同年、RCAに移籍したサムは、その後も彼が最も得意とするミディアム・ナンバー、所謂”サム・クック調”と呼ばれる唱法で一つのスタイルを築き上げ、その人気を決定的なものとした。’61年の「Cupid」を始め、R&Bチャート、ナンバー1となった「Twistin' The Night Away」や、「Having A Party」、「Another Saturday Night」といったところがその代表的なナンバーだ。また、それと平行してゴスペルで培った情感豊かなバラード・ナンバーも数多く発表しており、「Bring It Home To Me」、「Nothing Can Change This Love」、そして後に映画「マルコムX」の中でハイライト・シーンに使われた名曲「A Change Is Gonna Come」等、ソウル・シンガーとして面目躍如たるところも見せ付けた。こうしたスタイルが主に南部のディープ/サザン・ソウル・シンガーに与えた影響は計り知れない。
しかし、皮肉にもこれがサムの最後の雄姿となってしまう。’64年12月11日、ロスアンジェルスで宿泊先のモーテルの女性オーナーに射殺されるという悲劇的な最後を遂げるサム。その背後には音楽業界の利害問題による暗殺説も噂された。死後20年たった’85年にアルバム化されたノース・マイアミでのライヴ盤「Live At The Harlem Square Club,1963」は彼本来の”魂”が脈々と息衝いており、それは間違いなく黒人聴衆を前にした彼の姿だった。そしてそこには当時のRCAでのスタジオ作品にはない、ダイレクトな激しさと、ラフでタフなサムの姿があった。