Roy Buchanan
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Roy Buchanan (ロイ・ブキャナン) プロフィール

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'70年代泣きのギター・インストゥルメンタル・ナンバーの名曲を3曲挙げろと言われたら、サンタナの「哀愁のヨーロッパ」、ジェフ・ベックの「哀しみの恋人達」、そしてロイ・ブキャナンの「メシアが再び」を選ぶだろう。もちろん異論はあるだろうが、この3曲どれもが当時本当に多く耳にこびりついて離れないほどラジオから流れてきたものだった。

ロイ・ブキャナンは1939年9月23日アーカンソー州で牧師の子として生まれ、2歳でカリフォルニア州に移り、5歳の頃から音楽に興味をもち始め、やがてギターを手にし、9歳の頃には既にトリオ編成のバンドを組み始めていたという。

'57年ルイジアナ州シュリーヴボードのクラブで後にエルビス・プレスリーのバック・バンドを務めることになるジェームス・バートンと知り合い、やがて彼の後任としてデイル・ホーキンスのバンドに加入、3年間をそこで過ごし「スージーQ」などの名曲でプレイする。その後はロニー・ホーキンスのバンドにも加入するものの、'59年にジュディ夫人との結婚を境に、家族との生活を望んだこともあってか、ワシントンDC郊外のブラッデンブルグに移り住み、地元のクロスロード・クラブでひっそりとプレイするようになり、華やかな道から遠ざかってしまう。

そうしたクラブでのロイのプレイは噂が噂を呼び、エリック・クラプトンダニー・コーチマーロビー・ロバートソンなどの一流ミュージシャン達がクラブを訪れるようになる。そして'69年何と脱退したブライアン・ジョーンズの代わりにローリング・ストーンズ加入へのオファーが寄せられるが、いかにも彼らしくこの申し出を断ってしまう。

その後もクラブでのプレイを続けていたロイだったが、'71年そんな彼にスポットを当てた『世界で最高の無名なギタリスト』という90分のドキュメンタリー・プログラムが全米で放映された。フィルモアでおなじみのビル・グラハムの紹介でフェンダーのテレキャスターを黙々と弾く彼の姿は業界での話題となり、レコード会社間で争奪戦の末、ポリドールと契約。'72年Roy Buchananをリリースする。

前述した「メシアが再び」の他、ハンク・ウイリアムスの「ヘイ・グッド・ルッキン」、ドン・ギブソンの「スイート・ドリーム」のカヴァーを収録した今作は、カントリー、ブルース、ゴスペル、ジャズ等の要素を盛りこんだギター・プレイが評判を呼び、また全8曲中4曲がインストゥルメンタルという構成はジェフ・ベック等その後のギタリストの作品に大きな影響を与えた。

'73年Second Album、'74年That’s What I’m Here For、『Rescue Me』、'75年初のライヴ・アルバムLive Stock、'76年Atlanticに移籍し、プロデューサーにアリフ・マーディンを迎え、「メシアが再び」の再演を含んだA Street Called Straight、'77年プロデューサーにスタンリー・クラークを迎え、ブッカーT&MGズスティーヴ・クロッパーとそのMGズのカヴァー「Green Onions」でソロの掛け合いも聴ける『Loading Zone』,'78年You’re Not Aloneとコンスタントにリリースを続けるが、セールス的には徐々に下降線をたどり、残念なことに極度のドラッグ中毒に陥ってしまった。

'85年ようやくドラッグを克服して、インディーズのアリゲーターよりWhen A Guitar Plays The Bluesをリリース。得意のブルース色を前面に出したプレイで見事復活をアピール、'86年Dancing On The Edge、'87年Hot Wiresをリリースし、完全に復活を遂げたかに見えたロイだったが、ドラッグ中毒に加えアルコール依存症を乗り越えられず、とうとうヴァージニア州フェアファックスの刑務所に収監され、'88年8月14日その独房で首吊り自殺を図り死去した。

最初に触れたジェフ・ベックの「哀しみの恋人達」だが、この曲が収録されたブロウ・バイ・ブロウのジャケットのクレジットに目をやるとそこにはdedicated to Roy Buchananの文字が記されている。ロイの技法を取り入れてプレイしたジェフ・ベックの敬意の表現だが、彼の場合残された楽曲そのものというより、そのプレイスタイルがその後に与えた影響と言うものは計り知れない。

これはあくまでも想像だが、もし彼がレコード会社との契約を結ばなければ、きっと大好きな家族と共に今でも地元のクラブでリラックスしたプレイを続けているのではないだろうか。有名ミュージシャンのバック・バンドから離れたのも、ローリング・ストーンズのメンバー加入のオファーを断ったのも、こうした哀しい結末を自分が迎えるのをまるで予知していたのではないかと思えるのは少し考え過ぎだろうか。

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