Timmy Regisford

Timmy Regisford (ティミー レジスフォード) プロフィール

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Timmy Regisford(=ティミー・レジスフォード)、NY生まれ。すぐに思いつく異名だけでも、NYクラブ界のドン、NYクラブ・サウンドの生き字引、ソウル・ミュージックの伝道師、15時間以上も連続でDJプレイを行う超人など、その数々の王冠的形容詞の枚挙には遑がない。今でこそDeep Houseシーンの代表的DJとして、Joe ClaussellFrancois KevorkianDanny Krivitらと並び称される機会も増えたが、Timmy自身は “Deep House”という言葉が定着するようになる90年代中期よりもずっと以前から今と変わらないエモーショナルかつソウルフルなDJスタイルを守り通してきた。

事実、彼は様々なインタビューなどで、事あるたびに「ハウスはシカゴから生まれたものだ」「NYは昔からずっと変わらないし、これからも変わらない」「選曲する時に一番重視するのは歌詞だ」「もっとダンス・ミュージックに“歌”を取り戻したいんだ」というような主張を繰り返している。“ハウス・ミュージック”という単なるメディア上の流行り言葉が不幸にも覆い隠してしまった“NYサウンドの真実”を、熱い 歌心とソウルフルなDJプレイによって正統的に伝え続ける彼の存在は、NYアンダーグラウンド・サウンドの聖地「Paradise Garage」(1976-1987)喪失後のNYクラブ・シーンにおいて、まさに“生きる伝説”と呼ぶに相応しい。

とかく人々はTimmyのDJプレイにおけるその超絶技巧や音楽上の深い博識をリスペク トの対象にしがちだが、そうした賞讃要素はあくまでも表面上のトピックスに過ぎない。たとえ世の中の流行やトレンドが変化しようとも、常に“classical”(古典的) かつ“traditional”(伝統的)であろうと努めること、そこから新しい何かを創造しようと邁進すること――故郷を目指しつつ、未来に進んで行く――、そうして中心 点を見失いがちな迷えるリスナーたちに対して“永遠の何か”を提示しつづけること、これこそがTimmyTimmyたる偉大さであり、“アーティストTimmy Regisford”の紛れもない本質である。その意味で、彼はDJプレイにおいて奇をてらったことはほとんどしない。しかしながら、移ろいやすい繁雑な世の中であればこそ、むしろ頑固なま でに“standard”(標準的)であろうと努める彼の姿勢は、多くの人々にとって何物にも代え難い貴重な財産となるのである。Timmyが主催する「Club Shelter」の掲げる“Keep It Real”(真実に忠実であり続けよう)というコンセプトは、まさにこの文脈において初めて言葉の迫真を得ることができるのだ。

そんなTimmyの青春期が、意外すぎるほどにナイーヴでデリケートなものであったことは余りにも有名な話である。既に14歳の時に「“音楽”と“踊ること”だけが自分自身を理想のアイデンティティーへと解放してくれる唯一の存在」であることを悟っていた彼は、やがてカレッジで心理学を学ぶようになる。しかし逆にそのことで幻覚 症状などの精神の変調をきたし、その時に唯一音楽だけが彼をその不安や苦しみから救ったという。Timmyの中に存在する音楽への深い愛情と傾倒は、こうしたナイーヴな青春期にその多くが養われたと察することができよう。

Timmyの本格的なDJキャリアはNYの人気FMラジオ局WBLSでのDJミックス・ショー(1986-1990)においてスタートする。1983年頃にアルバイトとしてWBLSに入ったTimmyは、各番組の選曲をサポートしながら、FM界のドンとも言うべきFrankie Crockerから直々に幅広い音楽知識を授かり、それまで正しく理解していなかった様々 なジャンルへの造詣を深めていった。TimmyがDJとして独り立ちしたのは1986年頃からで、ひとたびミックス・ショーを任されるや、その後はメキメキと頭角を現した。1987年頃には押しも押されぬ人気看板DJへと成長し、幼馴染みにして親友のMerlin Bobb(現Electra Entertainment副社長)とWBLS局内での人気を二分した。

こうしてTimmyは、KISS FMで同じくDJミックス・ショーをしていたTony Humphriesらと共に、ダンス・ミュージックにおける“Non-Stop Mix”という独自の音楽表現をラジオ番組の定番コンテンツとして定着させていったのである。アフロ・ファンクの大御所Fela Kutiの存在を知ったのもちょうどこの頃で、Timmyはナイジェリアのラゴスにある「The Shrine」というクラブに何度か出向いては彼のライブに深く心酔したという。こうした真摯な音楽的探求が今日のTimmyスタイルの決定的な礎となったことはもはや言うまでもないだろう。

