SACD

(Cooke)Symphony No.10 : Inbal / Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra (2014)(One Point Recording version)(Hybrid)

Mahler (1860-1911)

User Review :5.0
(8)

Item Details

Genre
:
Catalogue Number
:
OVXL00089
Number of Discs
:
1
Format
:
SACD
Other
:
Hybrid Disc

Product Description


マーラー:交響曲第10番(クック版)全曲
インバル&東京都交響楽団
エクストン・ラボラトリー・ゴールドライン
マーラー:交響曲第10番〜ワンポイント・レコーディング・ヴァージョン


高評価を獲得しているインバルのマーラー10番に、ワンポイント・レコーディング・ヴァージョン盤の登場。オーケストラ・サウンドのホール・プレゼンスをありのままに再現した名録音です。
 インバルのこの曲の最初の録音は、フランクフルト放送響との演奏でしたが、今回は東京都交響楽団との演奏となります。演奏技術や録音技術の向上が、こうした近代作品にもたらすプラスの効果に加え、インバルの指揮が前回のセッション録音に較べてさらに確信に満ちた熱のこもったものとなっており、クック第3稿の魅力をよりよく示すものとなっているのが印象的。
 なお、インバルは2011年にコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して映像収録もおこなっており、基本的に今回の演奏と同じスタンスの、深化したインバルの解釈に応えるマーラー・オケという仕上がりになっていました。
 クック版はよく音が薄いとも言われますが、マーラーの遺した草稿に対してあまり自らの個性を投影したくなかったその意識は、マーラー好きには却って歓迎されるものかもしれません。実際、インバルの今回の録音のように、オーケストラが見事なサウンドを響かせていると、クック版の音の薄さの問題など感じられませんし、マーラーの持ち込んだ和声の凄さを改めて示す熱のこもった演奏からは、マーラーならではの音楽の迫力も確かに伝わってきます。
 深々とした抒情と圧倒的なパワーがすごい両端楽章と、中間楽章の多彩な表情は、オーディオ的魅力にも富んでおり、芳醇な響きのサントリーホールに無段階の変化と広がりを示すオーケストラのダイナミクスは、マーラーを聴く醍醐味を味わわせてくれます。
 以下、クック版について簡単にまとめておきます。

【BBCによる壮大な計画】
クック版がつくられるきっかけとなったのは、BBCによって企画されたマーラー生誕100周年記念行事の一環として、交響曲第10番を完成した姿で世に紹介しようという計画でした。
 この計画のため、BBCは1959年に音楽学者のデリック・クック[1919-1976]に補筆完成作業を依頼し、クックはこれを受諾、翌年の放送初演に間に合わせるべく作業に取り掛かり、12月19日、ピアノとオーケストラを交えたクック自身による解説の後に、補筆完成の協力者でもあるベルトルト・ゴルトシュミット指揮フィルハーモニア管弦楽団による演奏で全曲が放送されています。

【アルマ・マーラーの怒り】
ところがこの補筆完成に関わっていなかったアルマは、自身の知らぬヴァージョンが放送されたことで怒り、このクック版による演奏を禁止してしまいます。背景には、アルマがシェーンベルクに完成を依頼して断られたりしていた事情もあるものと思われます。
 しかし1963年になると、かつてショスタコーヴィチに完成版を依頼して断られた経験があるジャック・ディーサーらが、アルマのもとを訪れ、くだんのBBC放送録音を実際に聴かせた結果、アルマはそのヴァージョンを気に入り、演奏禁止の解除を決心させることに成功します。
 良いことは続くもので、その後、アルマの娘のアンナ・マーラーと、マーラー研究者のアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュによって40ページものスケッチが発見。この楽譜は、ジャック・ディーサーによって、ただちにデリック・クック、クリントン・カーペンター、ジョー・ホイーラーら完成版に取り組む人々に送付され、各ヴァージョンはそれまでの姿に大きな変更を加えることとなるのです。

