この1969年という年はストーンズにとっても世界情勢としても大きな転換期だった。ミック・テイラー加入直後の7月3日にブライアン・ジョーンズが死亡。翌日の4日には、ミック・テイラーが参加し、5月にレコーディングされていた“ホンキー・トンク・ウィメン”(全米・英1位)がリリースされている。またその翌日の7月5日にはハイドパークに25万人を集めての「ブライアン追悼コンサート」が催された。そしてストーンズ・ファンにとっても、当時の多くのロック・ファンにとっても衝撃となった「オルタモントの悲劇」が起こる...ストーンズも参加したその米カリフォルニア州でのフリー・コンサートで死者が出たのだった...という風に、ロックが幸福だった時代は節目を迎えており、ストーンズ自体も時代も混沌とした様相を呈していた。ブライアン・ジョーンズ脱退後の初のアルバムとなるレット・イット・ブリード(Let It Bleed) はこの1970年にリリース。これは前作ベガーズ・バンケット(Beggars Banquet)に続く傑作で、アーシーな情緒をたたえた曲や、パーカッシヴなグルーヴィ・チューン等が収録されていた。