この時期のTimmyはDJだけでなく、稀代のキーボード奏者Boyd Jarvisとの黄金コンビで『Visual / The Music Got Me』(Prelude / '83)、『Visual / Somehow,Someway』 (Prelude / '83)、『Level 3 / Central Line』(Fleetwood / '83)、『Billie / T'aint Nobody's Bussiness If I Do』(Fleetwood / '83)などのアンダーグラウンド・トラックを共同プロデュースし、当時「Paradise Garage」Larry Levanもこれらの12インチを好んでDJプレイした。中でもTimmyが12インチ・ミックスを手がけた 『Touch / Without You』(Supertronic / '87)を、何とLarryが2枚使いで1時間以上もプレイしたというエピソードは特に有名である。

その後のTimmyの経歴は実に華やかなものだ。MCA、Atlantic、Tabuなどのメジャー・ レコード会社のA&R/ディレクターとして、そして更にはMotownの副社長として、 Colonel AbramsJohnny GillGuyBoyz II MenEric B.&Rakimなどを発掘し育て上げた。そしてDeep Houseファンにとって何よりも忘れてはならないのは、Timmy自身も「長年の親友であり、大切なファミリー」と語るBlazeを、1990年にMotownから アルバム『25 Years Later』(Executive ProducerはBlazeTimmy)でメジャー・デビューさせたというエピソードである。

ここ数年におけるこのアルバムに対する幅広い再評価の実状は殊更に説明するまでも ないが、当時シカゴから全世界に広まっていた“ハウス的グルーヴ・フォーマット” が実はNYクラブ・シーンが70年代以降脈々と受け継いできたディスコ・サウンドの古典的意匠に過ぎなかったということを、何よりも“ソウルの側”から証明してみせたという点で、本作は非常に大きな意義がある。『25 Years Later』を聴けば、「ハウスはシカゴから生まれたものだ」「NYは昔からずっと変わらないんだ」というTimmy の言葉の真意がより具体的に理解できるだろう。尚、この時期のTimmyBlazeの共作 による12インチ・リミックス作品としては『Diana Ross / Workin' Overtime』(Motown / '89)が最高の仕上がりだ。機会があれば是非聴いてみて欲しい。

さて、一人のビジネスマンとして大きな成功を収めたTimmyだが、アンダーグラウンド・サウンドを発信しつづけるDJとしての使命を決して忘れたわけではなかった。 「大手レコード会社での活動は仕事、DJやクラブ運営は愛!」と言い切るティミーは、遂に1991年3月8日、オーナー/プロデューサー/メインDJとして「Club Shelter」(Merlin Bobbも共同オーナー)をNYの#6 Hubert St.にオープンさせる。全ての“THE SHELTER伝説”はまさにここから始まったのである。〈第1期 THE SHELTER〉

翌年1992年には『Gate-Ah / The Shelter』(Produced By Kerri Chandler)で待望の「Shelter Records」(こちらはFreddy Sanonが経営)をスタートさせ、“THE SHELTERブランド”は“レーベル経営(=政)”と“クラブ運営(=教)”という2つの相互的活動によって、いわば音楽上の“政教一致”とも言うべき実り豊かな理想郷を獲得する。そしてここに「THE SHELTER=Timmy=Club Shelter=Shelter Record =Shelter Family=THE SHELTER」という有機的な円還が見事に成立したのである。(ちなみにこの年の10月にTimmyは待望の初来日@芝浦「GOLD」を果たしている。Produced By VASTUNE

1993年の夏に「Club Shelter」は残念ながら一度閉鎖されてしまうが、パーティーとしての“THE SHELTER”は「Sound Factory Bar」や「Tunnel」などの他のクラブで継続された。(1996年の10月にTimmyは「Tunnel」で“The Temple”というパーティーを始めるが、その後すぐに撤退してしまう)。そして1996年に「Vinyl」が#6 Hubert St.の「Club Shelter」跡地にオープンすると、 翌年9月、遂に“THE SHELTER”(こ れ以降はBlazeのKevin Hedgeと「Shelter Records」のFreddy Sanonが共同オーナー)はかつての故郷に戻ってきたのである。“THE SHELTER”で頻繁に行われるライブ・パフォーマンスには、Chaka KhanAshford & SimpsonGrace JonesBeBe WinansMary J. BligeThe Sounds Of BlacknessFemi KutiRoy Ayersなどがゲスト出演し、改めてTimmyの音楽業界におけるその幅広い人脈と影響力の大きさを窺わせた。〈第2期 THE SHELTER〉

Timmyの日本公演が頻繁に実現されるようになったのもちょうどこの頃からで、特に5年振りの来日となった1997年7月の新宿「LIQUID ROOM」(Produced By VASTUNE)で は、名曲『Kenny Bobien And Friends / Why We Sing』(Equip / '97)の伝説的ヘビー・プレイが夜通し繰り返され、日本でのTimmy & Kenny Bobien人気を決定づける大きなキッカケを作った。(この曲のアナログ12インチは国内だけで約1万枚のセールスを記録。通常のPopsに換算すれば恐らく100万枚以上の数字に相当すると思われる)。 同時にこの頃からTimmyはリミキサーとしての仕事も精力的に行うようになり、中でも『Kimara Lovelace / When Can Our Love Begin』(King Street / '98)の大ヒットによって、日本では新しいファンが更に増大した。