【クック第2稿の初演】
新発見素材をもとに、第2楽章と第4楽章の欠落部分を補うなどして完成されたのが、クック第2稿で、このヴァージョンは、1964年のプロムスで8月13日に初演されています。これは欠落の無い完成版ということもあって注目を集め、翌年11月にはさっそくユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団によってセッション・レコーディングがおこなわれていました。

【クック第3稿とゴルトシュミット】
ゴルトシュミットについては、十数年前の退廃音楽ブームの際に多くのアルバムがリリースされたことをご記憶の方も多いことでしょう。ユダヤ系ドイツ人作曲家のベルトルト・ゴルトシュミット[1903-1996]は、ナチスによる迫害を逃れてイギリスに亡命、BBCに勤務していたという人物で、当初からクックの作業に助言を与えており、クックが57歳で急死した後も、クック版の推敲に尽力し、1989年には第3稿第2版を刊行していました。(HMV)

【収録情報】
● マーラー:交響曲第10番嬰へ長調(クック版)全曲
 I. Andante - Adagio
 II. Scherzo
 III. Purgatorio
 IV. Scherzo. Nicht zu schnell
 V. Finale. Langsam, schwer

 東京都交響楽団
 エリアフ・インバル(指揮)

 録音時期:2014年7月20,21日
 録音場所:東京、サントリーホール
 録音方式:ステレオ(DSD)
 SACD Hybrid
 2ch HQ (CD STEREO/ SACD STEREO)
【交響曲第10番全曲版】
以前は第1楽章のアダージョのみの録音が多かったマーラーの交響曲第10番は、ここ数年全曲版の録音が相次いで登場し、多くの謎と未解決の問題を孕むこの未完の大作が広く一般に聴かれるようになってきました。特にサイモン・ラトルがベルリン・フィルを指揮した録音の登場は、この作品が他のマーラーの交響曲と同様に、レパートリーとしての不動の地位を確立したことを強く印象づける画期的な出来事と言えるものでした。
 最も代表的なデリック・クック[1919〜76]による補筆完成版の他に、カーペンター版やマゼッティ版、ホイーラー版など、マーラーが残したスケッチや資料に基づく独自の分析と研究、それに豊かな想像力を加えた様々なヴァージョンが数多く存在するのもこの作品の特徴であり、ファンにとってはますます興味の尽きない状況となっています。
 マーラーが交響曲第10番に本格的に着手したのは1910年夏のことで、その年のうちに作品の骨格にあたる全5楽章の略式総譜を書き上げ、第1楽章全体と第2楽章、および第3楽章の一部はスケッチの形でオーケストレーションも施されました。 この年の7月から9月にかけてのマーラーの身辺は波乱に満ちたもので、第10番の作曲に取り掛かった直後の7月に愛妻アルマの不倫が発覚し結婚生活最大の危機を迎え、マーラーは精神的に不安定な状態に陥り、そのため8月末には精神分析の創始者として有名なフロイトを訪ねて診察を受けています。
 また9月にはミュンヘンで交響曲第8番『千人の交響曲』の初演を指揮し、作曲家マーラーとして空前絶後の大成功を収めますが、これが最後の自作の初演となりました。
 1911年5月18日にマーラーはこの世を去り、第10番は未完成のまま残されました。その後多くの作曲家や研究者たちの手によって紆余曲折を経ながら、この作品の補筆完成の試みが続けられ現在に至っているわけですが、最初の録音はウィン・モリス指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団によって、デリック・クックの「最終改訂版」である第3稿の第1版を用いておこなわれています(この版は彼らによって1972年10月に初演が行われています)。
 クック版第3稿は1976年に第1版が出版され、同年クックも亡くなっているので「最終改訂版」と言われていますが、1989年には、クックと共同作業を進めていたゴルトシュミットとマシューズ兄弟がさらに改訂を加えた第3稿第2版が出版されています。ラトル&BPO盤はこの第3稿第2版によっています。ちなみに第2稿にはオーマンディのセッション録音などがありますが、第1稿は完全な全曲ヴァージョンではないということもあってか録音がなかったものの、BBCの初演放送が登場することとなりました。
 いくつかある全曲ヴァージョンの中で、一般的なのは、クック版第3稿第1版=COOKEUの演奏で、録音もモリス、ザンデルリング、レヴァイン、ラトル&ボーンマス響、シャイー、ギーレンなどがありますが、独自の改訂を加えたものが多いのも特徴です。

