クラウディオ・アバド


イタリアの名指揮者、クラウディオ・アバドさんが1月20日の朝、ボローニャの自宅で亡くなられました。ベルリン・フィル時代の2000年夏に胃がんで倒れ、胃の全摘出手術を受けるものの、11月にはオケと共に来日して『トリスタンとイゾルデ』を指揮するという驚異的な回復をみせ、その後10年以上に渡って壮健な活動を展開し続けます。
 2012年夏にはブルックナー交響曲第1番のウィーン版をとりあげて快調なところを見せ、2013年の春にもアルゲリッチとモーツァルトで共演するなど元気な姿を見せていましたが、8月末のルツェルンでの未完成交響曲とブルックナー9番では、演奏は上首尾に終わったものの体調の悪さもうかがわせていたということで、9月には、10月に予定されていたルツェルン祝祭管弦楽団との来日中止を発表、健康状態が心配されていた矢先の訃報でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 アバドさんのキャリアは華々しいもので、スカラ座に始まり、ロンドン交響楽団、シカゴ交響楽団、ウィーン国立歌劇場、ベルリン・フィルという伝統あるオペラハウスやオーケストラと密接な関係を構築する一方、常に若い音楽家達のやる気と能力をオーケストラに活かすことに意を払い、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団、ヨーロッパ室内管弦楽団、マーラー室内管弦楽団、モーツァルト管弦楽団を設立、ECユース管弦楽団も最初から音楽監督として熱心な指導にあたっていました。
 40年以上ものあいだスター指揮者だっただけに、共演オーケストラの数も多く、これまでに数々のレコーディングもおこなっていたので、今後は各レーベルに遺された音源や映像が、それぞれある程度まとまった形でリリースされるものと思われますし、また、新たな音源の発掘なども期待されるところです。特に、サイモン・ラトルが「超越的」だと語った最後の10年ほどの演奏については、是非とも広く世に紹介していただきたいものです。

【プロフィール】
1933年6月26日、ミラノに誕生。父のミケランジェロ・アバドはヴァイオリン教師で作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院の要職を務めた人物で、ミラノで開催される「ミケランジェロ・アバド国際ヴァイオリン・コンクール」でも知られており、母のマリア・カメラ・サヴァニョーネはピアニストだったほか、兄弟や親戚も音楽家という一族。
 アバドは幼少から音楽を学び、19歳の時には父と交流のあったトスカニーニの前でバッハの協奏曲を弾いたりもしていました。その後、ミラノ音楽院で、指揮、ピアノ、作曲を修めた後、1956年からはウィーン音楽院でハンス・スワロフスキーに指揮を師事。
1958年、タングルウッド音楽祭でクーセヴィツキー賞を受賞。
1959年、トリエステ交響楽団を指揮して指揮者デビュー。
1960年、トリエステのヴェルディ劇場でオペラ指揮者デビューしたのち、ミラノ・スカラ座にデビュー。
1963年、ミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝し、ニューヨークでバーンスタインの助手を務めます。
1965年、カラヤンに招かれザルツブルク音楽祭にウィーン・フィルを指揮してデビュー。
1966年、ベルリン・フィルにデビュー。ウィーン・フィルを指揮してデッカと最初のレコーディング。
1968年、ミラノ・スカラ座の指揮者となり、以後、音楽監督、芸術監督として1986年までの18年間に渡って在任。同年、コヴェントガーデン王立歌劇場にもデビュー。
その間、1972年にはロンドン交響楽団首席客演指揮者に就任、1979年には同楽団首席指揮者の地位に就き、音楽監督を経て1988年まで在任。
その間、1976年にはECユース管弦楽団の音楽監督となって1994年まで在任、1981年にはヨーロッパ室内管弦楽団を設立して芸術顧問に就任し、1982年から85年にかけては、シカゴ交響楽団首席客演指揮者を務めてもいます。
1986年、ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任し、1991年まで在任。同じ1986年、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団を創設して音楽監督に就任。その間、1987年にはウィーン市の音楽総監督に就任。
1990年、カラヤン亡き後のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督・首席指揮者となり2002年まで在任。
その間、1994年にはザルツブルク復活際音楽祭の芸術監督に就任。1997年にはマーラー室内管弦楽団を創設し、音楽監督として2002年まで在任。
2003年、ルツェルン音楽祭芸術監督として、新しく編成されたルツェルン祝祭管弦楽団の指揮者となります。同年、第15回高松宮殿下記念世界文化賞受賞。
2004年、ボローニャでモーツァルト管弦楽団を創設し、音楽監督に就任。2011年には同楽団のための1800席のホールをボローニャに建設するプロジェクトを発表(音響設計は日本人の豊田泰久)。
2013年8月には、大統領により、イタリアの国家功労者から選出される終身上院議員に任命、議員報酬はフィレンツェにある音楽院の奨学金制度に提供していました。
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