「ベートーヴェンのゲルニカ」
ミサ・ソレムニスには謎がある。
ベートーヴェンのなかでも屈指の大曲であり、力作である。キリエ、グローリア、クレドの三章はミサ曲としても全く素晴らしい。教会権力とゴシック建築工学の粋を尽くしたどんな壮麗な教会の中で鳴っても、堂々と対峙し得る音楽である。
だが、サンクトゥスの後半ベネディクトゥスはどうだろう。美しすぎる。
モーツァルトやシューベルトのミサ曲にも美しい箇所はたくさんあるけれど、このベネディクトゥスの美しさは、なんというか質が違う。宗教的であるより、もっと親密な人間の歌であるように聞こえる。
典礼文はいらない。バイオリン独奏が主役の音楽。これが協奏曲の緩徐楽章だったら、全体としてどんな素晴らしい曲だったろうと、夢のような空想をしてしまう。
さらに私を困惑させていたのは、アニュスデイだ。この章は大きく二つに分けられる。前半のアニュスデイは真実の嘆きで、全世界の悲しみを一身に背負ったかのような、ベートーヴェンの慟哭だ。
後半のドナノビスパーチェムに入って、軽やかに、少し希望を感じさせるような音楽がしばらく続く。(ここで終わってもよかった。終わってくれればよかった。)
そして、曲全体を壊しかねない蛇足のような部分になる。突然、ティンパニーとトランペットが行進曲風に、場違いに入ってくる。続いて、女性の悲鳴!
たった一声だが、阿鼻叫喚の悲鳴に聞こえる。そして、どうしても連想してしまうのが、ピカソのゲルニカ」だ。スペイン内戦で空爆された町ゲルニカを描いた絵の両端に、天を仰いで大きく口を開けた女性が描かれている。ひとりは死んだ赤児を抱いている。
ベートーヴェンは、ドナノビスパーチェムが始まるところの楽譜に、「内と外の平和の祈り」と書き込んだ。
この場合は、「外の」が特に重要だろう。ベートーヴェンのドナノビスパーチェムは、戦争の惨禍からの平和を希求する音楽だ。
ここまでは多分、ベートーヴェンが書きたかったことを、私は聴き取っているだろう、と思う。もやもやしているのはここからだ。ベートーヴェンは、外の平和を神に祈って、内なる心の平和を得ることができたのだろうか。
ミサ・ソレムニスをクレンペラーやベーム、バーンスタインで聴いてきた。いずれも名演だと思う。ただ、アニュスデイの謎、もやもや感はずっとあり続けた。何かごまかされているような終わりかたに聴こえる。ごまかすというのが言いすぎなら、謎なんか無い、こんなもんだろ、という結末の仕方に聴こえる。
アーノンクールの指揮は、ありのままだ。
ティンパニーの少し乾いた音がいっそう戦争を思わせるし、アルトの叫びから「ゲルニカ」を連想してしまったのは、この演奏からだった。そして、ベートーヴェンともあろう者がこんな終わり方をしたらダメじゃん、というままの終結。勝利の高揚感もなく、逆に静かな諦念の内なる平和におさまるのでもなく、諦めのように突然、思考が停止する。
この中途半端で、ダメな終わり方にこそ、ベートーヴェンの誠実さと苦悩の深さを聴くべきなのかもしれない。
「外の平和」は神に祈ってもだめなのだ。人間のもたらす災いは人間が解決する他はない。では、どうすればいいのか、それがわからない!
