映画『男と女』の歌手 ピエール・バルーが死去

Pierre Barouh

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クロード・ルルーシュ監督による1966年の名作フランス映画『男と女』のテーマ曲の歌手として広く知られるピエール・バルーさんが12/28に心臓発作により死去されました。享年82歳。心よりご冥福をお祈りいたします。


【追悼】ピエ−ル・バルー(HMV&BOOKS商品部 山本勇樹)


12月29日の朝、突然の知らせでした。ピエール・バルー、享年82。フランスが世界に誇る音楽家であり、俳優であり、詩人。実は、今年の10月に、彼が主宰するサラヴァ・レーベルの50周年を記念して、HMV&BOOKS TOKYOで、妻のアツコ・バルーさん、DJの大塚広子さん、そしてピエールさんと長年のお付き合いのあるコア・ポート・レーベルの高木洋司さんをお迎えして、トーク・イベントを開催したばかりでした。その時は、やはりお歳のせいか足腰は弱っているように見えましたが、それでもトークの最中にはサプライズで歌ったり、そのまま客席をまわりファン・サービスをしたり、元気なご様子でした。音楽や映画について話している時の、その少年のように純粋な瞳は、今でも忘れられません。来日時は、映画「男と女」のリマスター公開のイベントに出席したり、ステージに立ったり、精力的に活動していたということで、ただただ今回の訃報に驚いています。

Pierre Barouh
山本勇樹(HMV&BOOKS商品部)/ 大塚広子(DJ)/ ピエール・バルー / アツコ・バルー / 高木洋司(コア・ポート) 左から(※敬称略)

私がはじめてピエールの音楽に触れたのは高校2年生、それは毎週エア・チェックしていたラジオ番組で流れてきた「Vivre」でした。独特のフランス語の響きに、めくるめくジャジーな展開、何とも言えないアナログな手触りが印象的で、当時、フレンチ・ミュージックといえばフランス・ギャル、ボサノヴァといえばアストラッド・ジルベルトぐらいしか知らなかった自分には、とても刺激的な音楽だった事を憶えています。その後、彼がサラヴァ・レーベルを主宰していることや、ブラジルに渡ってバーデン・パウエルやヴィニシウス・ヂ・モラエス、エリス・レジーナと交流していたことなどを知り、ピエールの音楽を通して、自分の音楽地図が豊かなに広がっていきました。

サバービアの橋本徹さんが監修を手がけた『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』の2枚が発売された2001年(同年にHMV渋谷店に入社しました)、当時のブラジル・ミュージック〜カフェ・ミュージックのブームも相まって、ピエール・バルー〜サラヴァの評価がさらに認知されていったのを肌で感じました。少しずつ、部屋のレコード棚には、ピエールさんとサラヴァの作品が増えていきました。中でも最も好きな一枚は、1970年にドミニク・バルーを吹き込んだ『La Transatlantique』という7インチで、これ以上に親密でロマンティックな曲は他に知りません。ディスガイド本『クワイエット・コーナー』に、寄せて頂いた高木さんの言葉を借りるなら――「これはもう70年代モンマルトル時代のサラヴァのイメージに色濃く投影される。アベス小路の石段あたりでふと彼女の歌声が響きわたるという妄想。白昼夢の音楽。」

2012年には、幸運にも『SARAVAH for Quiet Corner』のコンピレイションCD(※現在は廃盤)を選曲する機会を得て、自分なりのサラヴァへのリスペクトを形にできました。その御礼を伝えようと、ピエールさんにCDにサインも書いて頂きました。ずばりサラヴァの魅力は、その幅広い音楽性と独特の美意識にあります。フレンチ・ミュージックとブラジル/アフリカ/ジャズ/フォークの素敵な出会いによって生まれた素晴らしい作品たちは、ピエール・バルーの自由な感性そのものと言えます。

あらためてピエール・バルーさんが遺した、たくさんの素晴らしい作品に心から感謝をささげると共に、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


