「ベルリン・フィル・ラウンジ」第10号:ラトル、2018年までの芸術監督延長契約書にサイン!
Wednesday, November 4th 2009
ラトル、2018年までの芸術監督延長契約書にサイン!10月28日、ラトルがベルリン・フィル芸術監督のポストを2018年まで延長する契約を交わしました。フィルハーモニーでの調印式では、財団法人取締役のクラウス・ヴォーヴェライト・ベルリン市長とラトルが、パメラ・ローゼンベルク(インテンダント)、シュテファン・ドール、アンドレアス・ヴィットマン(オーケストラ代表)、オラフ・マニンガー(メディア部門代表)の同席のもと、契約書に調印。なおラトルの延長は、昨年のオーケストラ決議ですでに承認されており、5月のシーズン記者会見で発表されていました(写真© Peter Adamik)。
映画館における新世代コンサート中継プロジェクト、スタート
ベルリン・フィルでは、フラウエンホーファー・インスティトゥートと共同で、新世代コンサート中継技術の開発を推進することになりました。これはベルリン・フィルの演奏会が180度パノラマ・シネマに中継されるもので、フィルハーモニーでの演奏のバーチャル化を目標とするものです。ハイビジョン映像と128のスピーカーから成る音響システムにより、コンサートに迫る音楽体験が可能となる予定。来年の2月のベルリン映画祭では、特設の映画館における試験上演が行われます。なおフラウエンホーファー・インスティトゥートは、MP3フォーマットの開発で世界的に知られるようになったドイツの情報技術研究所です。
ベルリン・フィル、アメリカ・ツアーに出発
11月11日より、ベルリン・フィルの2年ぶりのアメリカ・ツアーがスタートします。ニューヨーク、カーネギー・ホールにおける3回の公演を皮切りに、ボストン、シカゴ、サンフランシスコ、ロサンゼルス等の計6都市で10回の演奏会を実施。プログラムには、日本でも演奏されたブラームスの交響曲全曲、「ピアノ四重奏曲第1番(シェーンベルク編曲版)」、シェーンベルク《期待》、「室内交響曲第1番」、「映画の一場面への伴奏音楽」、ショスタコーヴィチ「交響曲第4番」、ワーグナー「《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲」が予定されています。指揮は、ラトルが全公演を担当。ソリストには、イヴリン・ヘルリツィウスが同行します。なおベルリンでのコンサートは約1ヶ月間休止で、次回の定期演奏会は12月4日となります。
I・フィッシャーの定期が、デジタル・コンサートホールにアップ!
I・フィッシャー指揮による10月22〜24日の定期演奏会が、デジタル・コンサートホールにアップされました。このコンサートは、ハプスブルク期のオーストリア=ハンガリー帝国をテーマとしていますが、舞踏と民族色を基調とするプログラムは茶目っ気と遊び心に溢れています。なかでも目玉は、ツィンバロン(オスカー・エクレシュ)が登場するリストの「ハンガリー狂詩曲第1番」でしょう。ベルリン・フィルでこの曲が演奏されるのは、カラヤン時代以来初めてのことと思われます。
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この演奏会をデジタル・コンサートホールで聴く!ミッシェル・シュヴァルベ、90歳を祝う
10月27日、カラヤン時代の伝説的コンサートマスター、ミッシェル・シュヴァルベが90歳の誕生日を迎えました。1919年にポーランドで生まれたシュヴァルベは、1933年よりフランスに住み、ソリストとして活動。1957年に、カラヤンの申し出によりベルリン・フィル第1コンサートマスターに迎えられました。1985年に引退するまで、オーケストラの黄金時代を支え、現在でも多くの団員より尊敬を集めています。ユダヤ系の彼が戦後まもなくベルリン・フィルのポストに就いたことは、ドイツとの融和を象徴する出来事として記憶されます。
ラトル、シェーンベルクとブラームスを振る(日本時間11月7〜8日深夜)
