Motley Crue
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Motley Crue (モトリー・クルー) プロフィール

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Motley Crue

結成: 1981年、カリフォルニア州 ロサンゼルス

Guns N' Rosesと同じぐらいギラついた評判を得たMotley Crueは、悪名高い逸話の数々で80年代に確固とした地位を築いた。80年代のヘアー・メタルブームの中で最初に頭角を現したバンドの1つでありシーンに最も大きな影響力を持っていたMotley Crueは1989年作品の「Dr. Feelgood」を含め何枚ものアルバムヒットを出している。90年代に突入してからは様々な訴訟沙汰や内紛等々でメディアを騒がし音楽的な活動にやや翳りが出たが、相変わらず論議をかもし出す存在としてシーンで生き延びている。

Motley Crueの歴史は1981年まで遡る。当時ベーシストのNikki Sixx(本名:Frank Ferrana)とドラマーのTommy Lee Bass(Tommy Lee)はそれぞれ色々なバンドをやっていたが、それらを全部やめて新しいプロジェクトを始めようと決意。Bob Mick Mars Deal(Mick Mars)をギタリストとして採用し、その後ヴォーカリストのVince Neil Wharton (Vince Neil)を加入させた。バンドは何度か名前を変えたが、ある日ギターのMick Marsが昔自分がいたバンドで「色んな人間がいてぐちゃぐちゃ(= motley)なバンドだな」と言われていたのを思い出し「Motley Krue」という名前を想起。バンドはこの名前をスペルを少し変えて起用、地元のクラブで活動を開始し、そのユニークなステージングによりすぐにカルト的な人気を集め始めた。

活動開始直後バンドはAllan Coffmanに出会い、彼の金銭的支援を得て最初のアルバム「Too Fast for Love」を自分たちの小さなインディレーベルLethur Recordsからリリースする。驚くことにアルバムは2万枚も売れ、その結果ほどなくしてメジャーレーベルElektraと契約、1983年に「Shout At The Devil」を発表した。同アルバムは「Looks That Kill」などのシングルヒットが効を成しプラチナディスクを獲得したが、バンドの成功はそこで一時的にストップする。同年8月12日にVince Neilが交通事故で瀕死の状態に陥ったためである。飲酒運転をしていたVinceは別の車に衝突、同乗していた友人でHanoi RocksのドラマーであったNicholas Dingley(Nasty Suicide)が死亡し、他の被害者も骨折や脳挫傷などの重傷を負った。飲酒運転による過失致死で有罪判決を受けたNeilは1985年に30日間の懲役と社会貢献活動を課され多額の和解金を支払うこととなった。しかしNeilが受刑する前にバンドは最新作「Theatre of Pain」をリリースしていた。同アルバムはチャートを急上昇、バンドは瞬く間にスターとなり、Brownsville Stationのカバー曲「Smokin’ In The Boys Room」で初のトップ40ヒットを放った。

短い活動停止期間の後バンドはVince Neilと再会、「Home Sweet Home」のビデオを製作する。同ビデオはMTVでかけられた最初のパワーバラードヒット曲となり、実に4ヶ月続いて同局でリクエストが最も多いミュージックビデオになった。その後1986年にはレアなライブ映像やインタビューを集めた44分長のホームビデオ「Uncensored」をリリース、その間Leeは女優のヘザー・ロックリアと結婚した。そしてさらに1年後、Motley Crueは4枚目のアルバム「Girls Girls Girls」を発表。人気の高かったタイトル曲のビデオはあまりに際どい作りのため、少しマイルドになったバージョンが出てくるまでTV放映禁止となった。その後バンドはやっとツアーを開始したが、今度はNikki Sixxがドラッグのオーバードーズで死の一歩手前まで行ってしまう。結果翌年の1年間は各メンバーがそれぞれドラッグのリハビリを受ける形になり、Motley Crueというバンド自体がスポットライトから外れてしまった。

1989年、やっとクリーンになったバンドはアルバム「Dr. Feelgood」でシーンに返り咲き、「Kickstart My Heart」や「Don’t Go Away Mad (Just Go Away)」、「Without You」、そして悪名高いアルバムタイトルトラックでバンドとしては初のトップ10シングルとなった「Dr. Feelgood」といったシングルヒットを放ち、アルバムもビルボードNo.1 を獲得した。

