Sheryl Crow
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Sheryl Crow (シェリル・クロウ) プロフィール

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たとえば彼女がいなかったら今で言うとミッシェル・ブランチ、もっと言うとアラニス・モリセットらが活躍できる土台というのはなかったかもしれない。90年代初頭、ナチュラルなイメージを身にまといデビューし、所謂女性シンガー・ソング・ライターの最高峰に登りつめた彼女―――シェリル・クロウの話である。

シェリル・クロウは1962年2月11日アメリカはミズーリ州ケネットという街で、4人兄弟の3女としてこの世に生を授かった。父親は弁護士でありジャズトランペッター、母親はピアノ講師という所謂音楽一家の娘として育てられた。5歳からピアノを習い始め、17歳の頃本格的に自らの音楽活動を開始する。ケネット高校を卒業後、ミズーリ大学に進学。作曲やクラシック・ピアノ、音楽理論を専攻する。彼女の幅広い音楽性は幼少期から完璧に育まれてきたといえる。学生時代カシミヤというバンドでキーボードを担当し、ローリング・ストーンズレッド・ツェッペリンのコピーを中心に、地元のライヴ・ハウスでライヴ活動をしていた。大学卒業後、小学校の音楽講師になるが86年、シンガー・ソング・ライターとしての夢をかなえるべくカリフォルニア州ロサンゼルス移住する。

87年 プロのミュージシャンとしての初仕事はマイケル・ジャクソンのコンサート・ツアーでのバック・ヴォーカリスト。このツアーでは来日も果たしている。18ヶ月間という過酷なツアーを終えたシェリルは疲れ果て、半年もの間、抜け殻のような生活を送っていたという。その後ドン・ヘンリージョー・コッカーロッド・スチュワート等、名うてのミュージシャンとの仕事をこなしたり、エリック・クラプトンに楽曲を提供するものの、表舞台の仕事は相変わらず出来ずにいた。

90年 プロデューサー、ヒュー・バッドハムに自分のデモ・テープを渡す。それをたいそうを気に入った彼は各大手レコード会社にデモ・テープを配り、A&Mレコードがシェリルに白羽の矢をたてた。レコーディングも順調に進み、いざリリースされるという矢先「コマーシャル性の欠如」を理由にレコード会社からデビュー・アルバムの発売無期延期を言い渡され(シェリル自らがダメ出ししたという説もある)その後暫く( 後のデビュー・アルバムのプロデュースを手掛ける)ビル・ボットレルの自宅でジャム・セッションに明け暮れる。そしてこのセッションがデビュー・アルバムへと繋がっていくのである。

93年8月3日、念願のデビュー・アルバム、チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ - Tuesday Night Music Club発売。“Leaving Las Vegas“、“All I Wanna Do“(ビルボード誌で最高2位をマークする大ヒットを記録)、Strong Enough“、“Can't Cry Anymore“、“Run, Baby, Run“、What “I Can Do For You“の6曲がシングル・カットされる大ヒット・アルバムとなる。94年 8月12日にはウッドストック’94に出演。その後、“All I Wanna Do“がビルボード誌で最高2位をマークする大ヒットを記録。95年には 一流ミュージシャンの証ともいえるMTVアンプラグドに出演。またその年の第37回グラミー賞では、最優秀新人賞、年間最優秀レコード、最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンスの3部門を受賞。険しいデビューまでの道のりもここで充分すぎるぐらい報われるのであった。またこの年の4月には新宿リキッドルーム他で初来日公演が行われている。

96年にはX Fileのサウンドトラックに楽曲を提供。そして同年9月セカンド・アルバム、シェリル・クロウ – Sheryl Crowを発表。“If It Makes You Happy”、“Everyday Is A Winding Road”などの大ヒット曲が生まれる。特に後者は後に日本でCM曲として使用され、日本のファンから特に親しまれている。翌年の第39回グラミー賞では最優秀ロック・アルバム、最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンスの2部門を受賞。2作連続でグラミーを受賞。よく言われる2枚目のジンクスなど、シェリルには無縁の話だったようだ。また同年5月、2回目となる来日公演を行う。最早トップ・ミュージシャンのシェリルのライヴだけにチケットの入手は困難を極め、ここ日本でも追加公演が用意されるほどの人気を獲得する。