米国旅行直前の演奏会は、ベルリンからアメリカに亡命したシェーンベルクがキーワードとなっています(全プログラムが、ツアーで演奏される予定)。「映画の一場面への伴奏音楽」は、亡命から数年前の作品であり、テーマに合致した演目です。映画自体は結局制作されませんでしたが、陰惨な音楽は物語の内容を色濃く暗示しています。モノドラマ《期待》は、夜な夜な森を彷徨う女性が、狂気のなかで恋人の死体を見つけるというサイコドラマ的作品。ソロを歌うヘルリツィウスは、今回の演奏会がベルリン・フィル・デビューとなります。
最後のブラームス「ピアノ四重奏曲第1番」は、シェーンベルクが「ブラームスの5つめの交響曲」と呼んだ編曲作で、ジプシー風のロンド・フィナーレが壮快な印象を与えます。ブラームスを継続して取り上げるラトルが、どのような「第5交響曲」を聴かせるのか、興味が尽きません。
【演奏曲目】
シェーンベルク:映画の一場面への伴奏音楽
モノドラマ《期待》
ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番(シェーンベルク編曲版)
ソプラノ:イヴリン・ヘルリツィウス
指揮:サー・サイモン・ラトル
放送日時:11月8日(日)午前4 時(日本時間・生中継)
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ハインツ・ホリガー「オーボエは楽器と言うよりは、咽喉の延長といったところです」
聞き手:ユルゲン・オッテン(音楽評論家)
今年2〜3月の定期演奏会では、ハインツ・ホリガーが指揮者として登場しました。オーボエ奏者としてだけでなく、作曲家としても高名なホリガーは、文学や芸術一般にも学識が深い音楽家ですが、コンサートではベルント・アロイス・ツィンマーマンとシューマンという分裂的な作曲家を演奏しています。ユルゲン・オッテンとのインタビューでは、楽器を体の延長と考えるという、管楽奏者ならではの見解を示しています。
オッテン 「ホリガーさんは、ヘルダーリンの詩のシンプルさを好んでいるそうですね。しかしあなたの作品、例えば《白雪姫》、ローベルト・ヴァルザーの詩による《道をはずれて》、あるいは《スラルダネッリ・ツィクルス》などを聴くと、非常に複雑な印象を受けます」
ホリガー 「シンプルさと複雑さは、音楽においては反目しないと思いますよ」
オッテン 「シンプルであるためには、極めて複雑な構造が必要だということでしょうか」
ホリガー 「俳句のなかに人生のエッセンスが込められているように、小さな作品のなかにもすべてが入っているものです。これは限りなく複製が可能だ、というようなタイプの単純さではありません。ウェーベルンが後期の作品で想起し、実現したような意味でのシンプルさです。それは言わば完璧なクリスタル・ガラスのようなもので、そこから信じられないほど多様な意味が引き出せます。ヤーヌス(注:ふたつの顔を持つローマ神)のように、まったく反対の要素を含んでおり、別の方向から見た時にまったく違う答えが出せるのです。今日の現代音楽では、楽譜を見ると真っ黒なものが沢山あります。すべてを紙の上に書き込んで塗りつぶしたような感じです。それは一見極めて複雑に見えますが、実際に聴いてみると味気のないものだったりします。私が理想としているのは、そのまさに反対です。モーツァルトやハイドン、ドビュッシーの作品は、一音変えようなものなら、曲そのものが台無しになってしまいます。他の作曲家の作品では、和音を逆さまにしようがずらそうが、作品自体に影響はありません。私が作曲家として目指しているのは、最高の超感性性(注:Intelligibilität。感性を越えて知性によってのみ認識できること)を持った語法を獲得することです。作品自体は複雑な構造を持っていても、それは音楽が必要とする以上に複雑であってはならないのです」
オッテン 「昨年、ラインガウ音楽賞を受賞されましたが、そこではホリガーさんの“万能性”が評価されました。つまりあなたは作曲家であると同時に、演奏家でもあります」
