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Symphony No.6 : Harding / Bavarian Radio Symphony Orchestra

Mahler (1860-1911)

User Review :4.5
(5)

Item Details

Genre
:
Catalogue Number
:
900132
Number of Discs
:
1
Label
:
Format
:
CD
Other
:
Import

Product Description


マーラー:交響曲第6番『悲劇的』
ハーディング&バイエルン放送交響楽団


ハーディングはマーラーの6番を得意としており、新日フィルでも東京フィルでも素晴らしい演奏を聴かせており、最近ではベルリン・フィルに急遽キリル・ペトレンコの代役として出演して成功を収めていたのも記憶に新しいところです。
 今回登場するのは2014年3月にバイエルン放送交響楽団を指揮したライヴ録音で、新日フィル公演とベルリン・フィル公演のあいだにおこなわれた演奏ということで期待のもてるところです。
 なお、中間楽章の順番は国際マーラー協会のアンダンテ→スケルツォを踏襲しています。(HMV)

【収録情報】
● マーラー:交響曲第6番イ短調『悲劇的』


 バイエルン放送交響楽団
 ダニエル・ハーディング(指揮)

 録音時期:2014年3月20-22日
 録音場所:ミュンヘン、フィルハーモニー
 録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

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Comprehensive Evaluation

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マーラーは自らに起こる”悲劇”を予知して...

投稿日:2018/01/16 (火)

マーラーは自らに起こる”悲劇”を予知して交響曲に仕立てたのではない 満ち足りた幸福の絶頂で書かれた”第6番”はあくまでも”悲劇的”な情調を帯びていると云うだけのことだ マーラーは交響曲に世界と人生を閉じ込めたのだ 人生は悲劇であり喜劇である 生と死の狭間に人は存在する 悲喜交交である その思想は第1番から第10番までなんら変わらない基調として流れている アンダンテがスケルツォの前に演奏されることに強い拒否を感じられる方をしばしば見かけるが そんなに重大なことだろうか わたしはフィナーレの三度目の槌撃ちを割愛していることの方が楽曲の髄に通じる問題だと思う 三度撃ってこそ完結すると実感している 誰のどの曲でも基本だが初版を尊重すべきだ たとえ作曲者自身が迷ったり改訂したとしても 原典にこそ作曲者の内実が反映している 人のその時の姿を尊重したい 誰でも良い時も悪き時もある 偽らざる自己の投影あって芸術ではないのか 特に音楽は生まれてすぐ消え去るもの ”今”を生きてこそ人の心に届く音楽となる なによりハーディングがこの”第6番”にシンパシーを感じていることが素晴らしい これから永く愉しめそうだ あたなも如何  

風信子 さん | 茨城県 | 不明

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この演奏、幸運にも現地でライブを聴くこと...

投稿日:2015/11/16 (月)

この演奏、幸運にも現地でライブを聴くことができたのでその思い出も兼ねて購入したのだが、会場ではドイツ随一の機能的オケをフルに生かし、圧倒的な響きと音圧の中にも見事に交通整理されたなんともバランスの取れた演奏という印象だった。こうやってメディアの音で聴いてしまうとやはりこちらも客観的な聴き方をしてしまうので、やや醒めた感じもするのは残念だが、バーンスタインやテンシュテットのような情念的で鬼気迫る怪演のピリオドを越えた新しいマーラー像の筆頭に来るものであることは間違いないと思う。ちなみにホルンのトップ奏者(団員名簿にない顔。エキストラ?)はこのCDでも実に見事な演奏だが、本番でもほとんど1音のミストーンもないどころか実に見事なカンタービレをガスタイクのホールいっぱいに響き渡らせる素晴らしい演奏、会場で腰を抜かすぐらい完璧でした!

19番目のDir。 さん | 東京都 | 不明

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バイエルン放送響(BRSO)はやはり巧い。BR...

投稿日:2015/11/02 (月)

バイエルン放送響(BRSO)はやはり巧い。BRSOのマーラーといえば、クーベリックとの交響曲全集があるが、BRSOは決してマーラー度の高いオーケストラとはいえない(《悲劇的》はかつてラインスドルフとのライブが商品化されていた)。どちらかといえば、R・シュトラウスをそつなく聴かせてくれるオーケストラという印象の方が強い。しかし、マーラーもシュトラウスも、後期ロマン派の頂点に君臨するオーケストラ作曲家であり、音符だけなぞってアンサンブルさえ整えればそれで音楽になるという類の作品ではない。もちろん、それはどの作曲家の作品にも言えることだが、この二人は特にそうなのだ。メンバー一人ひとりが、楽譜に書かれている音符一音一音の意味をしっかりと認識し、相当の理解と共感を持って表現することが必要だ。その意味では、指揮者がいくら頑張ってオーケストラをドライヴしようと、自ずと限界がある。■個人的には、恐らく世界で最もマーラーを多く演奏している英国出身の指揮者、ハーディングの才能については懐疑的な面もあるが(彼の師であるラトル卿のマーラー演奏は実に酷いものだ)。実際、この演奏を聴いて「ハーディング凄い」というよりも、「BRSO凄い」としか思えない。ここには、しっかりとクーベリック時代の伝統が息づいている。素晴らしい演奏に出会ったとき、そのどこまでが指揮者の功績で、どこまでがオーケストラの功績なのか明確に線引きすることは不可能だ。ライヴ録音の場合は、指揮者が意識もしていなかった声部が強調されたり、本当は強調していた声部がマスクされてしまったりもする。■演奏は、第1楽章冒頭から暗い予感に満ち、意味深い感興を示すのが聴き手を捉える。「アルマの主題」は、ほとんど直前からのリタルダンドのまま、ぐっとテンポを落としてこれまでになくしなやかに歌われ、まるで清楚な乙女のような表現だ。実際のアルマの愚挙を知っている我々には、壮大な皮肉に聴こえてしまう。展開部は、余計なアゴーギクは一切ないが存分に情緒的でありながら、造形は極めて普遍的である。再現部は伸びやかで輝かしく、音楽の内面を聴き手に伝える。コーダは俄然緊張感が高まり、堂々とした力感をもって騒然とした姿勢で音楽を劇的に構築している。■第2楽章には「アンダンテ・モデラート」を持ってきているが、いくら「学術的」に正しかろうと、聴きてにとっては従来通りの「スケルツォ→アンダンテ」が至当とういのが正道だろう(実際、最近ではそういう録音も増えている)。この楽章順がハーディングの所為かどうかは知らないが(ラトルはむしろ進んでそうしている)、こういうところがハーディングから懐疑の念が拭えない所以なのだ。とはいえ、演奏自体は、この楽章出色の出来。陰影がたっぷりつき、全体的な流れのよさとレガートの魅力、弦の粘着力や艶やかさも美しさの限りだ。■第3楽章「スケルツォ」はリズムが極めて鋭敏で、一種の浮揚感に満ちているのはマーラーの意図通りか。また、過剰にメカニックに陥らないアンサンブルの妙技も聴きもので、メリハリが冴え、流れの緊張力も見事。外面的効果は狙われていないと思うが、その迫力は聴きてを夢中にさせる。■終楽章、各パートの綿密な処理による確固とした造形が、音楽の風格を強く感じさせる。それが適切なテンポでひたすら前進し、細部にまで血の通った表現で起伏しながら高揚していくさまは、まさに凄烈・凄絶という他ない。2度のハンマー(そう、ハンマーは2度なのだ)はそれだけ特にピックアップされているわけではなく、オーケストラとよくブレンドされている。

MISPRISIONER さん | 東京都 | 不明

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