Mahler (1860-1911)

SACD Sym, 5, : Inbal / Czech Po

Sym, 5, : Inbal / Czech Po

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Showing 1 - 12 of 12 items

  • ★★★★☆ 

    ほんず内閣総理大臣  |  北海道  |  不明  |  29/September/2013

    高い評価が多いですが、やや微妙なものを感じましたので、その印象を書いてみます。インバルさんの第5番は、FRSOで2回、ベルリンドイツ響とで1回、実演も聴き、これまでのディスクも聴き、どれもみな素晴らしい演奏ばかりでした。指揮者もオケも一体となってこの大曲に正面から向き合って真剣に取り組むという姿勢が強いものだったように思います。この演奏はそれらとやや趣を異にして、「余裕」と言えばいいのでしょうか、アグレッシブな姿勢よりも悠然と構えた感じ。マーラーの音楽とともに悩み苦しみ呻き揺れ動くのではなく、あたかも神が下界の人間どものあくせくする様を眺めるような、「上からインバル」というところでしょうか。こういうスタンスの演奏ではバルビローリさんもそうでした。チェコフィルの独自の音色感にも支えられ、お大尽のマーラーが出来上がりました。再度聴いてみて、名演とかいう語で表現されるものではなく、今のインバル&チェコフィルの境地を示すそういう演奏になったかなあといふ印象です。個人的には、この曲にはもっとパッションとロマンティックが欲しいので、やや減点。録音は優秀。

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  • ★★★★☆ 

    恐怖のタヌキ男  |  不明  |  不明  |  12/August/2011

    インバルとチェコ・フィルとの初顔合わせであり、インバル、フランクフルト時代とは大きく変わり、劇的で、もちろんやり過ぎではないマーラーで、全体に緊迫感がみなぎっており、壮絶で、ドラマ性の強いマーラーであり、マーラーの音楽が他の作曲家と根本的に異なっていることを理解しているインバルによる大変な名演です。インバルとチェコ・フィルで他の曲も聴いてみたいものです。

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  • ★★★★★ 

    KANA07  |  石川県  |  不明  |  18/June/2011

    先ごろ出たゲルギエフ盤は演奏はよかったが、録音がよくなかった。演奏・録音とも最高の盤の発売が待たれていたが、まさにそれに該当する超絶的名盤の誕生である。最初から最後までインバルの魔術に引き込まれっぱなし。唯一の決定は、インバルの鼻歌が耳障りなだけ。また、これはSACDで聞くべし。スケールの大きさが全然違うから。

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  • ★★★★★ 

    mulder  |  福島県  |  不明  |  09/May/2011

    インバルのマーラーの5番といえば,フランクフルト放送交響楽団(FRSO)との全集での録音のほか,1987年11月3日のFRSOとの初来日公演(NHKが放送し,後にLDでも出た。DVD化を強く望む!)での驚異的な名演があり,さらに,東京都響とのライヴCD,2000年10月24日のFRSOとの来日公演(NHKで放送された。キタエンコ体制になってかつての鳴りっぷりはなくなっていた・・・)が聴けた。今回のチェコ・フィルとのCDがこれらと比べてベストとは言えないが,録音は間違いなく今回のものがベストだろう。DENONの録音は妙に音が軽く,来日公演での音やテルデックに録音したブルックナーのシリーズと比べて,同じオケとは思えなかったものだ。演奏は,いいところもあれば,それほどでもないところもある。全体に音をしっかり鳴らしているのが印象的。特にホルンが強調されているように思うが,このホルンの音が今回はくせ者である。おもちゃのような音で,巧いのか下手なのかよくわからない,非常に独特な音である。かなり好き嫌いが分かれるのではないか。私は好きではない。勢いは以前の録音の方があるが,骨太な安定感は今回の録音が勝ると思う。ただ,金管はお世辞にも超一流とは言いがたい。弦の響きは素晴らしい。それでも,数あるこの曲のCDの中では,かなり上位に入るのは間違いないと思う。

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  • ★★★★★ 

    symphony No.5  |  三重県  |  不明  |  30/April/2011

    フランクフルト時代と根本的な解釈の違いはないと思う。やはりインバルのマーラーはすばらしい。しかし、70〜80年代、研ぎ澄まされた感覚でマーラーに必死(?)で取り組んでいた時代と異なり、ある種の”余裕”(あまりよい意味ではなく)を感じた。フランクフルト放響や都響のライヴの方がすぐれている。

