Guns N' Rosesと同じぐらいギラついた評判を得たMotley Crueは、悪名高い逸話の数々で80年代に確固とした地位を築いた。80年代のヘアー・メタルブームの中で最初に頭角を現したバンドの1つでありシーンに最も大きな影響力を持っていたMotley Crueは1989年作品の「Dr. Feelgood」を含め何枚ものアルバムヒットを出している。90年代に突入してからは様々な訴訟沙汰や内紛等々でメディアを騒がし音楽的な活動にやや翳りが出たが、相変わらず論議をかもし出す存在としてシーンで生き延びている。
Motley Crueの歴史は1981年まで遡る。当時ベーシストのNikki Sixx(本名:Frank Ferrana)とドラマーのTommy Lee Bass(Tommy Lee)はそれぞれ色々なバンドをやっていたが、それらを全部やめて新しいプロジェクトを始めようと決意。Bob Mick Mars Deal(Mick Mars)をギタリストとして採用し、その後ヴォーカリストのVince Neil Wharton (Vince Neil)を加入させた。バンドは何度か名前を変えたが、ある日ギターのMick Marsが昔自分がいたバンドで「色んな人間がいてぐちゃぐちゃ(= motley)なバンドだな」と言われていたのを思い出し「Motley Krue」という名前を想起。バンドはこの名前をスペルを少し変えて起用、地元のクラブで活動を開始し、そのユニークなステージングによりすぐにカルト的な人気を集め始めた。
活動開始直後バンドはAllan Coffmanに出会い、彼の金銭的支援を得て最初のアルバム「Too Fast for Love」を自分たちの小さなインディレーベルLethur Recordsからリリースする。驚くことにアルバムは2万枚も売れ、その結果ほどなくしてメジャーレーベルElektraと契約、1983年に「Shout At The Devil」を発表した。同アルバムは「Looks That Kill」などのシングルヒットが効を成しプラチナディスクを獲得したが、バンドの成功はそこで一時的にストップする。同年8月12日にVince Neilが交通事故で瀕死の状態に陥ったためである。飲酒運転をしていたVinceは別の車に衝突、同乗していた友人でHanoi RocksのドラマーであったNicholas Dingley(Nasty Suicide)が死亡し、他の被害者も骨折や脳挫傷などの重傷を負った。飲酒運転による過失致死で有罪判決を受けたNeilは1985年に30日間の懲役と社会貢献活動を課され多額の和解金を支払うこととなった。しかしNeilが受刑する前にバンドは最新作「Theatre of Pain」をリリースしていた。同アルバムはチャートを急上昇、バンドは瞬く間にスターとなり、Brownsville Stationのカバー曲「Smokin’ In The Boys Room」で初のトップ40ヒットを放った。
1989年、やっとクリーンになったバンドはアルバム「Dr. Feelgood」でシーンに返り咲き、「Kickstart My Heart」や「Don’t Go Away Mad (Just Go Away)」、「Without You」、そして悪名高いアルバムタイトルトラックでバンドとしては初のトップ10シングルとなった「Dr. Feelgood」といったシングルヒットを放ち、アルバムもビルボードNo.1 を獲得した。
2003年から2004年の間、こういった状況の中でもMotley Crue再結成の噂は飛び交い続
けていたが、一方でバンドの各メンバーは各自のプロジェクトで忙しく活動していた。
Tommy LeeとVince Neilはそれぞれセレブリティのリアリティ番組に参加、LeeはNBC
の30分番組でロックスターが大学に通うドキュメンタリーで活躍し、Neilは「The Surreal
Life(直訳:シュールな生活)」のファーストシーズンに出演している。Sixxは新しいバンドBrides Of Destructionでアルバムを発表しツアーを行った。2004年後半にようやく再結成の噂が現実になり、オリジナルメンバー4人が集結、2005年に6年ぶりとなるフルツアーを行うと発表した。また同ツアーにあわせて、翌年2月には2枚組グレイテストヒッツ「Red, White & Crue」をリリースしている。
2008年にはオリジナルメンバー4人によるアルバム「Saints Of Los Angeles」をリリース。往年の
作風を彷彿とさせる内容で好評を博している。