第10番全曲 ヴァージョン別録音リスト

【クック版第1稿】
  • ゴルトシュミット&フィルハーモニア管
    【クック版第2稿(COOKET)】
  • ゴルトシュミット&ロンドン響
  • オーマンディ&フィラデルフィア管
  • マルティノン
    【クック版第3稿第1版(COOKEU)】
  • モリス&ニュー・フィルハーモニア管
  • ザンデルリング&ベルリン響
  • レヴァイン&フィラデルフィア管
  • ラトル&ボーンマス響
  • シャイー&ベルリン放送響
  • インバル&フランクフルト放送響
  • ギーレン&南西ドイツ放送響
    【クック版第3稿第2版(COOKEV)】
  • ラトル&ベルリン・フィル
  • ノセダ&BBCフィル
  • ハーディング&ウィーン・フィル
    【バルシャイ版】
  • バルシャイ&ユンゲ・ドイチェ・フィル
    【カーペンター版】
  • ファーバーマン&フィルハーモニア・フンガリカ
  • リットン&ダラス響
  • ジンマン&トーンハレ管
  • ラン・シュイ&シンガポール響(映像)
    【マゼッティ版第1稿】
  • スラトキン&セント・ルイス響
    【マゼッティ版第2稿】
  • ロペス=コボス&シンシナティ響
    【ホイーラー版】
  • オルソン&ポーランド放送響
    【サマーレ&マッツーカ版】
  • ジークハルト&アーネム・フィル
    【ピアノ版(スティーヴンソン&ホワイト編)】
  • クリストファー・ホワイト

