しばらくハイスクールで音楽教師をしながら歌っていたロバータは、同地のジャズ・クラブでジャズ・ミュージシャン、レス・マッキャンに見出され、アトランティック・レコードを紹介され契約。’69年12月「First Take」でデビュー。発売時にはさほど話題にならなかったが、ロバータが、かねてからクラブでのレパートリーとして歌っていたイギリスのフォーク系シンガー、イワン・マッコールによるナンバー「The First Time Ever I Saw Your Face(愛は面影の中に)」が’71年に映画「恐怖のメロディ」に使われ、翌年、全米ポップ・チャートで首位を獲得する大ヒットとなり一躍彼女の名を世に知らしめた。この映画は、クリント・イーストウッドが主演監督したもので、イーストウッド演じる主人公のDJが熱狂的な女性ストーカー・ファンに追われるというものだった。このヒットを機にロバータは次々と大ヒットを飛ばすようになる。同曲はポップ・チャートで1位、R&Bチャートで4位のヒットを記録し、翌年のグラミー賞で、”レコード・オブ・ジ・イヤー”と”ソング・オブ・ジ・イヤー”を獲得した。
そして’73年、後のロバータにとっても最高傑作と謳われるあの名曲「Killing Me Softly(やさしく歌って)」を発表。その人気を決定的なものとした。同曲もポップ・チャートで堂々のナンバー1に輝き、再度グラミー賞で「レコード」と「ソング」部門を獲得した。’74年、後にジョージ・ベンソンもカヴァーする「Feel Like Makin' Love」のヒット以降はやや低迷期が続くが’78年、良きパートナー、ダニーとのデュエット「The Closer I Get To You」で再びR&Bチャート1位に返り咲き、最後のダニーとのデュエット曲「Back Together Again」後は、ピーボ・ブライソンと新たにデュエットを組んで「More Than Everything」、「Make The World Stand Still」、「Love Is A Waiting Game」等をヒット・チャートに送り込んだ。’83年には今や日本でも結婚式の定番ソングとなっている「Tonight, I Celebrate My Love(愛のセレブレーション)」を発表している。’88年、 「Oasis」で10年振りにR&Bチャート、ナンバー1となり、90年代に入っても意欲的なレコーディング&ライヴ活動を続け今に至っている。