Stanley Turrentine
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Stanley Turrentine (スタンリー・タレンタイン) プロフィール

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スタンレイ・ウイリアム・タレンタイン(Stanley William Turrentine)は、1934年4月5日にペンシルヴァニア州ピッツバーグに生まれ、2000年9月12日ニューヨークで脳溢血の為亡くなった、享年66歳。

 ストライド・ピアノのプレイヤーだった母の影響を受け7歳でピアノを始めた。後年に発揮されるアーシーなフィーリングはこうした幼時に母の弾くピアノの影響も大きかった。幸いなことに当時のピッツバーグにはアーマッド・ジャマルがいてスタンレイはその教えを受けた。
 高校時代には“Four Bees and A Bop"というジャズバンドを結成、やがてプロとして6歳年上の兄トミーと地元の“ペリー・バー”でテナーをプレイした。1950年から51年に掛けてブルースマンのロウエル・フルソンのバンドで演奏していたが、当時このバンドにはピアニストとしてレイ・チャールズがいた。1953-54年には、タッド・ダメロン・バンドの後アール・ボスティック・バンドでプレイ、彼の後釜はコルトレーンだった。

 そのあと兄のトミー・タレンタインとニューヨークに昇ったスタンレイは中央にデビューする。1959-60年にはマックス・ローチのグループに在籍しレコーディングを経験する。スタンレイ自身もタイム・レーベルに初リーダー作『Stan The Man Turrentine』を残している。ジミー・スミスのバンドに加入し、『Midnight Special』の吹込みに参加し、ついにブルーノートと契約『Look Out』『Blue Hour』と初期の傑作を続けて吹込む。
 その後は,矢継ぎ早に『Up At Minton's Vol.1 , 2』『That's Where It's At』『Never Let Me Go』『Let It Go』などをヒット、『The Spoiler』『Look Of Love』などを経て1969年にブルーノート一時を離れる。この間ハパートナーだったシャーリー・スコットとのアルバムはプレレスティッジに多くある。中では『Soul Shoutin'』や『Blue Flame』が印象的だ。

 1970年、クリード・テイラーのプロデュースによってCTI移籍第一弾として吹き込んだ『Sugar』が大ヒット、60年代末のスランプを一気に抜け出して第二期黄金時代を築く。『Cherry』ではボブ・ジェームスをはじめ、フュージョンのスターをバックに新しい時代を告げるプレイでさらに多くのファンを獲得した。

 1975年にはファンタジー・レーベルに移籍、ここでもCCRの大ヒット曲『雨を見たかい』をカヴァー再びヒットメイカーとなった。
その後エレクトラを経て1985年には15年ぶりにブルノートに復帰、新生ブルーノトーの看板アーティストとして『Mr.Natural』『Straight Ahead』『Wonderland』を発表した。『Straight Ahead』ではジョージ・ベンソン、ジミー・スミスら往年の仲間と再会、活躍する。

  1990年代に入るとミュージック・マスター・レーベルと契約し、シダー・ウォルトン〜ロン・カーター〜ビリー・ヒギンズのトリオをバックにしたストレイトアヘッドなジャズを演奏し再び持ち味のアーシーなプレイを繰り広げた。そして、1999年、再び活動を活発化させたコンコード・レーベルと契約し、『Do You Have Any Sugar?』を発表して再び21世紀に向けて活動中、2000年9月、ニューヨークの“ブルーノート”出演直前に倒れ、12日脳溢血のため亡くなった。

 分かりやすいフレーズと独特の節回しがいつ聴いてもタレンタインの演奏を際立たせた。

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