    年表

    【1910】
  • 作曲開始
    【1911】
  • マーラー死去。10番については、4段譜表による全曲の略式総譜、つまり作品の骨格がすでに完成されており、うち、第1楽章と第2楽章、および第3楽章の最初の30小節はオーケストレーションを施したスケッチもなされていました。
    【1924】
  • 後に娘のアンナの夫となる作曲家、エルンスト・クルシェネクにアルマが完成を依頼。ほどなく、第1楽章草稿をほぼそのまま演奏譜に直し、第3楽章スケッチにオーケストレーションを施した2楽章版が完成する。ただし、スケッチの読み違いなども多く、その後1951年に刊行されるまでには、シャルクやツェムリンスキーによってかなり修正されることとなります
  • 10月14日、シャルクの指揮により上記クルシェネク版、ウィーンで初演。次いで11月にはメンゲルベルクがオランダ初演、12月にクレンペラーがベルリン初演、同じく12月にはツェムリンスキーがプラハ初演。
  • ウィーンのパウル・ソルナイ(のちのアンナの夫)により、スケッチのファクシミリ版刊行(一部に欠損あり)
    【1935】
  • フリードリヒ・ブロックによるピアノ4手版完成
    【1942】
  • ジャック・ディーサーは作品完成に向け、レニングラードでショスタコーヴィチを招いて打診するものの断られます
    【1946】
  • アルマはジャック・ディーサーをビヴァリー・ヒルズの自邸に招きシェーンベルクに打診するよう依頼するものの、シェーンベルクからは断られます
  • アメリカのクリントン・カーペンター、自らの補筆完成版にシカゴで着手
    【1951】
  • ニューヨークのアソシエイテッド・ミュージック・パブリッシャーからクルシェネク版刊行
    【1952】
  • ヘルマン・シェルヘンがアダージョを初録音(←バルシャイが若き日に影響を受けた録音)。
    【1953】
  • イギリスのジョー・ホイーラー、自身の完成版にロンドンで着手。
    【1954】
  • ドイツのハンス・ヴォルシュラーガー、補筆完成版に着手
    【1955】
  • ホイーラー版の完成。ホイーラー第1稿と呼ばれます
    【1957】
  • ホイーラー版の一部、ロンドンで試演
    【1959】
  • ホイーラー第3稿完成。
  • BBCがマーラー生誕100年祭を企画。デリック・クック が補筆完成版に着手
    【1960】
  • 12月19日、BBC放送にて ベルトルト・ゴルトシュミット による クック全曲版 初演(第2楽章と第4楽章に一部欠落あり)。
  • アルマが放送を知り、演奏を禁止。
    【1963】
  • ハロルド・バーンズ、ジャック・ディーサー、ジェリー・ブラックがニューヨークのアルマを訪れ、BBC放送の演奏を聴かせ、演奏禁止措置を解除させることに成功。
  • アンナ・マーラー と アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュ によって40ページのスケッチが発見され、ジャック・ディーサーによってカーペンターとホイーラーらにページを送付。
    【1964】
  • 8月13日、上記発見ページによる補完を経た クック第2稿 が、ゴルトシュミット指揮によりプロムスで初演される。
  • ウニフェルザールの全集版に第1楽章のみ取り入れられます。
    【1965】
  • 改訂を経たホイーラー第3稿 が、アーサー・ブルーム指揮によってニューヨークで初演されます。
  • 11月、オーマンディがクック第2稿 により、フィラデルフィア管弦楽団を指揮してレコーディング。(SONY、廃盤)
    21:35+11:13+03:40+11:32+21:22=69:22
    【1966】
  • カーペンター版完成。
  • 5月、 ジャン・マルティノン が、 クック第2稿 を用い、シカゴ交響楽団を指揮して演奏。のちにCD化されますが現在は入手不可。