<ピエ−ル・バルー(PIERRE BAROUH)プロフィール>


歌手、俳優、詩人、作曲家、映像作家、レコ−ド・プロデュ−サー。 1934年2月19日、パリ郊外のルヴァロワ生まれ。両親はイスタンブ−ルから自由の地を求め移住してきたユダヤ系移民。少年期、戦争により預けられていたヴァンデの農家の生活からその後の作品に影響する多くのインスピレイションを受ける。14歳の時にはギタ−を抱えて世界を放浪する。音楽とスポーツは言語も国境も越えるコミュニケーション・ツール、と語るピエール・バルーはその2つの才能を駆使し(バレーボールでナショナルチームに選抜されるほどだった) 、30才になるまでその放浪生活は続いた。

1959年、リスボンで聴いたブラジル人ミュ−ジシャン、シブ−カの演奏をきっかけにブラジル音楽にのめり込んでいく。その後出会った故バ−デン・パウエル(ブラジル音楽最高のギタリスト)との親交は、ピエ−ルのキャリアの中でも特別なものを持つ。そしてピエ−ルはフランスに初めてボサ・ノヴァを紹介した人物としても知られている。バ−デンと共作した「サンバ・サラヴァ」という曲は世界中に衝撃を与えた名曲として今なお愛され続けている。 1962年秋にはテネシ−・ウィリアムスの「ガラスの動物園」で俳優としてもデビュ−した。

そして1965年に映画監督クロ−ド・ルル−シュの誘いで映画『男と女』に出演、劇中主題歌も担当する。製作にあたって資金繰りに苦労したが映画はカンヌ映画祭でグランプリ、サントラ・アルバムも世界中で大ヒットとなる。ハリウッド俳優級の生活を手にするが「スターのゲットーは嫌い」とあっさりその生活を捨て、数々の名曲を生みだす吟遊詩人であり続けている。 この映画で成功した資金をレコ−ド製作に惜しげもなく注ぎ込み始めるため1965年サラヴァ・レ−ベルを設立する(これは結果的にフランスで最も古いインディペンデント・レ−ベルとなった)。それに並行して1968年には映画『白い恋人たち』の音楽も担当する。

才能がありつつも、表現する機会を得られなかったア−ティストたちにチャンスを与えることとなったサラヴァには、国境を越えた多くの才能あるア−ティストたちが辿り着き、巣立っていった。当初はメディアやマスコミから無視されたが、ピエ−ルの情熱によって次第にファンを(世界中に)獲得していく。当時の代表作としては「ブリジット・フォンテ−ヌ/ラジオのように」(1970)、「ピエ−ル・バル−/サ・ヴァ、サ・ヴィアン」(1971)があまりにも有名であり、現在もロングセラ−を続けている。

以後、経営危機に陥ったこともあったが80年代から始まる日本音楽シ−ンとのコラボレイション(坂本龍一、高橋幸宏、鈴木慶一、清水靖晃他)もあり、90年代に入ると再びレ−ベル運営も安定し、新作も次々と制作されるようになっている。そして気がつくと世界中に蒔かれたサラヴァの種子、フィロソフィ−に共鳴するものは今なお増え続けている。特に日本では多くの支持者がいることで知られている。

ここ数年はサラヴァのアルバム・プロデュース、フランスとケベックでのコンサート・ツアーを中心に幅広く活動中。他にはクロード・ルルーシュ監督映画『愛する勇気』(2005年仏公開)に楽曲提供&友情出演、「フランスにおけるブラジル年」(2005)でホベルト・メネスカルやジルベルト・ジルらと多数のイベント出演、サラヴァ創設40周年記念コンサートをフランス40ケ所で実施(2006)等。日本では中村善郎とヤヒロトモヒロとの全国ツアー、フィルム・フェス開催、世界初の著作本『サ・ヴァ、サ・ヴィアン』(求龍堂)を日本のみで発売(2006)。

2007年には最新作『ダルトニアン』を発売。同年9月17日に恵比寿ガーデンホールで15年ぶりの東京公演(ホールコンサート)"ピエール・バルー コンサート2007 〜航海日誌〜カルネ ド ボール"を行う。スペシャル・ゲストとして高橋幸宏、カヒミ・カリィも駆けつけ大きな話題を集めた。その後はフランスを中心に活動を続けるも、2013年5月に小野リサ、ジョアン・リラをゲストに迎えサラヴァ東京で、2014年12月には佐野史郎、清水靖晃、優河をゲストに迎え再度サラヴァ東京で来日コンサートを行った。

(コアポートHPより)




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