Mike Bloomfield (マイク・ブルームフィールド) プロフィール

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知名度でこそクラプトンベックに劣るものの、白人ブルース・ギタリストの先駆け的存在であり永遠の最高峰、それはマイク・ブルームフィールドをおいて他ならない。ギブソンのレスポールから紡ぎ出される官能的ですらあるフレーズは現在も美しく響く…

マイク・ブルームフィールドは1943年7月28日、イリノイ州シカゴに生まれた。比較的裕福な家庭に育ったマイクとブルースとの出会いはラジオから。偶然見つけたブルース専門の局でBBキングマジック・サムマディ・ウォーターズハウリン・ウルフなどを知り、すぐにブルースに夢中になった。偉大なブルースマンが同じ街シカゴに住んでいると知ってからは、地下鉄に乗りライヴを観に行くようになる。この頃マイクはまだ16歳であった。

そこで白人の客はマイク一人。黒人に囲まれながらもマイクは堂々としたもので、自ら進んでステージに上がっていったという。そこでマイクをとがめる者は誰もおらず、むしろユダヤ系の白人であるマイクがブルース・ギターを弾ける事に興味を示したという。ラジオで出会ったような錚々たる面子のブルースマンとセッションを重ねていったマイクはメキメキと腕を磨いてくのであった。

64年、シカゴでのマイクの評判を聞きつけたコロンビア・レコードのプロデューサー、ジョン・ハモンドはシカゴへと出向き、マイクと契約を交わした。シカゴの地元ミュージシャンと組みニューヨークでアルバムをレコーディングするが、この吹き込みは何故かお蔵入りしてしまう(斬新過ぎた音楽性がお蔵入りの一番の理由とされている。)。パンドラの箱は開かないかとも思われたが約30年の時を経てDon't Say That Ain't Your Manにその録音の一部が収録される事になる。

コロンビアでの吹き込みを終えたマイクはニューヨークからシカゴへと戻ると、今度はバタフィールド・ブルース・バンドのリーダーで白人ハープ奏者のポール・バタフィールドからお声がかかった。マイクバタフィールドのことをブルースマンとしては尊敬していたが、人間的に問題アリなのではないかと懐疑的であったが結局、ポールバタフィールド・ブルース・バンドに正式加入を決意。

ファースト・アルバムPaul Butterfield Blues Bandをリリースしたバンドは同じマネージメントの仲という理由からボブ・ディランのレコーディングに参加することになる。ここでは後にコンビを組む事になるアル・クーパーとの出会いという運命的な出来事も起こっている。そしてひと悶着あったニューポート・フォーク・フェスティバルを経てディラン追憶のハイウェイ(Highway 61 Revisited)のレコーディングを迎える。

ポール・バタフィールド・ブルース・バンド最高傑作との誉れ高いセカンド・アルバムEast-Westをリリースした後、バンドを脱退したマイクエレクトリック・フラッグを結成。ニック・グレイヴナイツ(vo)、ハーヴェイ・ブルックス(b)、バリー・ゴールドバーグ(org)、バディ・マイルス(ds)といった古くからの友人を集めたバンドがそれだ。このバンドはアメリカン・ミュージック・バンドという別名を持つように、ブラスを導入するなどブルースだけにこだわらない幅広い音楽性を披露した。しかし様々な理由からバンドを脱退することになる。

その後不眠症を患ってしまったマイクは家に篭り映画音楽を作ったり、他人のプロデュースをしたりと裏方仕事をこなすようになる。理由は家を出れないから。家を出ると眠れなくなるほど病状は悪化していたという。そんな日々を過ごすうち、マイクアル・クーパーとの再会を果たす。この再会がきっかけとなりSuper Sessionsフィルモアの奇跡(The Live Adventure Of Mike Bloomfield And Al Kooper)というロック史上に残る名盤が生まれるのであった。

70年代に入るとマイクはギターを弾く事を放棄してしまう。放棄という言葉は適切でないかもしれない。マイクは麻薬中毒に陥りギターを弾く事すらままならなくなっていたのだ。無気力のマイクでも彼の過去を知るサンタナらベイエリアのギタリスト達はマイクをバックアップする。「貴方の過去を知る者にとって今の貴方は惨めすぎる…もう一度ギターを…」徐々に心が動かされたマイクはサンフランシスコでライヴをしたり短いツアーに出たりと、少しづつではあるが前進し始めた。音楽研究家の仕事もする傍ら地道にライヴ活動を続けていたマイクだが、70年代も終わりに差し掛かる頃、またもドラッグに手を染め体調は悪化していった。81年の2月15日、マイクは車の中で死体で発見される。死因は精神安定剤の過剰摂取、享年37歳…..。

マイクの使用ギターはフェンダーのテレキャシターにギブソンのレスポール。ブルース・ギタリストという事でエレキ・ギターのイメージが強いメイクだがアコースティックでの腕前もなかなかのもの。

こと日本におけるマイク・ブルームフィールドの過小評価にはほとほとまいってしまう。ブルースマンには色は関係ない。そのことはマイクのギターが十二分に証明してくれている。

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