    20:55+10:00+03:57+10:41+20:29=66:02
    【1966】
  • 11月、ホイーラー第4稿(最終完成稿)が ジョネル・ペルレア指揮マンハッタン音楽学校管弦楽団によりニューヨークで初演。
    【1972】
  • 10月、ウィン・モリスが クック第3稿第1版 により、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮して初演とレコーディングを実施。(PHILIPS)
    21:52+12:15+04:23+13:20+27:52=79:42
    【1974】
  • ヴォルシュラーガー、完成版創作を中止。
    【1975】
  • 6月、ジャン・マルティノン が、クック版を用い、ハーグ・レジデンティ管弦楽団を指揮して演奏。
    21:00+10:21+03:55+09:57+20:22=65:35
    【1976】
  • ニューヨークのアソシエイテッド・ミュージック・パブリッシャーから クック第3稿 刊行。デリック・クックのほか、ベルトルト・ゴルトシュミット、コリン・マシューズ、デイヴィッド・マシューズの協力により完成しています。
    【1979】
  • 11月、クルト・ザンデルリングが、自身による第4・5楽章の大幅な改訂とゴルトシュミットの改訂を含んだ クック第3稿第1版 により、ベルリン交響楽団を指揮してレコーディング。(ETERNA)
    23:30+13:15+04:05+11:20+22:08=74:18
    【1980】
  • 1月、 ジェイムズ・レヴァインが、 クック第3稿第1版 により、フィラデルフィア管弦楽団を指揮してレコーディング。(RCA)
    24:38+11:50+04:12+12:37+28:30=81:47
  • 6月、サイモン・ラトルが、ゴルトシュミット承認のもとにおこなった自身の改訂を含む クック第3稿第1版 により、ボーンマス交響楽団を指揮してレコーディング。(EMI)
    23:53+11:26+04:03+11:54+24:07=75:23
    【1983】
  • カーペンター版 の初演がゴードン・ピータース指揮シカゴ市民管弦楽団により行われる。
    【1983】
  • レモ・マゼッティ・ジュニア が自身のヴァージョン制作に着手。
    【1986】
  • マゼッティ版 の3つの楽章が ガエタノ・デローグ によってオランダで初演。
  • 10月、リッカルド・シャイーが、 クック第3稿第1版 により、ベルリン放送交響楽団を指揮してレコーディング。(DECCA)
    20:48+11:49+04:22+11:26+25:04=73:29
    【1989】
  • クック第3稿第2版 、マシューズ兄弟、ゴルトシュミットによる編集を経て刊行(クック自身は第3稿第1版刊行直後に死去)。
    【1989】
  • マゼッティ版完成。 デローグにより初演。
    【1992】
  • 1月、エリアフ・インバルが、 クック第3稿第1版 により、フランクフルト放送交響楽団を指揮してレコーディング。(DENON)
    22:50+11:04+03:58+11:04+21:53=70:49
    【1993】
  • 11月、 マーク・ウィッグルスワース が、 クック第3稿第2版 により、ウェールズBBCナショナル管弦楽団を指揮して演奏。雑誌BBC MUSICの付録としてCD化。
    22:24+11:27+04:08+11:26+23:56=73:21
    【1994】
  • レナード・スラトキンが、マゼッティ版により、セントルイス交響楽団を指揮してレコーディング。(RCA)
    24:28+11:38+03:48+11:06+24:02=75:02
    【1995】
