【在庫特価】バルシャイ&読売日本交響楽団ライヴ

3件中 1-3件を表示
50件 100件 200件
※表示のポイント倍率は、ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

チェックした商品をまとめて

  • マーラー交響曲第6番『悲劇的』
    ルドルフ・バルシャイ&読売日本交響楽団


    1989年11月25日、読響定期演奏会でのライヴ・レコーディング。ステレオで収録されたマスターを、ドイツのヴァイトブリック・レーベルがマスタリングしています。
     バルシャイはマーラーをよくとりあげており、交響曲第10番については、自身の手で全曲ヴァージョンをつくるほどの入れ込みようで、読売日本交響楽団との演奏が素晴らしいものであったのも記憶に新しいところです。
     今回登場する第6番は、バルシャイのディスコグラフィでは初となるものですが、大熱演として有名なショスタコーヴィチ『レニングラード』ライヴ録音と近い時期の演奏だけに注目度も高いものと思われます。(HMV)

    【収録情報】
    ● マーラー:交響曲第6番イ短調『悲劇的』[78:37]
     I. 23:24/ II(Scherzo). 13:16/ III. 12:15/ VI. 29:42

     読売日本交響楽団
     ルドルフ・バルシャイ(指揮)

     録音時期:1989年11月25日
     録音場所:東京文化会館(読響第267回定期演奏会)
     録音方式:ステレオ(ライヴ)
     サウンド・マスタリング:WEITBLICK

    【プロフィール】
    ルドルフ・バルシャイは、1924年9月28日、ソ連のラビンスカヤ出身の指揮者でヴィオラ奏者。モスクワ音楽院でヴァイオリンとヴィオラを学びますが、在学中に弦楽四重奏の演奏に夢中になったバルシャイはヴィオラ奏者として音楽家活動を開始、ボロディン弦楽四重奏団とチャイコフスキー弦楽四重奏団の創設メンバーとなり、前者には1953年まで所属してヴィオラを担当。
     その間、1949年にはブダペストで開催された世界青年学生フェスティバルで最高名誉賞を受賞しているほか、ソ連国内のコンクールでも優秀な成績を収めています。
     その後、バルシャイはレニングラード音楽院で、名教師イリヤ・ムーシンに指揮を学び、1955年、モスクワ室内管弦楽団を創設して指揮者としての活動をスタート。このオーケストラとの活動は、バルシャイが亡命するまでの20年以上におよび、バロック音楽から現代作品に至るまで幅広いレパートリーを演奏・録音、鍛え抜かれ引き締まったアンサンブルで大いに声望を高めました。
     彼らは、ソ連作曲家作品の初演も多くおこなっており、中でもかつての師であったショスタコーヴィチの交響曲第14番初演は歴史に残る演奏としてよく知られています。
     バルシャイはまた、室内オーケストラのレパートリー拡大にも熱心で、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を「室内交響曲」としてた編曲ヴァージョンは現在も人気のレパートリーとなっているほど。
     1977年に西側に亡命したバルシャイは世界各国のオーケストラを指揮して名を高め、1991年にはナチス・ドイツによるソ連侵攻50年記念日に、ユンゲ・ドイチュ・フィルとモスクワ・フィルの合同オーケストラの指揮をして大熱演を展開(BIS)。
     2年後の1993年には、久しぶりにロシアに帰り、ロシア・ナショナル管弦楽団を指揮してベートーヴェンのミサ・ソレムニスを演奏しています。
     1994年からはケルン放送交響楽団とショスタコーヴィチの交響曲全集録音に着手し、2000年に完成、翌年、ブリリアント・クラシックスから発売されると世界的に話題となり、当サイトだけでも4300セットを超えるベストセラーとなりました。
     その後、自身の手によるマーラー10番の補筆完成版を録音したり、ショスタコーヴィチの室内交響曲集をミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団と録音するなどして健在ぶりを示していましたが、2010年11月2日、約1年の闘病生活の末に亡くなられています。