ホリガー 「他人の判断には、関心がありません。私にとって大事なのは、自分自身のなかから出てきた音楽を書けているか、ということだけです。他人の言うことを真似して喋っていないか、トレンドや流行から離脱できているか。作曲家と演奏家の関係に戻りますと、私にとって作曲することと演奏することは、共にごく自然なことです。そのことについて、わざわざ問い正してみたりはしません。これはシューマンを除けば、ほとんどの作曲家がしてきたことですから。私が残念に思うのは、偉大な指揮者がしばしば器楽奏者として優れていないことです。作曲家としての能力となると、さらに問題でしょうが……。また机上ですべてを想起して、実際に楽器を手に取ってみることのない作曲家というのも、想像を絶します」
オッテン 「演奏を度外視した作品、単に頭のなかだけでできた音楽というのは、耳にしてすぐに分かりますか」
ホリガー 「もちろんです」
オッテン 「その点、あなたはオーボエ奏者、指揮者として利点があるわけですね」
ホリガー 「そうです。音楽というのは、すべてを体を通して外に出てくるものだと思います。内側にためていてはいけません。指揮の場合は、柔らかい布をそっと触るようなものです(注:自分の外側にあるオーケストラを操作して、演奏させる、という意味)」
オッテン 「オーボエというのはピアノと同じように、音が鳴る本体=楽器です。それではオーケストラはどうでしょうか。オーケストラは最初から楽器であるのか、それとも楽器になるのか」
ホリガー 「リハーサルの過程で楽器になると思います。しかし、まずオーボエについてお話しすることにしましょう。オーボエは楽器と言うよりは、咽喉の延長といったところです。リードは私の声、楽器は体の延長と呼べます。ピアニストは楽器を外側から操作するわけですけれども、奏者そのものが問題ではありません。私にとっては、演奏が始まってすぐに楽器を弾いていることを忘れさせてくれることが大事なのです。それに対しオーケストラでは、もちろん多様な色彩を実現することができます。指揮者や作曲家がバランスよく操作すれば、響きの錬金術のような効果が生まれるでしょう。しかしパレットに過剰に色を加えると、厚塗りになってしまうか、グレーになってしまうかです。オーケストラは、確かに肉体的なものを持ちえます。いずれにしても響きは楽器そのものではなく、肉体的であるべきです」
オッテン 「この春、ホリガーさんはベルリン・フィルで独特のプログラムを指揮されます。そこではB・A・ツィンマーマンの《アラゴアナ》とシューマンの交響曲第1番、ツィンマーマンのヴァイオリン協奏曲とシューマンのヴァイオリンとオーケストラのための幻想曲が対置されますが、両者にはどのようなつながりがあるのでしょう」
ホリガー 「これは一種の鏡面対称です。シューマンの《春》は、長い構想期間の後、突然噴火ように一気に書かれましたが、《アラゴアナ》の成立過程にも似たような経緯があります。ツィンマーマンのヴァオリン協奏曲とシューマンの幻想曲では、会話的な性格、クラングレーデのスタイルが共通しています。その意味で両作は、バッハへのオマージュと呼べるでしょう。それとサイモン・ラトルが、私にシューマンを指揮してほしいと言ってきたので、こういうプログラムになったのです」
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この演奏会をデジタル・コンサートホールで聴く!曲目:バルトーク:弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲
ブーレーズ:《ノタシオン》第1〜4、7番
ピアノ:ピエール=ロラン・エマール
指揮:ピエール・ブーレーズ
ベルリンには年に何回も客演するブーレーズですが、今年6月には自作の《ノタシオン》をベルリン・フィルと共に上演しています。この作品、すでに「現代音楽の古典」と呼ばれる傑作ですが、実際普通に聴いても楽しめる(?)インプレッシヴな大曲です。エマールはラヴェルのコンチェルト演奏後、オーケストラ版の原曲であるピアノ版をアンコールとして弾き、洒落たサービスぶりを見せています。
ブーレーズの指揮については、彼独特の冷静なスタイルがバルトークで留保を引き起こしていますが、《ノタシオン》については「あまりに見事な演奏」と一致した意見が聞かれます。なおブーレーズは、万雷の拍手に応えて第2番をアンコール演奏。ベルリン・フィル団員も、この作品を大いに楽しんだ様子です。
