スヴャトスラフ・リヒテルが最もよい演奏を聴かせてくれたのは、やはり何といっても1970年代であろう。楽譜の読みの深さ、幻想的な味わいと明快な輪郭、すぐれた技巧と迫力あるピアニズム等々、いずれもかれのベストコンディションを示している。今回、14枚のCDで出たが、うち、シューマンの「交響的練習曲」と「色とりどりの小品」、ベートーヴェンの27番とブラームスのOp.118から、についてはLP時代に私の愛聴盤であったとりわけリヒテルのシューマンは、かれの若い時分から得意であったが、ここに円熟の極みを聴くことができる。リヒテルの天賦の才は、ほとんどシューマンに捧げられたかにみえる。真正のロマンティシズムが、これほど雄弁に、しかも余裕をもって弾かれるのを、かれ以外では一寸聴いたことがない。
「平均律」第一、第二は、これまたLPから大事にしてきた演奏である。CDになってからは、オリジナルマスターをドイツBMGソノプレス・スタジオで、アンドレアス・ト―クラーが、24bit/96kHzリマスターしたものを聴いてきた。抜群の録音としてよみがえったのだが、強弱の対比がものすごく、少しオーバーアクション気味ではなかったか。今回の14枚については、オリジナル・アナログ・マスターを、タカハシユキオ氏が24bit/96kHzリマスターしたとあるが、音質改善は十分で、「平均律」では強弱が抑制されて、より好ましい状態であるといえるだろう。LPの時は、ザルツブルグのクレスハイム宮の残響が、音像を崩さんばかりであったが、リマスタリングで粒立ちのよい音像になったことは大きな改善点だった。
スケールというよりキャパシティが途轍もなく大きいシューベルト晩年のソナタ二曲では、リヒテルが生み出す、さらに大掛かりな、構成力に満ちた建築のように、さらにダイナミックこの上ない演奏が再生されるのだ。
ブリューノ・モンサンジョンの「リヒテル」(2000)で初めて公開された「音楽をめぐる手帳」で、リヒテルの自分自身の録音や、楽しみのために名演奏家の録音を聴いた時の率直な感想が書き綴られている。批判精神に満ちていて、とりわけ自らの録音についての批評はきびしいものがある。
前述のシューマン、ベートーヴェン、ブラームスについて「手帳」ではこう書かれている。
「ずいぶんと働いた。その結果が3枚の新譜となった・・・。
今回の録音は完全にプロの仕事という感じだ。おかげで音楽家や一緒に仕事をした録音技術者たちからもよい仕事だと認めてもらえた。スタジオ録音にもかかわらず、本物の雰囲気と生き生きとした躍動感が出ている。成功だと言ってよいだろう。
仕事をした録音チームの面々を感謝の気持ちと共に思い出す。<後略>」
シューベルトのハ短調と変ロ長調のソナタの演奏は、リヒテルらしい壮麗なもので、しかもリマスタリングで曲想の立体感やシャープな立ち上がりが得られ、オリンピアレーベルとは雲泥の差というべきであろう。リヒテルは「手帳」でこう言っている。
「この二つのシューベルトの遺作のソナタの録音は、欠点よりも美点が勝っている。特に変ロ長調の方の第一楽章は、私見では、最後まで適正なテンポを持続させている。」
なお、この「手帳」には、コンチェルトの録音に自己批判が集中している。たとえば、カルロス・クライバ―とのドヴォルザークのコンチェルト、マゼールとのブラームス第2コンチェルト、さらに、ベートーヴェンの「三重協奏曲」におけるカラヤンの欺瞞の告発など興味深い。一方で、ロヴロ・フォン・マタチッチとのグリークの協奏曲の録音は、私の「正真正銘の成功例のひとつ」とした。全く同感である。
今回のオイロディスクのセットで、ラフマニノフの「13のプレリュード」が圧倒的であった。ピアニズムの本質を完全に把握している、つまりかれ自身がヴィルトゥオーゾであったラフマニノフならではのこの難曲をどう料理するかはピアニスト次第だ。スケールの大きさと、ロマンティックな中身の充実がリヒテルならではで、しかも音質も改善されていっそう聴き映えのする演奏となった。60年頃の録音に較べると円熟の極みであることもわかる。しかし、ラフマニノフは24の前奏曲というバッハに連なるコンポジションを目指したが、柴田南雄によれば、「ドイツ音楽と異なり、フレージングやアーティキュレーションは一般に散文的で、アウフタクトにあっても和声的に律動的に強制されていない」ので、ロシアのピアニストでないと難しいのであろう。
さらにラフマニノフの「音の絵」とチャイコフスキーは、なかなか聴くチャンスがないが、80年代の滋味あふれる演奏であった。ベートーヴェンとショパンにまで触れられなかったが、悪かろうはずはない。
よってこの14枚のCDは、リヒテルの真価を知るにはうってつけのセットであることに間違いない。