Paco De Lucia

Paco De Lucia (パコ・デ・ルシア) プロフィール

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「スペインが生んだ天才ギタリスト」パコ・デ・ルシア。1947年12月21日にスペインの最南端、ジブラルタル海峡に面した港町、アルへシーラスに4人兄弟の末っ子として生まれる。1967年に19歳でデビュー、伝説のカンタンテ、カマロンと共に「天才少年」と言われていた。Paco De Lucia(パコ・デ・ルシア)というのは芸名で本名はフランシスコ・サンチェス・ゴメス。「ギタリストなら一度は必ず通る道」とも言われるパコ・デ・ルシアとは・・・。

1955年、パコが7歳の時父のアントニオ・サンチェス、そして長男のラモン・デ・アルへ・シーラスにギターを習い始めるが父親のスパルタ振りは凄かったようで、練習に1日10時間以上は当たり前、遊び盛りの年頃に外で遊んでいるところを父に発見された時にはこっぴどく怒鳴られていたらしい、また学校すら殆ど自主退学状態だったと聞く。父の熱心なる教育と兄、ラモンの手ほどきを受けつつ当然の如くめきめきとギターを上達していったパコは11歳の時に地元のラジオにも出演している。

12歳になり彼は兄ぺぺと“ロス・チキートス・デ・アルヘンシーラス”というタイトルのレコードを録音。その神童ぶりを大いに発揮。13歳になって当時は有名であったホセ・グレコ舞踏団のギタリストとして雇われ欧米、オーストラリアへのツアーに参加している。

20歳の1967年にアルバム“La Fabulosa Guittara De Paco De Lucia(邦題・「天才」)”というソロ・デビュー・アルバムをリリースします。1970年にフラメンコ学会、プレミオ・ナショナルを受賞。そして後1973年にリリ−スされたアルバム“Fuente y Caudal(邦題・二筋の川)”に収録されているルンバ、“二筋の川”がフラメンコ界は勿論のことスペインのヒット・チャートでも1位を獲得し彼の名前は一夜にしてスペイン全土に広がった。

1975年にパコ・デ・ルシアはそれまでクラシック音楽にしか解放されていなかったマドリードの王立劇場でのリサイタルを開きました。その時に録音されたアルバムが“Paco De Lucia En Vivo”です。パコの他の作品でも言える事ですが、この作品でもただその素晴らしく完璧なギター・テクニックを披露しているだけでは決して無く、ギターと演奏者の一体感が体験できる素晴らしい内容となっています。豊かなフレーズのその奥に存在する情念のようなもの・・・それは彼にしか出す事の出来ない何か神懸り的なものすら感じます。また翌年76年に発表したアルバム“Almoraima(アルモライマ)”はパコの中期での傑作、名盤として評価の高い作品。

1980年に入ってアル・ディメオラジョン・マクラフリンといったジャズ・フュージョン界のアーティストたちとスーパー・ギター・トリオとして世界各国をツアーしフラメンコ・ファン以外にもパコ・デ・ルシアの名は知られる様になりました。81年にはセクステットによる初のアルバム“Solo Quiero Caminar”(邦題・道)をリリース、この年に来日し、ジャズ・ピアニストの巨匠チック・コリアとの競演をも果たしている。’84にはセクステットによるライヴ・アルバム“One Summer Night(ワン・サマー・ナイト)”を発表。

約10年ほどジャズ・フュージョンに傾倒していたかのようなパコが’87にリリースしたアルバム“Sirocco(シロッコ〜熱風)”で聴かせる「フラメンコヘの回帰」。見事なまでのテクニックとパコ自身のサウンドでアピールしている素晴らしい作品である。

1991年には新たなる境地を切り開くかの如くに録音されたのがホアキン・ロドリーゴの“アランフェス協奏曲”原曲ではクラシック・ギターとオーケストラの為に書かれた楽曲なのだがパコは殆どをそのままに演奏してしまうといった大胆な試みをしているがこの演奏を聴いていた作曲者ロドリーゴも賛辞を送ったという。1992年にはスペイン政府芸術金メダルを受賞、同年の5月に来日。

後2001年5月には3年の沈黙を破りセクステットで来日する。

誰もがそのテクニックを絶賛しミュージシャンが尊敬するいわばミュージシャンズ・ミュージシャンな存在でもある彼のギター・プレイを支持するファン後を絶たない。

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