天才ギタリスト アラン・ホールズワース追悼記念〜ソロ作品13タイトル高音質CDリイシューコレクション
2017年に急逝した孤高のマエストロ、世界が認めた天才ギタリスト、アラン・ホールズワースの主要アルバム13タイトルを追悼記念として高音質Blu-spec CD仕様で復刻。
アラン本人が生前に監修した2016年リマスタリング音源を使用しており、マニアには垂涎のシリーズだと断言できるだろう。オリジナルスタジオアルバム11タイトルと1990年の来日公演を収めたライヴアルバム、さらには2枚組の最新ベストアルバムの全13タイトルを一挙同時発売。
■ 『アイドロン〜アラン・ホールズワース・コレクション』 (2017)
■ 『ベルベット・ダークネス』 (1976)
■ 『I.O.U.』 (1982)
■ 『メタル・ファティーグ』 (1985)
■ 『アタヴァクロン』 (1986)
■ 『サンド』 (1987)
■ 『シークレッツ』 (1989)
■ 『ウォーデンクリフ・タワー』(1992)
■ 『ハード・ハット・エリア』 (1993)
■ 『ナン・トゥー・スーン』(1996)
■ 『ザ・シックスティーン・メン・オブ・テイン』(1999)
■ 『フラット・タイア』(2001)
■ 『ゼン! ライヴ・イン・トーキョー1990』(2003)
Allan Holdsworth (アラン・ホールズワース)
60年代末、20代前半のときには地元の音楽クラブに出演し、チャート系のヒット曲を演奏するギグを行なっている。1968年、デイヴ・フリーマン、ミック・スケリーと共に最初のグループ、イギンボトムを結成。この当時の演奏はDeramレーベルから発売され、今日聴くことができる。
やがてマンチェスターに移ったアランは、ヴァイオリン演奏をはじめ、この地でハイテンションなベーシスト、グラハム・コリアのワークショップで演奏することになる。
数ヶ月でロンドンに移ったアランは、今度はイアン・カー、ジョン・ハイズマンなどの優れたミュージシャンたちと知遇になった。ロンドンでのアランは様々なグループに参加、ギルガメッシュ、ナショナル・ヘルス、ジャミー・ミュアーなどと共演。
1972年6月、コロシアムのドラマーだったジョン・ハイズマンのニューバンド、伝説のテンペストに加入。さらにゲストとしてニュークリアスの『Belladonna』やゴードン・ベックの作品にも参加している。その後、ロンドンのジャズシーンに復帰したアランは、ニュークリアスでヨーロッパ〜英国内をツアーしている。
1973年、ソフトマシーンのメンバーとジャムセッションを行なったアランは、それ以降時おりゲストとして彼らのバンドに参加、同年のクリスマスの日に正式メンバーとなる。翌1974年7月には『Bundles』のレコーディングに参加している。
1975年、マイルス・デイヴィス・バンドを退団したトニー・ウイリアムスからライフタイムへの参加オファーを受けてアメリカに渡る。『Believe It』、『Million Dollar Legs』はその時の成果を記録した必聴盤。超絶技巧ギタリスト、アラン・ホールズワースの名をジャズファンに印象付けたのもこの作品からだ。
やがて初リーダー作品『Velvet Darkness』を発表。当時はそこまで話題に上らず、またアラン本人は「本作は正式な許可がないまま発表されたものであり、自分の作品の目録に加えられるべきではない」としているが、このアルバムには、アラン・パスクァ、アルフォンソ・ジョンソン、ナラダ・マイケル・ウォルデンなど当時最高のリズム隊が名を連ねている。
その後、再びカンタベリー音楽シーンと交流してゴングに参加。1976年の夏に『Gazeuse』を録音後、ツアーに参加するが結局ゴングは解散。1977年、アランは多くのセッションに参加して次々と印象的なプレイを残すこととなる。ビル・ブラッフォード『Feels Good To Me』、ジャン=リュック・ポンティ『Enigmatic Ocean』、ゴードン・ベック『The Things You See』、ジョン・スティーヴンス『Touchig On』がそれにあたる。
1979年春のツアーの後、アランはブラッフォードを脱退。ジャック・ブルース、ジョン・ハイズマンと最高のバンドを結成するも残念ながら作品化はなされていない。その後、相性のいい相棒となるドラマーのゲイリー・ハズバンドと出会い、ニュークリアス時代のメンバー、デイヴ・マクレエ(key)が参加して、自己のバンド、アラン・ホールズワース&フレンズを結成する。
一方でジャズ系のセッションも並行して行ない、1980年、ゴードン・ベック、ジェフ・クライン、ゲイリー・ハズバンドと共に日本でもヒットした『Sunbird』を録音。また同時期には、ソフトマシーンのラストアルバム『Land Of Cockayne』にも参加している。
1981年、ポール・カ−マイケル(b)、ゲイリー・ハズバンド(ds)、ポール・ウイリアムスによるI.O.U.を結成。1982年カリフォルニアへと移住。ドラムはハズバンドのほか、チャド・ワッカーマン、ヴィニー・コイヤタ、ベースにカーマイケルのほか、ジェフ・バーリン、ジミー・ジョンソンが参加、さらにキーボードはスティーヴ・ハントなどが参加。『Road Games』(83)、『Metal Fatigue』(85)、『Atavachron』(86)、『Sand』(87)、『Secrets』(89)など、80年代を通して多くのアルバムをリーダー名義で残している。
さらに90年代に入っても、『Wardenclyffe Tower』(92)、『Just For The Curious-Instructional』(93)、『Hard Hat Area』(94)、『None To Soon』(96)、『I.O.U.Live』(97)、『The Sixteen Men Of Tain』(99)など、多数のリーダーアルバムをリリース。2000年代に入っても活動は衰えず、『Flat Tire』(2001)、『Live At The Galaxy』を発表し、ますます超絶技巧健在ぶりを印象付けた。
アラン・ホールズワースはその卓越した技巧に加えて、ジャズ、ロックの両シーンを文字通りクロスオーヴァーしながら活躍。同郷のジョン・マクラフリンと並び、両ジャンルを代表する最高のギタリストとして多くのギターファンから愛された。