その思いのまま、このミサ曲を終わらせるしかなかった。
アーノンクールの演奏から、こんなふうに聴き、私のもやもやはとりあえず解消された。
ここからは、アーノンクールに触発された私の推察である。間違っていてもアーノンクールに責任はない。
ミサ・ソレムニスでは答えを見いだせず、中途半端な終わり方をしてしまったベートーヴェンだが、その誠実さと苦悩の深さによって、ついに「外の平和」に至る哲学を見いだすことができたのだった。それは、第九を書いている最中だった。
思い出せ!少年のころからずっと持ち続けていた思いだ。シラーの詩に出会った時から、否、それ以前、嵐のような新しい思想にもまれていた時代に確かに獲得していたもの。
自由、平等、友愛。
ベートーヴェンは予定していた最終楽章の楽想を取りやめ、シラーの詩をもとにした合唱を導入する。
「友よ、このような音ではない」これは、シラーではなく、ベートーヴェン自身の言葉である。このような音、という射程は、第九の第一楽章を超えて、ミサ・ソレムニスにまで届いている。
ミサ・ソレムニスのウィーンでの初演は、1824年5月7日、あの有名な第九の初演日である。この時、全曲ではなく、キリエ、クレド、アニュスデイの三章が演奏された。
作曲が始められたのは1819年の春ころ。弟子であり、友人であり、後援者でもあったルドルフ大公が大司教に就任する式典に合わせてのこと。時間はまだ一年近くあったが、間に合わなかった。
式典のためという目的が消えたことで、ベートーヴェンは否応なしに自身の宗教観、あるいは時代や世界観をこの曲に投影してしまうことになったのではないか。
ヨーロッパ全体を戦火に巻き込んだナポレオン戦争はとりあえず終わった。だが、ウィーン体制と呼ばれた極めて反動的な警察国家が誕生し、密告と検閲のなかで、多くの人が血の粛正にあっている。ベートーヴェンも自由主義、共和主義者として、スパイを送り込まれ、マークされていた。こんな社会が平和と言えるだろうか。こういう現実を見据えながら、完成までに、遅筆のベートーヴェンとしても異例の四年をかけた曲であったが、あるいはそれゆえに、当初思い描いていたのとは違う地点に、着地せざるを得なかった。
出版に際して、ベートーヴェンはこの曲はオラトリオとしても上演可能だと出版者や知人に書き送っている。なるべく高く売りたい(金が必要だった)宣伝文句だったろうが、教会だけでなく、一般の演奏会でも演奏して欲しいという願いもあったはずだ。
第九も前例の無い、オラトリオ的な交響曲である。
この二曲は、続けて演奏されることを望んでいるのだろうか。
ベートーヴェンは最後まで信仰を手放さなかった。最後に謎があるとは言え、ミサ・ソレムニスの、特にはじめからの三章がそのことを雄弁に語っている。同時に、青少年時代には新しい、現代にまで続く哲学の激しい波にさらされた。古い中世時代の価値観が人格の底にあり、その土台の上に近代的な思想を築いていった。
ミサ・ソレムニスと第九はその二つの世界の表現の到達点だ。
二つの世界観をつなぐものとして、ドナノビスパーチェムの、あの「蛇足」がある。もちろん、はじめから意図していたものではない。結果としてそうなってしまうことが、ベートーヴェンのように、その生き様と創作が一体である者だけに起きる必然である。
この二曲を並べた演奏会は、演奏する方も、聴く方もたいへんだろう。しかし、想像してみることはできる。そこにはベートーヴェンの広大な世界が広がる。
その内に二つの世界を抱えている人間がいることを想像してみることは意味のあることだと思う。
ベートーヴェンの大いなる矛盾、それは同時に価値観の違う二つの世界の矛盾であり、現代の私たちの世界もまた、それを含む矛盾を克服してはいない。
ベートーヴェンはその後、一連の最後の弦楽四重奏曲で融和と統一を果たしたのだろうか。私はそれを聴きとることができるだろうか。
蛇足の追記。
ベートーヴェンのオーケストラ曲の多くを、私はフルトヴェングラーの演奏で教えられた。ミサ・ソレムニスを戦後は一度も演奏していない。戦前は演奏していたが、録音は残されなかった。そのことが残念だったが、最近この曲に関するフルトヴェングラーの言葉を知った。
「私は長い間、この曲に没頭し、熟知し、暗譜したけれど、この中に隠されているものを引き出すことができなかった。」ーエリザベート夫人への手紙
フルトヴェングラーも謎を解きたかったのかもしれない。あまりにも偉大で、尊敬していたベートーヴェンだから、あの終わり方が理解できなかったのだろうか。ごまかすことはできない。だから、ありのままでよかったのではないだろうか。
そんな演奏を聴きたかった。