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  • ★★★★★ 

    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  13/April/2011

    エクストンへの一連のマーラー録音のなかでは最も良い出来だと思うが、それはチェコ・フィルと都響どっちが上かという話以前に、後述のようなインバルのアプローチと5番との相性が圧倒的に良いからだと思う。フランクフルト放送響との全集は従来、口当たりの良い形に「馴らされる」のが普通だった、微細な強弱や緩急などのニュアンス、弦のグリッサンド、ホルンのトリルといった特殊奏法を総譜の指示通り、細かく再現することを目指した、素晴らしい録音だった(オケの技術的進歩がそれを可能にしたという背景もある)。しかし、クリアだが量感に乏しい録音のせいもあって、CDが知的でクールな印象だったのに対し、同じコンビの来日公演では非常な爆演を聴かせ、CDとナマはずいぶん違うと思ったものだ。エクストン録音はほぼライヴということもあって、かなり爆演寄りの演奏。そのため少々、粗いところもあるが、5番では昔ながらのインバルらしい細部へのこだわりと、速めのテンポをとったライヴらしい勢いとが、うまく両立している。アダージェットも美しく旋律を歌うことよりも(そうしたやり方の典型はカラヤン)、細かい緩急と強弱の指示にこだわった再現をしていて、こんなに神経質な演奏では楽しめないという人もいるだろう。マーツァルが煩瑣な指示をある程度、無視することによって明快な、聴きやすい音楽を実現していたのに対し、インバルの方が多層的で複雑な味わいがある。あとは好みの問題だが、私はインバルの方が好き。

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  • ★★★★★ 

    norry  |  東京都  |  不明  |  02/April/2011

    「第5」がマーラー全交響曲中でも極めて重要な位置を占めることについてはいかなるファンも異論はなかろうが、その理由についてはいろいろな語り方があるだろう。私は、それ以前のマーラーの交響曲は、曲によって様相の違いはあれ、マーラー自身の内奥から迸り出てくるもの、という意味での自分の「語りたいこと」、つまりは「内容」を曲に表現するというアプローチであり、従って楽章構成も含めた曲の「形式」については極めて自由な態度で作曲されていたのに対し、第5では、ベートーヴェンからブラームス、ブルックナーに至る伝統的な「交響曲」というジャンルの存在様式が強く意識されている点が何よりも特徴的であると考えている。第4で青春時代の幕を閉じ、芸術家としての壮年期を迎えたマーラーは、「抽象的な主題の展開による音響のドラマ」、「絶対音楽」としての交響曲に挑戦した。そして完成した作品は、表面的には、「暗黒から光明へ」、「苦難から勝利へ」というベートーヴェンの第5のプログラムを表面的には踏襲しつつも、性格の異なるいずれもユニークな主題を多くの場合同時に展開させる極めて高度な作曲技法を駆使することにより、「高貴なものへの卑俗なものの貫入」、「同質的なものからの排除」、「絶対に到達できないものへの渇望」といった、マーラー自身の矛盾に満ちた精神性を見事に抽象化・結晶化したものとなった(終楽章がブルックナーの第5のフィナーレを意識したものであることはマーラー自身の言葉としてアルマが語っているとおりである)。このような第5の特徴を前提とすれば、その演奏は、第4まで以上に、指揮者とオーケストラの極めて高度な能力が何よりも必要とされることは明らかである。特に重要なのは、マーラー特有のポリフォニーを十全に表現し切ることである。この曲は冒頭のファンファーレはじめ、一度聴いたら忘れられない多くのユニークな主題が登場するが、どんなに特徴的な主題が展開されているときでも、音楽はその部分だけに収斂されない(というよりも、されてはならない)。音楽は、常に全体で鳴っている音響(しかもブレンドは決してされない)そのものにある。一般に優れた指揮者や奏者は、作品の部分・部分において主導的な地位を占める箇所を鋭く嗅ぎ分け、その響きを前面に出すことによって演奏の交通整理を行うものだが、マーラーでは、そのような方法では音楽の半分しか表現したことにならない。だからといって、全部の音をのべつまくなしに鳴らすのでは音楽自体が崩壊する。マーラーの演奏は、いかなる瞬間も、崩壊する一歩手前まで響きを拡散させつつ、主題は主題として明確に認識させるという、極めて矛盾した能力が要求される。そしてインバルほど、この種の能力を高度に身につけた指揮者を私は知らない。それは能力というよりは、民族性に裏付けられた本能のようなものだろう。1986年1月に録音されたFRSOとの第5は、彼のマーラー指揮者としての名声を世界的に決定的なものにした名演であり、今聞いても神がかった、あるいは狂気としか言いようのないほどの繊細さに裏付けられた完璧さは、今後もおそらく凌駕し得ないものであろう。今回のチェコ・フィルとの2011年1月の録音は、そのような「完璧さ」を誇るものではない。インバルは最早そのような狂気じみた完璧さを追求する時期は既に過ぎたと自覚しているのであろう。代わりに、最近の都響との超名演にも現れているように、スコアの指示を精密に再現するために十二分な繊細さはあくまで維持しつつも、よりテンポの動かし方の点においても、主題の歌わせ方の点においても、長年の経験に裏付けられた自由自在さが支配的である。そして、やはりチェコ・フィルの、特に管楽器の華やいだ音色の豊かさはかけがえのない魅力である。ただ、同じチェコ・フィルの録音でも、トランペットとホルンが強調され、両楽器の協奏曲のように聞こえたノイマンの93年の録音(エンジニアは同じ江崎友淑氏)と異なり、本録音はどの楽器に偏ることもなく、あくまで響きがトータルに捉えられているのは、インバルのアプローチに沿った方向性であり、ある意味、ワンポイント録音を売り物にしていたFRSOとの録音とも共通する趣と感じられる(トランペットはケイマル氏ではないように思えるが)。そのような録音の方針のせいもあってであろうが、終楽章のコーダはまさに青空の空中で太陽の輝きを一身に浴びるような壮大にして爽快な感銘を覚える(練習番号33の6小節目の、コラールに入る直前で大きな間を空け、そこにティンパニがクレッシェンドでトレモロを打ち込む場面は鳥肌ものである)。カラヤン、ハイティンク、アバド、ラトルと、この曲はBPOの名演が多いのであるが、BPOやVPOでは、弦の響きに厚みがあるため、終楽章では熱演になればなるほど、ゴリゴリと響きが野暮ったくなってしまう。例えば同じ複雑な対位法が用いられたフィナーレでも、ブラームスの第2やブルックナーの第5だと、こういった弦の分厚い響きも相応しいものとして感じられるのであるが、マーラーの第5の場合は、どんなに弦の各部がそれぞれのユニゾンで複雑に動く場合であっても、軽やかさは不可欠であり、インバルのアプローチはFRSOにおいても、チェコ・フィルにおいてもまさに理想的である。そうであってこそ、4楽章のアダージェットの主題がGraziosoで登場する場面が生きてくるのだ。いずれにしても、今回の録音は、チェコ・フィルの、素朴にしてエレガントな響きを得たことにより、1楽章の葬送行進曲も、2楽章の激動する嵐も、3楽章の生と死の舞踏も、4楽章の甘美極まりないアダージェットも、終楽章の輝かしいロンドも、すべてが滴るような美しさに満ちている。インバルがこの録音を残したかったのも全く肯けるところである。ただ、私は、今の都響がインバルと同じこの第5を演奏したとして、これに劣る演奏になるだろうとは全く思えない。東日本大震災の影響で、3月と4月のインバル・都響の演奏会が全てキャンセルされてしまったのは本当に残念であるが、今後も両者には引き続き名演を次々と残して行ってもらいたいと思う。もちろん、インバル・チェコ・フィルのマーラーも引き続き続けて行って欲しいものである。既に第7が録音済みのようであり、リリースが待ち遠しい。インバルという本当に稀有な指揮者の録音は、いくらあってもよいと思うし、特にマーラーはそうである。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  02/April/2011