再度ワールドツアーに出たバンドは1991年にベストアルバム「Decade Of Decadence」を発表、発売直後にチャートのトップ2を記録し、同タイトルのホームビデオもその直後にリリースされた。バンドは自分達のレーベルMotley Recordsを立ち上げ新たにElektraと2,500万ドルで契約を交わすが、残念ながらこの頃にはMotley Crueが人気を博していた時とは音楽シーン全体が大きく変化しており、こういった時代の趨勢に付いていこうと苦悩するバンドの内部にヒビが入ってきてしまう。1992年に新アルバムのためMotley Crueはセッションに入るが、バンド内で紛争が勃発、結果Vince Neilは新ヴォーカリストのJohn Corabi(元the Scream)に取って代えられてしまった。1994年には「Motley Crue」をリリース、USチャートの7位を記録し最終的にはゴールド・ディスクを獲得したものの収益的には失敗に終わる(アルバムのツアーも同様)。1997年初頭にボーカリストのCorabiは解雇され、Vince Neilが再加入、やたら騒がれたニューアルバム「Generation Swine」がリリースされた(Corabiはその後、元KissのギタリストBruce Kulick と共にUnionというバンドを結成した)。

「Generation Swine」はチャート初登場4位を飾ったものの酷評され、すぐにチャートから外れてしまう結果に。その後1998年バンドは「Greatest Hits」をリリースするが、そのツアーを開始するや否やTommy Leeが妻の女優Pamela Andersonに対する配偶者暴行容疑で逮捕、その年のほとんどを刑務所で過ごした。そうこうしている間にバンドとレーベルElektra間の契約が破綻。Motley Recordsは提携先をBeyondに変更、自身の旧譜カタログの版権も確保した形で同レーベルと契約を結んだ。

やがて1999年にはVince Neilと数え切れないほどの軋轢を繰り返したTommy Leeがバンドを脱退、Methods Of Mayhemというバンドを立ち上げ同名のアルバムを同年後半にリリースした。一方Motley Crue側ではLeeの代わりにオジー・オズボーンのバンドのドラマーだったRandy Castilloが加入、再起をはかったバンドは旧譜スタジオアルバムの全てをリマスター(しかもボーナストラック付)で再発させ、またレア音源集「Supersonic」と「Demonic Relics」を発表した。バンドは2000年夏には新しいオリジナルアルバムNew Tattooをリリース、そしてNikki Sixxがサイドプロジェクト「58」を開始した。しかしNew Tattooのツアー開始前夜、Randy Castilloが非公表の疾患のためツアーを離脱、回復に努めることになった。ツアーをキャンセルすることなく開始したMotley Crueは臨時で元Holeのドラマー(Motley Crueの長年の大ファンでもある)Samantha Maloneyにサポートを要請した。

2001年5月、Motley Crueは「The Dirt」という大胆かつ赤裸々な(元ドラマーLeeのコ メントまで入っている)自伝を発表、瞬く間にベストセラーになる。ほぼ同時期にVince Neilが小規模な全米クラブツアーを開始、新しいソロアーティスト契約を結ぼうと活動す るものの一方ではMotley Crueのメンバーだと主張し続けた。こういったバンド不遇の間 SixxはTantric やMeatloaf、Faith Hillなど他アーティストへ楽曲を提供している。2002 年春には残念ながらRandy Castilloが死去、バンドは活動停止状態が翌年まで続くだろう と発表した。その頃Nikki SixxがMotley Crueをオリジナルメンバーで再結成し解散ツア ーを行う考えをコメントしたもののTommy Leeがそれを受けすぐにメディアに対し、自身 とVince Neilとの関係はとにかく修復不可能でそんなツアーは無理だと公言した。

その頃また新たな論争がバンド周辺で次々と勃発する。元プロデューサーのTom Werman が印税不払いでバンドを訴える一方、Vince Neilの元妻Heidi Markが身体的暴力でNeil を告訴、さらにNeilはインタビューも出来ないほど酔っ払いすぎてしまったことが原因で 全米ネットワークのラジオ番組を干されてしまう。更にツアードラマーだったSamantha Maloneyまでもが巻き込まれるハメになる。2000年のツアーの間、SixxとMaloneyが不 倫関係にあったおかげでMaloneyとSixxの妻の間で争いがあったことをMaloneyが公に 認めてしまったことに対し苦々しく思ったSixxは、その腹いせにMaloneyに対する悪意に あふれたコメントを自らのウェブサイトに書き込んでしまう。

2003年から2004年の間、こういった状況の中でもMotley Crue再結成の噂は飛び交い続 けていたが、一方でバンドの各メンバーは各自のプロジェクトで忙しく活動していた。 Tommy LeeとVince Neilはそれぞれセレブリティのリアリティ番組に参加、LeeはNBC の30分番組でロックスターが大学に通うドキュメンタリーで活躍し、Neilは「The Surreal Life(直訳:シュールな生活)」のファーストシーズンに出演している。Sixxは新しいバンドBrides Of Destructionでアルバムを発表しツアーを行った。2004年後半にようやく再結成の噂が現実になり、オリジナルメンバー4人が集結、2005年に6年ぶりとなるフルツアーを行うと発表した。また同ツアーにあわせて、翌年2月には2枚組グレイテストヒッツ「Red, White & Crue」をリリースしている。

2008年にはオリジナルメンバー4人によるアルバム「Saints Of Los Angeles」をリリース。往年の 作風を彷彿とさせる内容で好評を博している。

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