レッチリ脱退からややあって'95年にようやく音楽活動を再開。初のソロ・アルバム『Niandra Lades And Usually Just A T Shirt』をリリースした。97年には『スマイル・フロム・ザ・ストリーツ・ユー・ホールド - Smile From the Streets You Hold』もリリースしている(輸入/国内ともに廃盤)。これらのアルバムの内容/作風からも窺えるようにジョンはドラッグにどっぷり浸かっており、ギリギリの精神状態にあったようだ。またこれらのソロ・アルバムは新たなドラッグを買うために制作されたなんて話もある。
一方レッチリはジョンの後釜に元ジェインズ・アディクションのデイヴ・ナヴァロを加入させアルバムOne Hot Minuteをリリースするが、明らかにパワーダウンを感じさせるものであった。しかも世代的に新しいバンドが登場するなどレッチリは過去の存在になりつつあった。それを印象付けるのが'97年のフジ・ロック・フェスティバルである。記念すべき1回目のメイン・アクトとして選出されたレッチリであるが、後続的バンドであるレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが後に伝説とまで呼ばれる気合いの漲ったステージを披露。対するレッチリはAnthonyのバイク事故による骨折、更なる悪天候などバンドにとって最悪の条件が重なっていたせいもあったが、ライヴは8曲という中途半端な形で幕を閉じてしまった。それは世代交代を感じさせる瞬間でもあった。