1975年にはアルバム『ロリータ・ゴー・ホーム』を発表。この作品でジェーンは、フィリップ・ラブロの歌詞をゲンズブールの曲に合わせて歌っている。1978年にはアルバム『想い出のロックン・ローラー』をリリースし、人々を惹き付けた。セルジュの苦悶に満ちた歌詞を歌う、少し意地悪そうで、半分かん高く半分囁くようなジェーンの声、そして綿のようにフワフワした感触に、世間は魅了されたのである。そしてゲンズブールと別れてから2年を経た1983年、ジェーンは映画監督ジャック・ドワイヨンと付き合うようになる。彼は『La Fille Prodigue』(81年)、『ラ・ピラート』(84年)の監督で、彼女を演技派女優への道に進ませた人物だ。
1998年にジェーンは『A La Legere』をレコーディング。“完全なる背信”と彼女が描写するこの新しい冒険では、12曲のオリジナル・ソングを12人の作曲家達に依頼して書いてもらった。ゲンズブールが歌詞と曲のどちらにも全く関わっていないのはそれが初めてだったが、創作された曲のそれぞれにインスピレーションを与えたのは彼である。曲の提供者には、次の人達が含まれていた:シャンフォール、スーション、ヴールズィ、フランソワーズ・ハーディ、MC・ソラー、ラヴォワン、ダオ、そしてザジ。ザジがジェーンに提供したのは“そんなもの”、激しい感情に満ちたその歌詞はこんな具合である。『私はもうあなたについて一言も言うつもりはないわ/そのほうがいいの/これから先は、他のもの達が私に語らせるから』。これらの歌詞は最初聴いた時は聞き取れないが、それはジェーンの心に強く焼き付き、結果このアルバムは“彼女が望み得る限り最も慎み深い”作品となった。彼女は歌い手として敢えて危険を冒し、声の調子を強め、そして澄み切った明瞭な声で、彼女自身がそうであるように、より軽快に明るく歌うという挑戦を行なっている。
2002年にジェーンは、“エリザ”や、彼女自身の一番のお気に入りの曲である“シックなランジェリー”、あるいは“いつわりの愛”の魅力を色褪せさせないように、自分なりのやり方で守ることにした。オリエンタルな旗のもと、“アルジェリア的であり、かつアンダルシア的であり、同時にまたジプシー的でもある”空の下で、彼女はセルジュの曲を歌った。彼女は、できるだけ幅広い若年層の聴き手にセルジュのことを知ってもらうというアイディアに、ワクワクしていたのだ。『アラベスク』と題されたこのコンサートで彼女は、アルジェリア人のヴァイオリニスト、Djamel Benyellesと一緒に仕事をしたいという以前からの願いを実現した。彼の演奏によってゲンズブールの曲は、アラブ風のアレンジに揺らめく。その彼の横で、ジェーンは裸足のまま、血のように赤いロング・ドレスを身にまとい、Aziz Boularouq(パーカッション)、Fred Maggi(ピアノ)、Amel Riahi el Mansouri(リュート)らに囲まれながら、“天国の鍵束”を歌った。