  • ハロルド・ファーバーマン が、 カーペンター版 により、フィルハーモニア・フンガリカを指揮してレコーディング。(GOLDEN STRING,廃盤)
    【1996】
  • 指揮者のロバート・オルソンが、レモ・マゼッティとオランダの研究者、フランス・ボウマンの協力を得てホイーラー第4稿の改訂に着手。
    【1997】
  • オルソン、マゼッティ、ボウマンの3人により完成したホイーラー第4稿の改訂版が、ロバート・オルソン指揮コロラド・マーラー・フェスティヴァル管弦楽団により初演。音楽祭事務局によりCD化。
    【1999】
  • 9月、サー・サイモン・ラトルが、クック第3稿第2版 により、ベルリン・フィルを指揮して演奏、CD化。(EMI)
    25:03+11:16+03:53+12:04+24:34=76:50
    【2000】
  • 2月、すでに自らのヴァージョンを完成していたマゼッティが、1997年のコロラド・マーラー・フェスティヴァルにおけるホイーラー第4稿改訂作業に参加した際に、自らのヴァージョンの改訂を思い立ち、完成した第2稿をロペス=コボス&シンシナティ響が初演。レコーディングもTELARCによって、ただちに実施され、同年11月には早々とリリース
  • 10月、シュタットルマイヤー&クレメラータ・バルティカによる弦楽合奏用編曲で、クレーメルとクレメラータ・バルティカが第1楽章アダージョをレコーディング
    【2001】
  • 5月、DELOSレーベルでマーラー全集進行中のアンドルー・リットン&ダラス交響楽団により、カーペンター版を使用したコンサートが催されライヴ収録
  • 9月、ベルリンでバルシャイが自身のヴァージョンによりレコーディング。
  • 9月、イタリアのペルージャでサマーレ&マッツーカ版が、ジークハルト指揮ウィーン響により初演。
    【2002】
  • 6月、コロラド・マーラー・フェスティヴァルでホイーラー第4稿改訂版を演奏した、ロバート・オルソンが、ポーランド国立放送響を指揮して同ヴァージョンをレコーディング。商業録音としては初のホイーラー版の登場。
    26:15+12:03+04:30+12:15+23:53=78:56
    【2004】
  • 12月、ダニエル・ハーディングがロサンジェルス・フィルを指揮して、クック全曲版でマーラーの10番をとりあげます。
  • 12月、ダニエル・ハーディングがウィーン・フィル・デビューに際し、クック全曲版でマーラーの10番をとりあげます。
    【2005】
  • 3月、クック全曲版に批判的だったミヒャエル・ギーレンが、考えを変え、同ヴァージョンによりマーラーの10番を録音します。
    【2007】
  • 8月、ジャナンドレア・ノセダがBBCフィルと、クック全曲版でマーラーの10番をCHANDOSにレコーディング。
  • 10月、ダニエル・ハーディングがウィーン・フィルを指揮して、クック全曲版でマーラーの10番をDGにレコーディング。
  • 12月、サマーレ&マッツーカ補筆完成版をジークハルトが初レコーディング。
    【2008】
  • 8月、クック校訂全曲版を土台にしたスティーヴンソンとホワイトによるピアノ・ソロ編曲版がクリストファー・ホワイトによりレコーディング。
  • 11月、クック第3稿第2版をウィッグルスワースがメルボルン響と録音。
    【2010】
  • 1月、ジンマン&トーンハレ管がカーペンター版をレコーディング。
  • 9月、イスラエルの若手指揮者ヨエル・ガムゾウが完成した全曲ヴァージョンが国際マーラー管弦楽団の演奏によりベルリンで初演。
    【2011】
  • 2月、テスタメントから10番初演3枚組アルバムが登場。
  • 6月、インバル&コンセルトヘボウ管弦楽団がクック版を映像収録。
    【2013】
  • 2月、金聖響&神奈川フィルがクック版を録音。
    【2014】
  • 7月、インバル&東京都交響楽団がクック版を録音。