  • モーツァルト:交響曲第35、39、40、41番(2CD)
    ルドルフ・バルシャイ&読売日本交響楽団


    バルシャイのモーツァルト交響曲は「MELODIYA」からCD2枚分が発売になっておりました(第25&40番、第28&41番)。当CDも過激な演奏で、近代的なオーケストラである読響を縛り上げて、締め付けて、贅肉を削ぎ落として、異形のモーツァルトを構築しております。
     第35番、第39番は2006年の演奏で最後の来日となりましたが、緩みは一切見られません。こういう室内楽的緊密度、緊迫感は、弦楽器出身のシャンドール・ヴェーグとも共通します。1989年の第40番、第41番『ジュピター』に至っては、郷愁や感傷を一切拭い去った潔さに惹かれてしまいます。多くの巨匠指揮者が晩年になるとロマンティックに傾斜していく中、バルシャイはまったくその魅力と誘惑を否定し続けた稀有の存在と言えるでしょう。(東武トレーディング)

    【収録情報】
    モーツァルト:
    ● 交響曲第35番ニ長調 K.385『ハフナー』
     I. 5:46/ II. 9:00/ III. 2:55/ IV. 4:10

    ● 交響曲第39番変ホ長調 K.543
     I. 11:20/ II. 9:12/ III. 4:06/ IV. 5:52

     録音時期:2006年4月14日
     録音場所:東京芸術劇場(読響第127回東京芸術劇場名曲シリーズ)

    ● 交響曲第40番ト短調 K.550
     I. 8:12/ II. 11:44/ III. 4:16/ IV. 7:01

    ● 交響曲第41番ハ長調 K.551『ジュピター』
     I. 11:15/ II. 12:47/ III. 4:37/ IV. 11:57

     録音時期:1989年11月19日
     録音場所:東京、サントリーホール(読響第280回名曲シリーズ)

     読売日本交響楽団
     ルドルフ・バルシャイ(指揮)

     録音方式:ステレオ(ライヴ)
     サウンド・マスタリング:WEITBLICK

    【プロフィール】
    ルドルフ・バルシャイは、1924年9月28日、ソ連のラビンスカヤ出身の指揮者でヴィオラ奏者。モスクワ音楽院でヴァイオリンとヴィオラを学びますが、在学中に弦楽四重奏の演奏に夢中になったバルシャイはヴィオラ奏者として音楽家活動を開始、ボロディン弦楽四重奏団とチャイコフスキー弦楽四重奏団の創設メンバーとなり、前者には1953年まで所属してヴィオラを担当。
     その間、1949年にはブダペストで開催された世界青年学生フェスティバルで最高名誉賞を受賞しているほか、ソ連国内のコンクールでも優秀な成績を収めています。
     その後、バルシャイはレニングラード音楽院で、名教師イリヤ・ムーシンに指揮を学び、1955年、モスクワ室内管弦楽団を創設して指揮者としての活動をスタート。このオーケストラとの活動は、バルシャイが亡命するまでの20年以上におよび、バロック音楽から現代作品に至るまで幅広いレパートリーを演奏・録音、鍛え抜かれ引き締まったアンサンブルで大いに声望を高めました。
     彼らは、ソ連作曲家作品の初演も多くおこなっており、中でもかつての師であったショスタコーヴィチの交響曲第14番初演は歴史に残る演奏としてよく知られています。
     バルシャイはまた、室内オーケストラのレパートリー拡大にも熱心で、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を「室内交響曲」としてた編曲ヴァージョンは現在も人気のレパートリーとなっているほど。
     1977年に西側に亡命したバルシャイは世界各国のオーケストラを指揮して名を高め、1991年にはナチス・ドイツによるソ連侵攻50年記念日に、ユンゲ・ドイチュ・フィルとモスクワ・フィルの合同オーケストラの指揮をして大熱演を展開(BIS)。
     2年後の1993年には、久しぶりにロシアに帰り、ロシア・ナショナル管弦楽団を指揮してベートーヴェンのミサ・ソレムニスを演奏しています。
     1994年からはケルン放送交響楽団とショスタコーヴィチの交響曲全集録音に着手し、2000年に完成、翌年、ブリリアント・クラシックスから発売されると世界的に話題となり、当サイトだけでも4300セットを超えるベストセラーとなりました。
     その後、自身の手によるマーラー10番の補筆完成版を録音したり、ショスタコーヴィチの室内交響曲集をミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団と録音するなどして健在ぶりを示していましたが、2010年11月2日、約1年の闘病生活の末に亡くなられています。