    インバルが東京都交響楽団を指揮して演奏したマーラーの第2や第3は素晴らしい名演であったが、本盤におさめられたチェコ・フィルとの第5も素晴らしい名演と高く評価したい。インバルは、マーラーの第5をかつての手兵フランクフルト放送交響楽団とスタジオ録音(1986年)するとともに、東京都交響楽団とのライブ録音(1995年)もあるが、本演奏は、それら両演奏をはるかに凌駕する名演と言える。かつてのインバルは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションをできるだけ抑制して、できるだけ音楽に踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。したがって、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な演奏ではあるが、ライバルとも目されたベルティーニの歌心溢れる流麗さを誇るマーラー演奏などと比較すると、今一つ個性がないというか、面白みに欠ける演奏であったことは否めない事実である。前述の1986年盤など、その最たる例と言えるところであり、聴いた瞬間は名演と評価するのだが、しばらく時間が経つとどんな演奏だったのか忘却してしまうというのが正直なところ。ワンポイント録音による画期的な高音質だけが印象に残る演奏というのが関の山と言ったところであった。1995年盤になると、ライブ録音ということもあり、インバルにもパッションを抑えきれず、踏み外しが随所にみられるなど、本盤に至る道程にある名演と言うことができるだろう。そして、本盤であるが、ここにはかつての自己抑制的なインバルはいない。インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、ドラマティックな表現を施しているのが素晴らしい。それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的な表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。いずれにしても、前述の第2及び第3と同様に、本盤のようなドラマティックな表現を駆使するようになったインバルを聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニが鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられない。オーケストラにチェコ・フィルを起用したのも功を奏しており、金管楽器、特にトランペットやホルンの卓抜した技量は、本名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。SACDによる極上の高音質録音も、本名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したい。