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    Comprehensive Evaluation

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    Eliahu Inbal has always been an excellen...

    投稿日:2015/01/31 (土)

    Eliahu Inbal has always been an excellent Mahler conductor. His fortes are great attention to balance and myriad details, careful delineation of the polyphony, sensible phrasing, and judicious choice of tempos, all of which are in keeping with the big picture never sacrificing the forest for the trees. His interpretation is never dull or routine and typically draws cumulatively dramatic effects. This latest account of Deryck Cooke’s performing edition of the complete Tenth Symphony is a case in point. It shares all the features of Inbal’s first recording with Frankfurt Radio Symphony Orchestra (still available on Denon label), but the Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra of which Mr. Inbal is the music director has sheer brilliance in their execution as well as the golden sonority that’s really hard to resist. Happily, Inbal adds rubato in places, e.g., Scherzo I. & II., with wide dynamic contrasts enhancing the drama underlying the score. Exton supplies with sonics that are nothing short of jaw dropping; it has impressive dynamic range, details, ambiance and warmth. This is then a tremendous performance/recording of Mahler’s last symphonic thoughts in the late romantic fashion, incomplete but endlessly fascinating and poignant. I was completely bowled over.

    John さん | UNITED STATES | 不明

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    何といっても10番はマーラー全作品中、最愛...

    投稿日:2015/01/18 (日)

    何といっても10番はマーラー全作品中、最愛の一曲であるから、渡邉暁雄と都響によるクック版の日本初演(1976年)以来、聴きうる限りの5楽章版の演奏には欠かさず足を運んできたが、これはやはり別格と言うべき圧倒的な演奏。近年のインバルの指揮は、総譜の緻密な再現に徹して、余分な表情づけをどんどん切り捨てていっているが、クック版は演奏家による表情づけがなければ、もはや音楽にすらならないような楽譜。全曲最後のヴァイオリンのグリッサンドをフリーボウイングで印象づける(結果としてトーン・クラスターのように聞こえる)など、演奏経験豊富な指揮者ならではの練達の技が随所で光るが、インバルとしては珍しい積極的な楽譜への踏み込み(第2スケルツォではマーラーの書法ではないと評判の悪いシロフォンをあえて採用してさえいる)がもともと淡白なクック版と絶妙な化学変化を起こしたと考えるべきだろう。今回のマーラー・ツィクルス最大の成果であることは間違いない。ただ、一箇所だけ文句を言うならば、響きの薄い箇所でせっかちになりがちな、彼の悪癖が顔をのぞかせてしまっている。具体的には第4楽章末尾や第5楽章冒頭だが、こういう所ではもっと休符に「物を言わせて」ほしかった。都響はもちろん圧倒的にうまく柔軟性に富み、その限りでは何も言うことはないのだが、今のところは指揮者の道具でしかない。オーケストラ自体が明確な個性と自発性を持って、指揮者の解釈に対峙できるようになれば正真正銘、どこへ出しても恥ずかしくない世界第一級のオーケストラだ。

