Woody Herman

Woody Herman (ウディハーマン) プロフィール

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モダンジャズが依然としてジャズの主流であることに変わりはないが、それに至るまでの歴史の中には多くの重要なビッグバンドが存在した。とりわけウエストコースト・ジャズの誕生に貢献したバンドとしてスタン・ケントン楽団とこのウディ・ハーマン・バンドが注目を浴び、モダン時代になってから独り立ちして名を成したミュージシャンたちを追ってこの二つのバンドを聴く人は意外に多い。 
 そうした意味ではハーマン・バンドはいわゆるセカンド・ハードを中心としたモダン・プレイヤーたちの温床としていまだに人気を誇っている。白人中心とはいえ当時の西海岸のミュージシャンたちは個性に溢れたメンバーを数多く擁しており、いまも魅力的な作品が沢山聴かれ続けている。

 チャールス・ウッドロア・ハーマンは1913年5月13日、ウイスコンシン州、ミルウォーキーに生まれ、1987年10月29日に惜しくも亡くなった。幼少の頃から歌やタップダンスが好きだったようで、歌手として活躍していた。サックス次にクラリネットを演奏するようになり、根っからの芸人魂を持った子供であったようだ。20年代から30年代に掛けてはこうした芸をビッグバンドの中ですでにプロとして披露していた。

 1934年ハーマンはアイシャム・ジョーンズのバンド、“アイシャム・ジョーンズ・ジュニアズ”に雇われ、1936年には初めてのレコーディングを経験している。やがて、ジョーンズがバンドを解散することになり、ハーマンはリーダ−としてこのバンドを引き受けることになる。こうしてバンド・リーダーとしての人生を歩み出したハーマンは、1930年代を何曲かのヒット曲を持って過ごしていった。この時期の演奏をまとめたのが『ブルース・オン・パレード』で、ハーマン初期の貴重な演奏が集められている。

 やがて、度重なるメンバー交代や兵役によるメンバーの移動によって変化したバンドは、ついに“ファースト・ハード”結成の時期に至る。1943年チャビー・ジャクソン(b)、1944年には、ニール・ヘフティ(tp)ピート・カンドリ(tp)フリップ・フィリップス(ts)ビル・ハリス(tb) ラルフ・バーンズ(p)ビリー・バウアー(g)デイヴ・タフ(ds)をはじめとする主要メンバーが揃い、バンドは次々とヒットを放った。メンバーにも続々とドン・ラモンド(ds)ソニー・バーマン(tp)ショーティ・ロジャース(tp)コンラッド・コゾー(tp)ら、西海岸を代表するプレイヤーに成長するメンバーが揃ってくる。1943年から1945年までのこの時期がいわゆる「ファースト・ハードの時代」である。

 1946年にハーマンはバンドを一新し、いわゆる“フォー・ブラザーズの時代”を迎える。この時代の特徴はバップ・イディオムをビッグバンド・スタイルに採りいれたところにあった。ハービー・ステュワード(as,ts)スタン・ゲッツズート・シムズ(ts)サージ・チャロフ(bs)のメンバーによるサックス・セクションを売り物にしたコンセプトは、元々はジーン・ローランド のアイディアであったが、それをとり入れたのが「フォーブラザース」だった。この時期に加入したメンバーはほかにレッド・ノーヴォ(vib)アーニー・ロイヤル(tb)、そして、ここでの出会いからズート・シムズとジャズ史上最高のテナー・チームを組むことになるアル・コーン(ts)がハービー・スチュワードに代わり加入している。

 1950年代になり、ビッグバンド経営が苦しい時代になってくる。カウント・ベイシーが一時期バンド解散に追い込まれたのもこの頃である。“サード・ハード”の時代を迎えたウディ・ハーマンは再び西海岸派の活きのいい連中を集める。レッド・ロドニー(tp)アービー・グリーンカイ・ウインディング(tb)リッチー・カミューカビル・パーキンス(ts)モンティ・バドウィック(b)ジェイク・ハナ(ds)などそうそうたるメンバーが再び揃う。またベイシー・ライクなピアノ・プレイが人気のナット・ピアースも編曲を提供し、この時期の“ハード”に大きな貢献をしている。

ハーマンは死ぬまで現役を続けており、経済的ないくつかの問題を抱えていたにしても、ビッグバンド・リーダーとしては生涯現役のライオネル・ハンプトンに次いで長い期間を活躍し続けたミュージシャンだった。このサード・ハードの後も様々な名称でハーマン・オーケストラは結局1980年代まで存続し、その間、サル・ニスティコ、カール・フォンタナ、そして,今や日本での人気者になったダスコ・ゴイコヴィッチなどがバンドを行き来している。

常に時代と共に進んだビッグバンド・リーダーとしての長い期間にわたる活躍や、数多くの若手の育成などジャズ界に対する貢献は大きい。ビバップからモダンへそしてフュージョンの時代へと進み行くハーマン・バンドの変遷がジャズの歴史そのものの一面を持っているといえる。

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