  • ブルックナー交響曲第4番『ロマンティック』
    ルドルフ・バルシャイ&読売日本交響楽団


    1979年はバルシャイと読響の初共演の年で、多くの演奏会が持たれました。当時の読響といえばチェリビダッケとも魅力的な演奏をおこなって話題を提供していただけに、今回のブルックナーも注目されるところです。バルシャイのブルックナーは珍しく、また、グルックでは弦楽セクションにバルシャイ・サウンドが期待できそうなのもポイントです。(HMV)

    【収録情報】
    ● ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調 WAB104『ロマンティック』[64:30]
     I. 18:20/ II. 14:20/ III. 10:35/ IV. 21:15

    ● グルック:『アウリスのイフィゲニア』序曲 [8:52]

     読売日本交響楽団
     ルドルフ・バルシャイ(指揮)

     録音時期:1979年6月13日
     録音場所:東京文化会館(読響第145回定期演奏会)
     録音方式:ステレオ(ライヴ)
     サウンド・マスタリング:WEITBLICK

    【プロフィール】
    ルドルフ・バルシャイは、1924年9月28日、ソ連のラビンスカヤ出身の指揮者でヴィオラ奏者。モスクワ音楽院でヴァイオリンとヴィオラを学びますが、在学中に弦楽四重奏の演奏に夢中になったバルシャイはヴィオラ奏者として音楽家活動を開始、ボロディン弦楽四重奏団とチャイコフスキー弦楽四重奏団の創設メンバーとなり、前者には1953年まで所属してヴィオラを担当。
     その間、1949年にはブダペストで開催された世界青年学生フェスティバルで最高名誉賞を受賞しているほか、ソ連国内のコンクールでも優秀な成績を収めています。
     その後、バルシャイはレニングラード音楽院で、名教師イリヤ・ムーシンに指揮を学び、1955年、モスクワ室内管弦楽団を創設して指揮者としての活動をスタート。このオーケストラとの活動は、バルシャイが亡命するまでの20年以上におよび、バロック音楽から現代作品に至るまで幅広いレパートリーを演奏・録音、鍛え抜かれ引き締まったアンサンブルで大いに声望を高めました。
     彼らは、ソ連作曲家作品の初演も多くおこなっており、中でもかつての師であったショスタコーヴィチの交響曲第14番初演は歴史に残る演奏としてよく知られています。
     バルシャイはまた、室内オーケストラのレパートリー拡大にも熱心で、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を「室内交響曲」としてた編曲ヴァージョンは現在も人気のレパートリーとなっているほど。
     1977年に西側に亡命したバルシャイは世界各国のオーケストラを指揮して名を高め、1991年にはナチス・ドイツによるソ連侵攻50年記念日に、ユンゲ・ドイチュ・フィルとモスクワ・フィルの合同オーケストラの指揮をして大熱演を展開(BIS)。
     2年後の1993年には、久しぶりにロシアに帰り、ロシア・ナショナル管弦楽団を指揮してベートーヴェンのミサ・ソレムニスを演奏しています。
     1994年からはケルン放送交響楽団とショスタコーヴィチの交響曲全集録音に着手し、2000年に完成、翌年、ブリリアント・クラシックスから発売されると世界的に話題となり、当サイトだけでも4300セットを超えるベストセラーとなりました。
     その後、自身の手によるマーラー10番の補筆完成版を録音したり、ショスタコーヴィチの室内交響曲集をミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団と録音するなどして健在ぶりを示していましたが、2010年11月2日、約1年の闘病生活の末に亡くなられています。

チェックした商品をまとめて