DVD

原発切抜帖

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
KKJS124
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
日本
フォーマット
:
DVD
その他
:
スタンダード, 1982
監督
:

商品説明

広島の原爆第1号に始まって、第五福竜丸の死の灰の事件を経て原子力発電所の事故に至るさまざまの事件報道を朝日、毎日、読売、東京各新聞の切り抜きにたずね、原発の恐ろしさを訴えるドキュメンタリー。

内容詳細

1979年のスリーマイル島原発事故、1981年の敦賀原発の放射性廃液の流出事故を機に、土本典昭監督が長年切り抜きを続けてきた新聞記事のスクラップブックから、“原子力”をテーマに企画したドキュメンタリー。当時から問題にされていた原子力発電所や政府の姿勢を日々家々に配達される新聞の記事から読み解き、小沢昭一の軽妙な語りと新聞記事だけで構成した『シネエッセイ』。斬新な手法が話題を呼んだ、土本監督の隠れた傑作。

作者よりあらすじにかえて 土本典昭

 この映画製作の動機に、ある若いアジア人のひとことがありました。「私の国で原発をつくる日がきたら、きっと日本がひきあいに出されるでしょう“原爆の怖ろしさをあれほど知っている日本でさえ、原発大国になっているではないか”」と。
 昭和20年8月7日、広島のピカの第一報は3.5センチ角のベタ記事でした。「焼イ弾により若干の被害が出た模様」と国民の眼に原爆であることを隠したまま終戦に至りました。以後7年の占領期間、原爆被害報道はタブーであり、日映の原爆フィルムは没収されたのです。

 昭和29年の第五福竜丸の死の灰による被爆は大事件でした。今回映画で当時の連日のニュースを追ってみると、福竜丸は広大な危険区域(立入禁止)の60キロ圏外の洋上で被災したことに気づきました。

 アメリカ軍部の原子力・放射能障害の危険性の認識ぐあいはせいぜいその程度だったのではないか――とすれば、それをベースに計算された原子炉の安全性、放射能の安全基準は、その出発から誤算したままではないかとの疑いが生じました。
 この映画は内外の原子力事故の追跡を当時の新聞報道の一行一行で試みたものです。
 そして何より自ら怖ろしくなったのは、アメリカの米兵にせよ、南太平洋の島民にせよ20年、30年ののちに病み死んでいっている、その“時差”でした。

ヒロシマ・ナガサキの体験をいつ、なぜ見失ったか、それは一篇のミステリーとも思えるのでした……。
(公開当時のチラシ)

【スタッフ】
監督:土本典昭
製作:山上徹二郎、米田正篤
企画演出:土本典昭
監修:高木仁三郎、西尾漢
語り:小沢昭一
音楽:高橋悠治と水牛楽団
撮影:渡辺重治
撮影助手:清水良雄、平坂政一
録音:久保田幸雄
ネガ編集:加納宗子
タイトル:坂口康
台詞:長瀬未代子
資料構成:井上敦子、神原聡、北村小貴子、土本亜理子、二宮敬嗣、能勢剛、はりうたかし、藤本幸久
取材協力:東京大学新聞研究所
協力:香内三郎、高岩仁、武川五平、平川千宏、前田勝弘、山内登貴夫、岩波映画製作所、風の会、プルトニウム研究会
製作本部:高木隆太郎、金子和恵、清田秀子


1980年代にヨーロッパから日本へと拡大していった反核運動。原発批判と結びついていなかったこの事象に一石を投じつつ、被爆国から原子力大国へと進む日本の戦後史を新聞記事の早めくりで追う実験的ドキュメンタリー。(CDジャーナル データベースより)

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