実質バンドのリーダーとなったシド・バレットは徐々に作曲をするようになり才能が開花していく。UFOクラブでのライトショーやフィルムを使ったサイケデリックなステージが話題となり、’67年2月にEMIと契約、3月にはデビュー・シングル”アーノルド・レイン”をリリースした。この曲は歌詞が猥褻であることからBBCで放送禁止となるが、全英チャートで20位とまずまずのヒットを記録、6月リリースの2枚目のシングル”シー・エミリー・プレイ”は全英6位のヒットとなり、8月にはデビュー・アルバム『夜明けの口笛吹き』(Piper At The Gates Of Dawn)がリリースされた。全英6位まで上がるヒット作となったこのアルバムは、ほぼシド・バレットの手によって書かれたもので、この頃のピンク・フロイドは完全にシド・バレットのワンマン・バンドとなっていたという。