これ以降のTimmy(及びTHE SHELTER)の活躍は既に多くの人々にとって周知のものであろう。1997年11月からは日本での「The Shelter Tour」(Produced By VASTUNE)も定例化され、その集客数とクラウドたちの熱狂指数は回を重ねるごとに膨れ上がるばかりだ。Timmyの選び奏でる最高の音楽だけが鳴り響くことを許された神聖なフロアーには、音楽を心から愛するクラウドたちで溢れかえり、〈最高のDJ〉と〈最高の 音楽〉と〈最高のクラウド〉が三位一体で創り上げるその壮大な狂乱絵巻は、ゆうに翌日の夕方近くまで続けられる。

「Shelter Records」のリリース状況もすこぶる安定しており、近年では『The Original Blaze / Home Is Where The Heart Is』('01)がトラディショナルなダン ス・ソウルとしては特に傑出している。久しく活動を異にしていたオリジナル・メン バーのChris Herbertをボーカルに迎えることで、曲全体に流れる洗練されたアーバ ニズムの中に、より一層の気品と風格をもたらした。是非とも本作はDeep Houseリスナーだけでなく、ソウル・ミュージックを愛する全ての人々に聴いてもらいたい。その他のボーカル・トラックでは、芯からドス黒いグルーヴが最高に熱くほとばしる 『Blaze / How Deep Is Your Love』('01)、Cool & Jazzyなミュージシャン・センスが渋く光る『Ambrosia / Believe In Me』('01)などが特に最近のTimmyのお気に入りで、先日の来日時にもここぞとばかりにヘビー・プレイされていた。(Ambrosia は既にいくつかのNY/NJのJazz Clubとも契約を結んでいるベテラン女性シンガーであり、かつ「Shelter Records」にとっても初のアルバム契約アーティストである)。

2001年9月11日のNY同時多発テロ以降「Vinyl」から撤退していた“THE SHELTER”だが、同年10月にTimmyたちは「Speed」というクラブ(#20 W.39th St.にある4階建て/ 屋上付きのビル)を買収し、更には“THE SHELTER”にとっては10年目にして初めて というリカー・ライセンス(酒類の販売資格)も取得し、2002年1月に改装工事中ながらも限られたイベントだけをセレクトして「Club Shelter」はオープンした。(もちろん毎週土曜は“THE SHELTER”である)。サウンド面の改装では「Twlio」で使わ れていたSteve Dushデザインの“PHAZON”を更にグレード・アップさせたサウンド・システムを導入し、そして3月30日、遂に「Club Shelter」は堂々のグランド・オープンを果たしたのである。この日の特別ライブ・パフォーマンスには、かつて 「Paradise Garage」のステージでもそのパワフルな歌声を披露したことのある大ベテランPatti Labelleが登場し、集まったクラウドたちを瞬く間に熱狂と情熱の彼岸へといざなった。(現在「Club Shelter」ではStevie Wonderのバースデイ・パーティー も企画進行中で、こちらも非常に楽しみだ)。〈第3期 THE SHELTER〉

こうした一連の“THE SHELTER”的現象の初動が、既に“Deep House”という名称が クラブ・シーンに定着する約数年前(1991年)に行われてたことは確実に覚えておくべき事実である。“THE SHELTER”が“Deep House”的なのではない。後年の“Deep House”が単に“THE SHELTER”的だっただけなのである。“THE SHELTER”は変わらずに昔からあった。ただその間にクラブ・シーンが動き、“THE SHELTER”のコンテ ンポラリーな意味合いが変わった。それだけの話である。その意味で一連の“THE SHELTER”的現象を今の“Deep House”シーンの枠の中でのみ捉えることには少しの 誤りがあると言える。

今後もNYクラブ・シーンの流行やトレンドは様々な展開を見せるだろう。そしていつかは“Deep House”に代わる新しい言葉が生まれるかもしれない。しかし、それでも “THE SHELTER”は“THE SHELTER”のままであるはずだ。音楽にとって外見上のカテ ゴリーなどは大した意味を持たない。“Keep It Real”(真実に忠実であり続けよう) ――流行やトレンドが変わっても、真実はそう簡単に変わるものではないのだ。

文●二宮淳(for NY BRILLIANT)/ 監修●Tarco(for VASTUNE

※これまでTimmyの出生年月日は一般的に「1963年8月23日トリニダード生まれ」とされてきたが、実はNY生まれである。尚、詳しい生年月日に関しては未だ非公開である。

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