97年には映画007シリーズ第18作、007 Tomorrow Never Diesの主題歌として“Tomorrow Never Dies”を提供。アルバム未収録のこの曲は映画の雰囲気にマッチした独特の妖艶なテイストでシェリルの新たな一面を覗かせてくれた。

98年9月にはサード・アルバム、グローブ・セッションズ - Globe Sessionsを発表。2度あることは3度あるということわざ通り、翌99年の第41回グラミー賞で最優秀ロック・アルバムを受賞。3作連続でグラミーを受賞という快挙を成し遂げる。同年7月サラ・マクラクランが企画した、女性アーチストたちによる大規模なツアー、リリス・フェアそして94年に続いてウッドストック99にも参加。そして映画Big Daddyのサントラにガンズ・アンド・ローゼズの “Sweet Child O' Mine”のカヴァーを提供(ラジオ・フレンドリーなこの曲は後にグローブ・セッションズに追加収録される)。(ラジオ・フレンドリーなこの曲は後にグローブ・セッションズに追加収録される。)9月14日、ニューヨークのセントラル・パークで2万人以上のオーディエンスを集めシェリル主催でベネフィット・コンサートを開催する。このライヴには、エリック・クラプトンキース・リチャーズを始めサラ・マクラクレンスティーヴィー・ニックスディキシー・チックス等の豪華ゲストも参加し12月にライヴ・フロム・セントラル・パークライヴ・フロム・セントラル・パークLive From Central Parkとして発売される。10月には3回目の来日公演も行われる。毎回会場の規模が大きくなるにも関わらず、毎度の事ながらソールドアウトの連続。

明くる2000年には“Sweet Child O' Mine” で第42回グラミー賞で最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンスを受賞。なんと4度目のグラミー受賞である。同年8月には映画Steal This Movieのサウンドトラックにスティーブ・アールとのデュエット“Time Has Come Today”を提供。翌2001年には第43回グラミー賞で最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンスを受賞。シェルビー・リンと“The Difficult Kind”をデュエットする。5度目のグラミーを受賞である。この年シェリルは映画Bridget Jones's Diaryのサウンドトラックに新曲“Kiss That Girl”を提供、ザ・フーのトリビュート盤トリビュート・トゥ・フー - Substitute - The Songs Of The WhoHank Williamsのトリビュート・アルバムTimeless - Tribute To Hank Williams、サン・レコード・レーベル誕生50周年を祝い豪華アーティストが名を連ねたGood Rockin' Tonight - The Legacy of Sun Recordsへの等コンピレーション・アルバムへの参加、一時恋仲が噂されたキッド・ロックのアルバム、コッキーでのデュエット、など勢力的に活動する。

そして2002年、4作目となる新作カモン・カモン – C’mon C’monが発売された。同年10月には日本武道館公演含むジャパン・ツアーを敢行。この時の模様はSheryl Crow Live At 武道館で聴くことが出来る。2003年の第45回グラミー賞では5部門にノミネートされ、見事「Best Female Rock Vocal Performance」を受賞した。

こうして彼女のここまでの歴史を振り返ると、交友範囲が極めて広いように思える。いわゆる大御所から若手まで...人間的な魅力も勿論前提としてあるのだろうが、ギリギリのトコロで頭でっかちな懐古主義に陥る事もなく、かといってすぐに風化してしまい明日にでも忘れ去れてしまうような流行歌手にもならない音楽に対するスタンスがあらゆる人々をひきつけるのであろう。シェリル・クロウ、彼女の快進撃はまだまだ止みそうにない。

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