    村井 翔 さん | 愛知県 | 不明

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    この演奏の実演には2014年7月20日、21日の...

    投稿日:2015/01/17 (土)

    この演奏の実演には2014年7月20日、21日の両日とも行くことができた。前回の9番同様、いやそれ以上に、この10番は、インバル・都響のマーラーが世界最高峰であることを如何なく示したと思う。バーンスタインは、マーラーを、19世紀と20世紀の境界線を跨いで立つ巨人という趣旨の言葉で表現し、それは全く正鵠を射ているが、このことはマーラーの演奏に、19世紀からのアプローチと、20世紀からのアプローチとの双方が可能だということを示している。そしてこの観点からすれば、インバルのマーラーは、完全に20世紀(いや今回の10番の成果を踏まえるなら21世紀からというべきか)から見たものだ。このことは、前回の9番の演奏が、完全に19世紀末、あるいは20世紀初頭のベル・エポックの耽美的な美学を脱し、絵画で言えば抽象的、幾何学的な表現主義の時代に達したカンディンスキーを思わせる、極めて精緻にして厳しい精神性に到達したものであったことからも明らかだ(このような印象は、もともと9番自体が、非常に自己完結性と内容的な客観性の高い作品であることが大きな要因となっている)。そしてこのように20世紀、あるいは21世紀からマーラーにアプローチする姿勢を一貫させた場合、むしろ10番こそが真の頂点(もちろん開かれたという意味での)を形成するという結論は自然なものだろう。しかし現実には、10番が「未完」であったという理由で、アプローチの如何にかかわらず、9番がマーラーの到達点と長い間見做されてきた。小生は、クック版はじめ、数ある10番の補筆完成版のうち、どれが真に優れているか、詳細に論じる能力は持ち合わせていないが、今回のインバル・都響の10番の、本当に瞠目すべき成果を前にすると、やはり「未完」とは言ってもマーラーが、(一応完成したと言われている1楽章、3楽章以外についても)その内容の本質的なところは十分に略式総譜(パルティチェル)に残し得たのだということ、そしてそれに、インバルの、まさに生涯を通じて一貫していると言っていい、マーラーのポリフォニックな音楽言語に徹底して忠実な解釈(むしろ民族性とか本能とかそういうレベルのものというべきなのだろう)が相俟って、ようやく、20世紀(そして21世紀)から見たマーラーの真の到達点が示されたのだということを強く感じる。確かに、クック版以外の版も含め、10版の補筆完成版の録音は既に相当数に達しているが、インバル自身の2種(FRSOとコンセルトヘボウ)も含め、これまでの録音はいずれも、今回のインバル・都響が到達した高みには達していない。それを如実に示しているのは、小生が実演でも感じたところからすると、似ていない双子のような2つのスケルツォ(2楽章と4楽章)である。インバル・FRSOの92年の録音では、いずれの楽章も非常に切れ味鋭く、鮮やかな名演であるが、よく指摘される、クック版の「響きの薄さ」が感じられ、聴後の感想としては、やはり草稿の補筆なのだな、という印象は拭えなかった。ところが、今回の都響版では、特にテンポの微妙な揺らし方と、都響の各楽器の変幻自在な音色の配合と変化が相俟って、極めて豊かな音楽になっていることが特筆される。2楽章は、FRSO版を含め他の演奏と比較して遅めの訥々としたテンポで始まるのだが、主部に入ると俄かに量感と鋭さを増して突進し、ところがレントラーのようなトリオの部分ではぐっとまたテンポを落としてルバートを多様し、5番の3楽章のような本当に変幻自在の舞曲となる(4番の2楽章のヴァイオリンソロの部分が引用されるのは周知だろう)。全体に躁的な諧謔味の強い2楽章に対して4楽章は絶望的な皮肉の音楽であり、強くショスタコーヴィチを予感させる(終結部など15番の世界と変わらない)が、やはり舞曲性は濃厚である。このような両スケルツォの本当に豊かな音楽性は今までどの録音でも感じたことがなく、実に素晴らしい。おそらくインバルが細かく指示しているのだと思うが、(全曲を通じてだが)弦にしても管にしてもアーティキュレーションが恰も細かく絵筆を使い分けているかのように繊細で表情付けが豊かなのが要因なのだと思う。BPOやVPOのようなスーパー・オケだと、特に何も指示しなくても各楽員の突出した技量の合成で自然にある種の響きが生まれてくるのだが、だからと言ってそれがマーラーの音楽言語に忠実であるかというと全くそうではない。1番から徹底的かつ意識的にマーラーの音楽言語を突き詰めてきたインバル・都響の共同作業の最終的な成果が今回の10番の響きなのだ。10番については、楽章構成が5楽章で、中間の3楽章が短いという点を含め7番に類似していること、内容的にアルマとのエピソードが強い影響を及ぼしている点で5番や6番に近いこと、3楽章が「角笛」の「この世の暮し」を元にしている点で、4番以前の角笛時代との関連もあること、さらには1楽章と5楽章で強烈な不協和音を用いたカタストロフの部分があり、20世紀音楽の技法の一つであるクラスターを先取りしていると言われていることなど、論ずるべき興味深い点は尽きず、また、この演奏と録音はこれらの論点についても様々な思索を呼ぶものであるが、そこまで書いている余裕はない。しかし、なぜこの演奏と録音が(これまでのインバル・都響のマーラーチクルスの演奏と録音にもさらに増して)胸を打つのかと考えたとき、やはり、現代の我々が、震災にしろ、テロにしろ、財政危機にしろ、様々なカタストロフやその予感の中で、慰めと希望を求めて生きていかざるを得ないというナマの感覚に、最もアクチュアルに応える演奏であったということなのではないだろうか。マーラーに関するこういった言い方自体、ある意味紋切型で、小生自身これまで好きではなかったが、この演奏を聞いて以後、日々このような実感を否定しようのない自分を感じている。その意味ではマーラーの10番は我々の生きる21世紀を予言していたとさえ言ってよいのだろう。インバル・都響はそのことをもっともアクチュアルに感じさせてくれたのだ。実演でもそうであったし、録音でもそうだが、5楽章のカタストロフが収束した後の連綿と続く、楽章の最初に登場するフルートソロの旋律をもとにした音楽は、涙なしには到底聞くことはできない。最後のグリッサンドの跳躍と下降、そこにおける(9番の4楽章でも登場した)フリーボウイングの効果は、言語を絶するものだ。このような演奏を実現した都響の方々の技術面、精神面両面における水準の高さも、いくら賞賛しても賞賛仕切れるものではないだろう。鈴木氏のヴィオラ、四方氏のヴァイオリン、古川氏のチェロ、それぞれのソロはいうまでもなく、寺本氏のフルート、岡崎氏のトランペット(カタストロフの部分はもちろんだが、個人的には2楽章の始まって間もない部分など絶妙である)、西条氏のホルン、佐藤氏のテューバ等々、やはりプロの頂点の仕事である。マーラーの使徒インバルと、都響との共同作業が、今後も長く続くことを祈念したい(もちろん新音楽監督である大野氏との発展も含め)。

    norry さん | 東京都 | 不明

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