Sweetbox

Sweetbox (スウィートボックス) プロフィール

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ヨーロッパでエイス・オブ・ベイスバナナラマとの仕事で名を馳せていたコンポーザ兼プロデューサのGEOが、自ら手掛けるプロジェクトとして1996年シングル"Booyah"をリリースし活動をスタート。イタリア、シンガポールで1を獲得した。

1997年ヴォーカリスト=ティナ・ハリスをプロジェクトの核としてバッハの「G線上のアリア」をモチーフにしたシングル"エヴリシング・イズ・ゴナ・ビー・オールライト"をリリースしたところ、まずヨーロッパ各国のエアプレイ・チャートを尽く制覇し大ブレイク。この状況にいち早く目を付けた名古屋Zip-FMの制作ディレクターが中心となり名古屋からヒットを発信するも、瞬く間に全国のラジオ局で驚異的なエア・プレイを記録、メガヒットとなった。その結果デビュー・アルバム「スウィート・ボックス」は65万枚のセールスを記録し、彼らは第13回日本ゴールド・ディスク大賞(98年度)のベスト・ニュー・インターナショナル・アクトに選出され、その授賞式の会場でパフォーマンスを披露した。同年の年間チャートの3位以内に"エヴリシング〜"をランクした日本のラジオ局は、実に20を越えた。

1999年にティナが脱退、2000年5月になって、TLCの"アンプリティー"のPV出演や、LAのセッション・ヴォーカリストとして活躍していたジェイドが代わりとなった。彼女はソングライターとしての才能もあり、GEOとの出会いにより、その才能も日々磨かれた。また、彼女は父親の仕事の関係上(海軍)、85年〜87年横須賀に在住していたこともあり、大変な親日家でもある。

2001年2月、満を持してリリースされたシングル"ロンリー"では、エンニオ・モリコーネの隠れた名曲とされる、映画音楽「レディ・カリフ」からモチーフに使い、折からの癒しブームとも相俟って、日本中のラジオでヒットとなり、これを受けて、アルバム「クラシファイド」も40万枚という大ヒットとなった。

そして2002年9月に発表した3rdアルバム「ジェイド」は発売1ヶ月で瞬く間にゴールドディスク達成。 来日イベントの際には彼女の姿を一目見ようと徹夜組が出るほどの人気を得たが、海外でのリリースは見送られている。

そして2004年、“pop meets classic and urban”をテーマにスウィート・ボックスのアイデンティティともいえる得意のクラシックを巧みに取り込んだ待望の4thアルバム「Adagio 」を発表。ヴォ−カル、ジェイドの成長とともに楽曲の表情が豊かに、そして全体的なストーリーが感じられる完成度の高いアルバムが出来上がった。

このように、 作品ごとにグループ内で重要な役割を果たすようになってきたジェイド。その愛くるしいルックスからは想像もつかない、バイタリティ溢れる生い立ちから現在までを詳しくご紹介しよう。

スター誕生…
8月12日、カリフォルニア州サンディエゴ生まれ。わずか3才の誕生日を迎える前に、日本に移り住んだの。桜の国でキャリアを始めたのよ。5才の頃、日本で初めてCMに出演。その内容はそれ以来、私の大好物の一つになったラーメンのCM!その他に、モデルや紙媒体などのお仕事も結構やったわ。

タップシューズとの出会い…
私って、典型的な“ステージキッド”って表現できると思うわ。どうしてもショービジネスに入りたかったの。タレント・コンテスト、ダンス・クラス、もちろんミュージカル、そういう典型的なところから入ったわ。今と変わらず、物凄く負けず嫌い。大会で負けたことは殆どなかったし、欲しい役は必ず手にいれていて、負けた時は手回しされてるんじゃないの?って疑っていた程。私は、いわゆる“ステージママ”のいないステージキッドだったの。

スポットライトを目指して…
初めての重要なオーディションは、ニューヨークで、7つの時に受けたブロードウェー。 その日は、オーディションが二つ重なっていたの。一つは、Gypsyのオーディションで、もう一つは今でも私の大きな夢なんだけど、Les Miserablesのショー。オーディションを受けに行く時って、いつもささやかなトリックを仕掛けていたの。相手に印象づける為に、ステージ衣装に必ずビックリするような小物を入れるようにしていたわ。劇、ミュージカル、CM、パイロット番組にゲスト・スポット、あれこれに出演していたわ。

ペンとの出会い…
私がずっと尊敬していた人に、シンガーよりもソングライターになるチャンスの方が高いのでは、と説得されたのは丁度この時期。歌手としての自信を取り戻したのは、その会話から数年後のことだったけど、この話がなかったら、多分ソングライティングはやってなかったと思うわ。ソングライターには必要不可欠な内省や自己発見に相当な時間を費やしてきたけど、(あの説得がなかったら)それすらも始めていなかったかもしれない。シンガーになることを絶望視したあの時がなかったら、ソングライターになる自信を持てなかったかもしれない。

自分の方向性を求めて…
18才の誕生日の翌日、自分の夢を本当に叶えようとロサンゼルスへ移ったわ。五人と犬一匹、鳥一匹が共同生活を送っていたワンルームのアパートへお引っ越し。私たちは床でざこ寝して、食事はピーナッツバターとジャムのサンドイッチのみ。物凄くウキウキしていたけど、貧乏だったわ。大学にも通いたかったから、昼間は法律事務所のアシスタント、それからオーディションに行き、夜間と週末に学校に通っていたの。このビジネスにおいて、失望って、誰かに発掘して貰おうと街を歩き回っている時に訪れるものではないのよね。むしろ誰かに見出され、レコード契約をサインして、実はそこから大変だって認識した時なのよ。そこから坂道を登りつめていかないといけないよね。レコードをリリースし始めたのは19才からで、自分で歌詞を数行書ける良いシンガーではなく、アーティストになる願望、そして必要性があるってことに気が付いたの。

自分の音楽を求めて…
スウィート・ボックスって名前だけじゃないのよ、スウィート・ボックスの音楽自体が私なの。一曲一曲が私の心情と性格、そして私のソウルの一部なのよ。みんなが耳にしているのって、私のパーソナルな内容。万人に受け入れて貰えるとは限らない。人に訊かれる質問からそれって判っちゃうし、自分が思った程、人って自分の曲に耳を傾けてくれないのよね。プロデューサーのGEOと曲創りをしていて、彼と一緒に私のミュージック・ビジョンを実現しようとしているのよ。

スウィート・ボックスの音楽的なアイディアというのは、割と普通。私としては、素直に、自分の個人的な事を楽しく、そして自分自身にも嘘偽りの無い楽曲を創っていきたいの。世の中には、与えられた状況に留まる者と、その状況を自ら創っていこうとする人がいる。私は後者で、自分の音楽に関しても、そうしようと思っているの。

Sweetboxオフィシャル・サイトより

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