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  • ★★★★★ 

    コーキロマンハ  |  兵庫県  |  不明  |  26/March/2011

    チェコ・フィルの響きがノイマンの黄金自体と変わっていないことに安心。解説を見るとライブとセッションとのチャンポンで完成されているのはやや興醒めですが、それを控除してもチェコ・フィルの響きは素晴らしい。奏者は世代とともに変りながらも金管の音色はあくまで角がなくやわらかい。弦のアンサンブルの色彩感にもうっとりしてしまいます。チェコ・フィルはこと祖国の偉大な作曲者マーラーについての演奏に自信をもっているんでしょうね。

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  • ★★★★☆ 

    七海耀  |  埼玉県  |  不明  |  08/March/2011

    マーラー自身、「三重の意味で故郷を持たない」とか何とか自分の事を言っていたと思います。そういう意味では「本物」云々という発言自体妙です。アメリカ人は、よくニューヨークフィルを世界を代表するマーラーオケの一つみたいに言いますが、ヨーロッパの人はあまりそうは思っていないのではないでしょうか。VPOやACOこそがマーラーオケだと言いたいかもしれません。ですが、VPOはマーラーの演奏歴が長そうに思えますが、実際はそうでもないようです。何より、世界で初めてマーラーの4番が録音された場所は日本です。あるイギリスの批評家が、この事実を指して、“a rum affair”(奇妙な事)と呼んでいました。でも、近衛と新響の4番と、フリードの2番を較べてみると、少なくとも私には、どっちもどっちというレベルに聞こえます(まあ、正確な評価は難しいほどに録音がアレですが)。アメリカ人が、フィードラーやバーンスタインが演奏したガーシュインとかを「本物」と称するのはなんとなくわかりますが、今や、ベートーヴェンを「我らの音楽」と称する人は、余程ナショナリスティックなドイツ人くらいでしょう?マーラーも、21世紀の今日、それほどに脱中心化しているのだと考えれば、インバルの発言こそ、ある種の辺境意識と言えなくもないです。チェコフィルとインバルのマーラーなら、それ相当には良いでしょうけれど、「本物」という言葉を使ったからには、当然、その対概念として「偽物」が想定されているわけでして。EXTONの録音は、今海外市場に乗っている筈なのですが、日本のオケのものも流れているのでしょうか。それとも、流しても売れないのでしょうか。欧米での評価を聞いてみたいと思うのですが。それこそ、一連のインバル・都響のマーラーシリーズの評価です。かなり高水準だと私は思うのですが。「本物」か「偽物」かはともかく。

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  • ★★★★☆ 

    TMO  |  東京都  |  不明  |  06/March/2011

    チェコフィルとのマラ5、素晴らしいでしょう。プリンシパルコンダクターなら、もう少し都響への配慮が欲しかったところですが、インバルほどの指揮者ですから、それが都響の真の評価だと思います。世界に冠たるマーラーオケと言っても、欧米ではほとんど名すら知られていませんしね。個人的に都響はいいオケだと思いますが、どういう特色のオケかと聞かれると困ってしまいます。その点チェコフィルは色を持ってます。ただ、国や市民がオケを育てようとする土壌や伝統がない日本で、リストラと闘いながらいい音楽をするのは大変なことです。都響のコンサートへ行きましょう。

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  • ★★★★★ 

    inbalist  |  東京都  |  不明  |  23/February/2011

    インバルのマーラー,いくらあっても結構じゃないですか。それに,エクストンも「都響とのマーラー『全集』が進行中の」と書いているし,都響と全集つくってチェコフィルとも全集作ればよいのではないでしょうか。最後は朝比奈のブルックナーとかベートーヴェン状態になるかもしれないけど,その価値は十分ありますよ。「中欧の本物のマーラー」があれば,「東京の本物のマーラー」もあるわけで。インバルも都響が本物でないと思って発言したわけではないでしょう。ここらでクラシックの辺境意識はやめましょう。我々は,都響という,世界に冠たるマーラーオーケストラを持っているし,その他の在京オケも本当にいい仕事をしているわけなので。それに,インバルほどの指揮者なら,いくら浮気されてもついていく価値はあるでしょう。とにかく一つでもたくさんのインバルのマーラー録音(しかもエクストンの優秀録音で!)が残されることを素直に喜びたいです!!!それにしても,発売前から「レビュー」が出るのって止めませんか?つい書いてしまいましたが。

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