John Squire

John Squire (ジョン・スクワイア) プロフィール

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80年代末から90年代半ばにかけてストーン・ローゼズのギタリストとして脚光を浴びたジョン・スクワイアストーン・ローゼズはもともと、幼い頃に近所の砂場などで一緒に遊んでいたというジョン・スクワイアイアン・ブラウンが、青年期を迎え一緒にロック・バンドをやろうとしたところから生まれたのだった。

彼らが青年期を迎えた時代は80年代のサッチャー政権下で、イギリス過去最悪といわれた失業者数の増大が騒がれているという状況。労働者階級のマンチェスターの若者たちは、夜な夜な空き家に不法侵入し、ドラッグと好きな音楽を両手いっぱいに抱えて踊ったり、演奏したり、という日々を送っていたという。そこでかけられていた音楽は、いわゆるインディものからクラシック・ロックの類、パンクにソウルにディスコ、スカにレゲエ、といった幅広いものだった。

ストーン・ローゼズは1985年、幼馴染みのイアン・ブラウン(Vo)とジョン・スクワイア(G)が中心となり、レニ(Dr)、アンディ・カズンズ(G)、ピート・ガーナー(B)の5人で結成された。そして早くも結成直後にThin Line Records から1stシングル So Young をリリース。しかし音楽的にはここでは彼らの後の個性は見出せない。次のリリースは1987年。彼らのスタイルを決定づけた2ndシングル Sally Cinnamon をFM-Revolverからリリース。このリリース前にアンディが脱退(後に彼はザ・ハイのメンバーとしてデビューしている)。その後にベーシストのピートに代わって、マニが加入。イアン、ジョン、レニ、マニの黄金の4人がここで出揃う。彼らが生まれ育ったイギリス工業都市のマンチェスターでは、最新の音楽シーンがあるわけでももちろんなく、彼らがライヴをするのは時に鉄橋の下だったという逸話もあるほど。それでも彼らは他バンドの前座はやらないという独自のポリシーを持ちながら、自分達の音楽が鳴らせるならいつでもどこでもできるんだというスタンスを貫く。そして1988年、Silvertone Recordsからシングル Elephant Stone をリリース。同曲はNew Orderのピーター・フックがミックスを担当したことで注目を浴び、彼らの音楽を代表する、サイケデリックなギターサウンドとポップなメロディーの決定打といえるシングル曲だった。

 Elaphant Stone をリリースしてから、ローゼズ人気は鰻のぼりになり、マンチェスターやロンドンでのライヴは軒並みソールドアウト状態になる。そして記念すべき1989年の夏、デビューアルバム 石と薔薇(The Stone Roses)をリリースする。ジョン・スクワイアの神懸り的なギターとリズム隊の黒っぽいグルーヴに、イアン・ブラウンの新たなロックスター像を予感させるフニャフニャなボーカルは、まさに奇跡的バンドサウンドを生み出していた(当初も以降もヴォーカルが弱いと言われ続けてもいるが)。ロックンロールとアシッドハウス・カルチャーを融合させた、今までにないその画期的なサウンドで、一大ムーブメントを起こすまでになる。というか、そのムーブメント、カルチャ−の真っ只中に彼ら自身がいた。そして彼らが奏でたポジティヴな空気感をいっぱいにたたえたサウンドは、ハッピー・マンデーズインスパイラル・カーペッツといったマンチェスター勢、後発のシャーラタンズ、同世代なプライマル・スクリーム、そして弟分的バンドのオアシスらのそれとともにイギリスのバンド音楽シーンの主流となっていく。またこの年に、シングルのみリリースとなった Fool’s Gold は、初のトップ10ヒットを記録する。彼らはまさに光り輝くバンドヒストリーを駆け進んでいた。

しかし、ローゼズ旋風真っ只中にあった彼らを待ちうけていたのは、古巣レーベルSilvertoneとの契約問題についてのいざこざだった。2年間にも渡る裁判沙汰に嫌気をさし、心身ともに披露困憊していた彼らはニューアルバムのレコーディングどころではなくなってしまった。そして長く続いたSilvertoneとの裁判に終止符を打ち、Geffenと新たに契約を結ぶ。ところが、契約が上手くいき、さていよいよリスナーが心底待ち望んでいた2ndアルバムのレコーディングという段階になって、ローゼズは謎の休止状態に陥ってしまった。曲作りの中心的存在だったジョン・スクワイアのスランプなど原因は複雑に入り組んでいたが、その間もイアン・ブラウンは自分達は最高のグルーヴを生み出すバンドなんだと豪語し、弱気な発言は一切なかった。そして、前作から実に5年も経った1994年、皆が待ち望んでいたローゼズの2ndアルバム セカンド・カミング(Second Coming) が完成されたのである。そこにはジョンの圧倒的なギターが鳴り響き、ローゼズのバンドグルーヴは失われていない事を証明していた。シングルとなったTen Storey Love Songの全てが許されたかのような荘厳に鳴り響くメロディーに、多くのファンはローゼズ完全復活を疑わなかった。

アルバムリリース後の長期ツアーをスタートさせる段階になって、レニの突然の脱退、そしてジョンの事故による1995年のグラストンベリー・フェスのキャンセルと、アクシデントは続き、1996年ついにバンドの要であったジョンがバンド脱退を表明する。

ジョンはローゼズ脱退後、すぐさまシーホーセズを結成。1997年にデビュー・アルバムドゥ・イット・ユアセルフ(Do It Yourself)(このタイトルはイアンがバンド末期にジョンに吐き捨てた言葉、てめえでやってみろよ、に端を発する)を発表するが、結局このアルバム一枚を残してバンドは解散に至っている。

イアン・ブラウンを「陽/動」とすれば、ジョン・スクワイア>は「陰/静」の部分を持った存在で、ストーン・ローゼズはその二人の個性に、リズム隊の二人の個性も加わったまさに完璧な運命共同体といえる結束力をもとに進んできたバンドだった。そしてどちらかというと内向きな芸術家肌だったジョン・スクワイアは、結局その繊細さゆえにドラッグに溺れていき最後には身を持ち崩してしまった。2ndアルバム セカンド・カミング(Second Coming) のレコーディングがあそこまで長引いたのはもともと裁判のせいもあるが、作曲面で多くの役割を担っていたジョンがその周りから寄せられる期待感とそれを上回りたいとする気持ちに折り合いがつかず、ドラッグに溺れ、結局自分たちのプレーにOKが出せないほど誇大妄想的になっていたせいだとも言われている。

そして2002年ジョン・スクワイアはソロー・アーティストとして遂にシーンに復帰を果たした。アルバム、タイム・チャンジズ・エヴリシング(Time Changes Everything)はUK本国のみならず熱狂的ファンが存在するここ日本で契約を交わし日本盤も発売(本国から遅れること4ヶ月)され、2003年2月にはソロ来日公演を行い(このライヴでジョンはローゼス時代の楽曲も演奏)、夏にはフジ・ロック・フェスティバルへの参加しこのアルバムからの楽曲を披露している。

そしてストーン・ローゼス、シーホーセス時代には考えられなかった早いペースで2004年1月、ソロ第2作目となるアルバムマーシャルズ・ハウスをリリースする。今だストーン・ロゼスが復活することを願うファンは多いが、今のジョンの作品からみると再結成は夢で終わってしまいそうな話だが・・・・・。

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