TOP > Music CD・DVD > Classical > Strauss, Richard (1864-1949) > Elektra : Chereau, Salonen / Paris Orchestra, Herlitzius, W.Meier, Pieczonka, M.Petrenko, Randle, etc (2013 Stereo)

Strauss, Richard (1864-1949)

Blu-ray Disc Elektra : Chereau, Salonen / Paris Orchestra, Herlitzius, W.Meier, Pieczonka, M.Petrenko, Randle, etc (2013 Stereo)

Elektra : Chereau, Salonen / Paris Orchestra, Herlitzius, W.Meier, Pieczonka, M.Petrenko, Randle, etc (2013 Stereo)

Customer Reviews

  • ★★★★★ 
  • ★★★★☆ 
    (0 posts)
  • ★★★☆☆ 
    (0 posts)
  • ★★☆☆☆ 
    (0 posts)
  • ★☆☆☆☆ 
    (0 posts)

Do you want to write a review?

Write you own review

Showing 1 - 2 of 2 items

  • ★★★★★ 

    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  30/August/2014

    シンプルな舞台装置、人物はみな現代の服装(エレクトラはぼろぼろのタンクトップにジーンズ)だが、天才シェローの死を悼むにふさわしい鮮やかな舞台。まず冒頭の侍女たちによるプロローグ、台本ではエレクトラはここにいない設定だが、この演出では音楽が始まってすぐ、彼女が舞台に駆け込んでくる。したがって、彼女らの噂話は本人に聞こえよがしに語られるわけだが、付録のインタヴューでも述べられる通り、侍女、召使いたちを物語に巻き込むというのが、今回の演出の一つの狙い。彼らは譜面上、出番のないところでも出てきて、クリテムネストラの前に赤い絨毯を敷くところから始まり、オレスト死亡の誤報に一緒に悲しむ、彼との再会を共に喜ぶなど、いわばコロスのように動く。オレストとその扶養者(かつてのシェーン博士、フランツ・マツーラ!)も本来の出番のずっと前から舞台上にいて、エレクトラとクリソテミスのやり取りを一部始終、見ている。これも出のタイミングを変えることによって、コンテクストを動かそうという工夫だ。最終場では悲鳴だけじゃなく、クリソテミス殺害の瞬間を舞台上で見せるほか(『ルル』の最終景と同じ)、エギストに至っては舞台の真ん中で殺される。一番最後、復讐成就後の虚脱感もシェローらしいリアリズム。 サロネンとパリ管が素晴らしい。この曲では定番の居丈高なコワモテを排して、非常にしなやか。しかも総譜をレントゲンにかけたように、隅々までクリアに聴こえる。ヘルリツィウスはティーレマンのCDで声だけ聴いた時には、イマイチ感が拭えなかったが、演技を見てみて納得。弱さを含めた一人の女性の表現として、それなりに説得力がある。クリテムネストラはこの役につきもののおどろおどろしさとは正反対の聡明で魅力的な女性に作られている。彼女も運命にもてあそばれた被害者という解釈(これもインタヴューで語られる通り。台本では表立って語られないが、彼女の夫殺しはアガメムノンが長女を生贄にしたことへの復讐という解釈もある)。前のレーンホフ演出とは逆の、こういう抑えた演唱でも、マイアーはさすがの貫祿だ。

    1 people agree with this review

    Agree with this review

  • ★★★★★ 

    ombredouble  |  東京都  |  不明  |  14/August/2014

    歌い始めるや筋肉の盛り上がった二の腕で迫る、マスキュリンなヘルリツィウスの真っ黒い仮面のような相貌に度肝を抜かれ、濃い情念を閉じ込めた歌唱と(映像では余りそうは見えないけれども)小柄な体躯から発せられるオーラに最後まで圧倒される.サロネン指揮パリ管も表現は浅めだが俊敏さスピード感と諧調の細かい水彩のような色彩で聴かせ、合奏はタイトでもテクスチャの濁りがちなドイツオケに対するオルタナティブな魅力.シェローの舞台に完璧にシンクロして手に汗握る一方、随所で甘い響きにも欠けていない.この2点だけでも十分元が取れると思えた映像. エレクトラとクリテムネストラの(そしてクリソテミス、オレストとの)心理的なやり取りを丁寧に演出すると同時に、下僕たちに世代分けを導入し時に争いを演じさせることで、物語を内外両面から補強するのはシェローらしい発想.そのためにW.マイヤーが、声はかなり衰えたりと雖も、グロテスク一辺倒から脱却した「永遠の恋する女」を演じるのが注目であり、また脇役にロバータ・アレクサンダーや、マッキンタイアにマツーラと昔からのファンに懐かしい名前が見られるが、ちゃんとそうしたコンテクストで活用されてもいるのだ. 唯そうした「アイディア」は、シェローの創造力が爆発していた頃のルルやルーチョ・シッラの圧倒的演劇性に比較するとやや小細工感を禁じ得ないのだが(大規模な空間の使用も、最早見られない)、それでも彼が最後まで優れたオペラ演出家であり続けた理由は、彼がオペラ歌手と真に仕事をする術を知っており真摯さを失わなかった事にある.ミハイル・ペトレンコはやや声のインパクトが弱く、逆に歌唱は文句なしなピエチョンカは演技が弱いが、それでもきちんと性格づけして見せる辺りにもその良心的な仕事ぶりが表れる.トム・ランドルは性格的で面白い(夫妻の殺害にも一応ひと捻りはある). シェローはヴォツェックより後、即ち王妃マルゴで映画監督が本職になった前後以降の舞台の仕事にはいまいち新味を感じなくなったが(更に言えば、1995年の綿畑の孤独の中で第3版以降演劇の仕事自体がまばらになったが)、何かまだ展開があるんじゃないかと心の底でどこか期待するものがあっただけに、これが最後の仕事となったのは無念だ.それに相応しい仕事かどうかは、観る者の価値観次第だろう. 映像はいつも通りステファヌ・メッジで、色彩は美しい.

    2 people agree with this review

    Agree with this review

Showing 1 - 2 of 2 items