Paul McCartney & Wings
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Paul McCartney & Wings (ポール・マッカートニー・アンド・ウィングス) プロフィール

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ビートルズ解散が事実化する前後から、アルバムマッカートニーを発表、そして2作目のアルバムラムを発表し、ソロ・キャリアを歩み始めたポール・マッカートニーは、その後、ツアー再開へ向けてポールリンダはバンド結成に向かった。元ムーディ・ブルースデニー・レイン(g)、デニー・シーウェル(ds)らとともにウイングスを結成。11月にワイルド・ライフを発表するが、これは不評に終わった。ヘンリー・マックロウというもうひとりのギタリストを加えたウイングスは、翌1972年2月16日、ノッティンガム大学にてデビュー・ライヴを敢行する。また7月から欧州ツアーを行うも、8月にスウェーデンでポールがマリファナ不法所持で逮捕されるという事件が起きた。

1973年5月全米1位となった“マイ・ラヴ”を収録したレッド・ローズ・スピードウェイ発表。この辺りからポールウイングス周辺は活気づいた。5月に全英ツアーを行ったポール・マッカートニー&ウイングスは、6月にジョージ・マーティンと組んだ、ジェームス・ボンド映画のテーマ曲“007/死ぬのは奴らだ”が全英最高位9位、全米2位を獲得。

9月、デニー・シーウェルとヘンリー・マックロウが脱退し、トリオとなったウイングスは、フェラ・クティらの協力を得てラゴスでレコーディング。その作品は11月に名作の誉れ高いバンド・オン・ザ・ランとしてリリースされた。この中に収録されているタイトル曲“バンド・オン・ザ・ラン”は英米でともにナンバーワンを獲得、また“ジェット”は英米とも最高位7位を記録するシングル・ヒットとなり、アルバムとしても600万枚を売る大ヒットとなった。

ジミー・マクローチ(g/元サンダークラップ・ニューマン、ストーン・ザ・クロウズ)、空手の元チャンピオンだというジェフ・ブリットン(ds)が加入したウイングスだったが、この後1975年にはジェフに替わりジョー・イングリッシュが加入。ニューオリンズ録音のヴィーナス&マースが6月にリリースされている(英米1位)。そしてこの後、同1975年9月から翌1976年の10月にわたり、ウイングスはワールド・ツアーを敢行。12月には来日も予定されていたが、ドラッグの前歴で中止。そして1976年5月から、ビートルズ以来10年ぶりとなる全米ツアーを行うが、この模様は3枚組LPのライヴ盤ウイングス・オーヴァー・アメリカ(全英8位/全米1位)と映画「ロック・ショウ」して発表された。またこのツアー中には、メンバー各々のソロを収録したスピード・オブ・サウンドが発表されている(全英2位/全米1位)。

1977年11月にメンバーのジョーとジミーがウイングスから脱退。再び3人となったウイングスは12月にシングル”夢の旅人“をリリースしたが、これは9週間連続ナンバーワンの座を守るヒットとなり、250万枚を売り上げた。これはビートルズ”シー・ラヴズ・ユー“の200万枚を抜く記録で、この後バンド・エイドの”ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス“に抜かれるまでセールス記録を誇った。

3人組のウイングスは、1978年にロンドン・タウンを発表(全英4位/全米2位)。ベスト盤ウイングス・グレイテスト・ヒッツ(全英5位/全米29位)のリリースを挟み、新メンバー、ローレンス・ジューバー(g)、スティーヴ・ホリー(ds)が新たに加入。新生ウイングスバック・トゥ・ジ・エッグを発表した(全英6位/全米8位)。

1980年に待望の来日公演のため来日したポール・マッカートニーは、1月16日成田空港でマリファナ所持のため逮捕され、10回予定されていた公演は全てキャンセルとなってしまった。その後、同年6月にマッカートニーIIを発表(全英1位/全米3位)。また10月にポールは「最もレコードを売ったソングライター」としてギネスブックに認定される。

1980年12月のジョン・レノンの死に衝撃を受けたポール・マッカートニーは、1981年4月に正式にウイングスを解散させた。

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