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アンティークス タミゼ 吉田昌太郎さん インタビュー 

2010年1月19日 (火)

interview
吉田昌太郎さんインタビュー

何百冊という新刊書籍が毎日のように登録されていく中で、ある日、目をひくタイトルがありました。『糸の宝石』。
その本は、恵比寿の骨董店「アンティークス タミゼ」の店主・吉田昌太郎さんが、フランスの蚤の市で出会い、持ち帰ったレースを収めたもので、出版に合わせてちょうど展覧会が行われていることがわかりました。この本には何かがありそう、という予感を抱きながら会場へ足を運ぶと、そこには繊細な手しごとの数々が、吉田さんの手によって並べられていました。
今まで、レースは白いからこそ美しさを感じるように思っていた私は、色も褪せたレースの美しさに驚きました。時を経て、様々な人の手に引き継がれてきたものが持つ美しさに触れた気がして、もっと知りたいという気持ちが湧き、会場にいらした吉田さんにその場でインタビューを申し込んだのでした。
後日、吉田さんのお店へ伺い、『糸の宝石』について、古いもの、ご自身のお店に対する想いを聞かせていただきました。



--- 『糸の宝石』に収められているレースは、本当に美しくて驚きました。まずは、このレースを見つけたときのことを教えていただけますか。

 買い付けの時は、いつも「何を買う」という目的を持たずに行っているんですね。
大雑把に「あれが買えたらいいな」というのはあるんですが、それよりも「出会い」で目にぱっと入ってきたものを買うんです。
その時も、そんな風に買い付けに行ったフランスの蚤の市で、焼物やらガラスやら、色々な物が溢れる中で、あるお店のテーブルの下にダンボールがあって、そこにレース編みが貼り付けられた紙片や、参考にしたであろう当時のファッション雑誌がまとめてごっそりと入っていたんです。
こういったレースのサンプルは、珍しいものではなくて、バラバラでだったら、額装されて売られていたりするんです。でも今回は、たまたままだバラバラになる前の仕入れたままの状態だったんですね。
こういうレースが好きな人に譲ることは簡単なんですけど、それだとその人しか楽しめないので、独り占めさせるには勿体ないなぁと思って、本にすることで、色々な人に楽しんでもらいたいなぁと。

--- ダンボールに入っていた封筒から、このレースはフランス中部に住んでいたランジュロン一族のものだと考えられるとのことですが、元の持ち主がわかることはよくあることなんですか。

 骨董の世界では、有名な誰々が持っていたというのは価値としてはありますよね。
でも僕は、価値ではなくて背景、時代のストーリーを求めているんです。
僕のお店は、ただ物を売るっていうよりも、その周りにある背景もセットで売っているような感じなんですね。ちょっと傷があったり、欠けていたり、でもそこに味があって絵になっているとか、昔の人が使ってきた空気や色が残っているような物を見つけてきているんですね。
『糸の宝石』も、ただ商品を紹介するだけじゃなくて、家族の歴史をまとめることで、このレースが生まれた背景や、見つけたときの喜びとかも一緒に本にこめられるんじゃないかなぁって思ったんです。

『糸の宝石』より (写真 島隆志)

--- アンティークレースの鑑定士から、このコレクションは奇跡と言っていいほど、と評価されていますね。

 こんな風に一家のコレクションがごそっと、いい状態で残っていて、しかも東洋人が見つけたことにびっくりしたんでしょうね。
現代では再現しないような編み方も含まれているから資料的にも面白いと認めてもらいました。
すごくマニアックな人から見たら、これは大したものではないかもしれないけれど、僕は価値というよりも色や佇まいで物を見ているので、もしノートの大きさがちょっとでも大きかったりしたら買っていなかったかもしれない。ノートのサイズも、文字のレイアウトも、レースのサンプルも、全てのバランスが、とにかくきれいだったんですよ。

--- そのレース100点は、特装本として、それぞれ色々な人の手へ渡りましたが、そこまで吉田さんが全てのバランスがいいと思うような貴重な物を、バラバラに手放したくないと思うことはありませんでしたか?

 本にまとめて、ひとつの形にしたからいいんですよ。
このレースを作ったであろうランジュロンさん達に対しても、「きれいにまとめて、記録として残しましたから心配しないでください」と、言い訳ができるわけです。
僕は代筆みたいなものです。

--- 以前、友人がこちらに伺った時に、吉田さんが「古ければいい」というお話をされていたのを耳にしたそうですなんですが、くわしく聞かせていただけますか。

 僕は基本的に古いものが好きなんです。古いものに負けないくらい忠実に再現してくれていれば、別に新しいものでもいいんですけどね。土の中に埋めた現代作家のものと本当に古いものと見分けが付かないなっていうくらいのものだったら逆に喜んで買っちゃうと思いますけど、今あるものは、古いものをまだ超えていないんですよね。
僕は別に、新しい個性を求めていないんです。古いものの中の美しいものを探しているんですね。
もちろん新しいものでも、「これ使いやすいな」とか「きれいだな」っていうものはもちろん受け入れますけど・・・だから「古ければいい」というよりは、「今のところは古いもので間に合っている」っていうことなんですよね。

--- 「古いもので間に合っている」という表現は新鮮です・・・! 吉田さんは、骨董屋の前に色々な職業を経験されたそうですね。

 美術学校を出た後、グラフィックデザインの仕事や、彫刻をしたり、本屋でバイトしたり、模索していましたけど、その頃はまだ何をやったらいいのか自分でもわからなかったんですよね。
それで、ある時に、古いものを見つけてそれを提案して売るっていうのもひとつのクリエイトのかたちだなって気が付いたんです。
デザイナーは頭にイメージしたものを形にしているので、僕はステップを多少手抜きしてはいますけど、先代の誰かが作ってきたものを、自分の目線で選び出してまた転売するっていうことも、良いものを生み出すというゴールは一緒じゃないかなと。
例えば、清涼飲料の会社が新製品を出して、ボトルやラベルのデザインを新しく考えるけど、僕はすでにあるものの中で形がきれいだったり、ユニークなものを提案しているわけであって、それがたまたま発表の場がコンビニか、骨董屋かの違いであって、クリエイトするという点では一緒なんです。

                                  

『糸の宝石』 吉田昌太郎
新刊『糸の宝石』(ラトルズ) 吉田昌太郎
 
“アンティークス タミゼ”店主の吉田昌太郎さんが、パリの蚤の市で見つけた箱。
そこには、レース編みが貼り付けられた紙片や手芸雑誌を綴じたものなどが、ごっそりと放り込まれていた。
かつて西洋では宝石とならぶステイタスであったというレースの歴史とともに、ある一家の物語にも思いを馳せることができる、美しいものの記録。


profile

吉田昌太郎

  1972年、母の実家である東京で生まれ、栃木の黒磯でキャンプ、釣り三昧で育つ。
18歳で東京に移り美術学校で工業工芸デザイン(テキスタイル、陶芸)を学び、卒業後テキスタイルデザインの会社を経て、その後いくつかのアルバイトを重ね(彫刻、グラフィックデザイン、本屋など)、1996年から骨董屋にて4年間修行する。
2001年より麻布十番にて「antiques tamiser」(アンティークス タミゼ)をオープンさせる。
2005年、現在の恵比寿に移る。
2009年秋栃木県黒磯駅前に「tamiser kuroiso」をオープン。 黒磯と東京を行ったり来たりの生活がはじまる。

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