んだ音楽、繊細な音楽をやろうとしていたことがわかる。フランスのオケと同じ表現性を求めているのである。ライナーあたりと比べてごらんなさい、弦楽器など、かなり本場っぽい音を響かせているではないか。「序奏とアレグロ」も相当艶めかしい。うまくいっているところは実にきれいだ。
 たぶんマルティノンが是が非でもこういう音楽をやりたかったので、オーケストラと行き違ったのだろう。「マ・メール・ロワ」では、フランス的美観に疎いオーケストラの鈍さが露呈されてしまっている。
 すべてが完璧ではないが、予想外に楽しめた。この盤も、音質が好ましい。。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 

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