「《ノタシオン》は、もともとピアノのために書かれた小品であるが、オーケストラ版では団員が舞台からはみ出してしまうほどの大編成になっている。ここでは指揮者ブーレーズのオーガナイズ能力が、作曲家ブーレーズの要求にぴたりと一致した観があった。つまり音の構築物(その多層的なリズムと非対称的な音面)を再現するのに、彼の明晰な指揮が圧倒的な威力を発揮したのである。弱音器を付けた金管、旋回する弦、硬質に騒ぎたてるシロフォン、ひきつるようなオーケストラの鼓動……。それらすべてが、極度に洗練された、大都市のカコフォニー(音響の混ざり合い)へと昇華されてゆく。そしてブーレーズは、この複合的な音響の重なりを実に完璧にコントロールしていた。もし都市が踊ることができるとすれば、その背景で鳴るのはこのような音楽だろう。ブーレーズに赤いバラを!(2009年6月6日付け『ターゲスシュピーゲル』、クリスティアーネ・パイツ)」
「大喝采をもって迎えられた《ノタシオン》の後、ブーレーズはその第2番をアンコールとしてもう一度演奏した。この曲は、色彩豊かな見事な管弦楽法、知的なユーモアとスウィングによって、現代音楽の数少ない“定番アンコール曲”となった作品である。ブーレーズは同時に、“現代音楽におけるスウィング”が聴衆への受け売りである必要がないことを示した。それは今日の若い作曲家たちが、大いに学ぶべき点である。(略)ブーレーズが見せる知的な鋭利さは(それが年齢と共に柔らかなものになったとはいえ)、コンサート前半ではややマイナスなかたちで表われていた。彼は4月にシュターツカペレでマーラーの第6を振り、天晴れなまでに非感情的な、“神のいない”解釈を示したが、バルトークではとりわけ打楽器にアクセントが欠けているように思われた。演奏には音色の豊かさが不足していたが、その不満はラヴェルのコンチェルトで解消された(2009年6月6日付け『ベルリナー・ツァイトゥング』、アルノ・リュッカー)」
《ノタシオン》第2番の予告編映像を観る(無料)
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本コーナーでは、ドイツおよび欧米の音楽シーンから、最新の情報をお届けします。ウィーン国立歌劇場《ムツェンスクのマクベス夫人》プレミエ
10月23日、ウィーン国立歌劇場で、ショスタコーヴィチの《ムツェンスクのマクベス夫人》が新演出上演された。この公演では、本来指揮に予定されていたキリル・ペトレンコが病気のために降板。今夏ザルツブルクで高く評価されたインゴ・メッツマッハーが代役に呼ばれ、急場を救った。プレミエは総じて好評で、とりわけメッツマッハーの指揮に賛辞が集中。カテリーナ役のアンゲラ・デノケを始め、歌手陣にもブラボーが寄せられたが、一部新聞はマティアス・ハルトマン(ウィーン・ブルク劇場新監督)の演出を批判している(写真© Mathias Bothor)。
チューリヒ歌劇場《蝶々夫人》プレミエ
チューリヒ歌劇場で上演された《蝶々夫人》の新演出は、やや期待を下回るものだったようである(10月17日)。スイスを代表する高級紙『チューリヒ新報』は、グリシャ・アサガロフの演出が冷たい印象で、プッチーニの感情的高まりを打ち消していた、と報じている。中国人ソプラノ、孙秀苇(シュ・ウェイ・スン)の蝶々さんは、「金属的な高音に傾きがちで、声量というよりも馬力で歌っている感じ」。評者のマリアンネ・ツェーグラー=フォークトは、「前回プレミエ(1986/87年)における渡辺葉子の忘れがたい蝶々さん」の方をはるかに高く評価している。
ミデム・クラシカル・アワーズ発表
カンヌで開かれる欧州最大の音楽見本市ミデム(MIDEM)の「ミデム・クラシカル・アワーズ」が発表された。受賞者には、「今年の歌手」にエリーナ・ガランチャとクリスティアン・ゲアハーハー、「今年の器楽奏者」にアンジェラ・ヒューイットが選ばれている。芸術家としての功績に対する栄誉賞は、大ソプラノのミレッラ・フレーニが受賞。レーベル・オブ・ザ・イヤーは、仏ナイーヴであるという。ミデム自体は、来年1月23日から27日に開催される予定。
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