Garth Brooks

Garth Brooks (ガース・ブルックス) プロフィール

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’90年代初頭のアメリカで吹き荒れた凄まじいカントリー・ブームの中心的存在を担ったガース・ブルックス 。生々しいセックス・アピールや派手さを欠くガース・ブルックスは、その誠実そうな人柄と親しみ易い風貌でアメリカ国民に愛されている。カントリーという伝統的な音楽がメガ・セールスを記録することを証明してみせたガースは、’99年発表の近作イン・ザ・ライフ・オブ・クリス・ゲインズ(In The Life Of Chris Gains)でポピュラー畑に堂々と挑戦した(チャート的には以前、ポップス・チャートを制覇しているが)。企画モノとして終わるのか、そのキャラクターが続いていくのか判らないが、今後彼の進むべき方向性を考えたとき、この作品はひとつのマイルストーンになるだろう。ここではガース・ブルックス の今までの歩みを振り返ってみたい。

ガース・ブルックス は1962年2月7日、オクラホマ州リューバーで生まれ、同州ユーコーンで育った。父コリーン・キャロル・ブルックスは’50年代半ばにキャピトル・レーベルから幾つかのレコードを出したカントリー・シンガーだったが、父は遂にチャートに入るような成功は収めることが出来なかった。そうした家庭環境もあってガース・ブルックス は子供の頃から、音楽への興味を抱いていたというが、それ以上にスポーツに打ち込んでいたと言われる。

将来は運動選手を夢見ながら、オクラホマ州立大学へ体育系の奨学金を受けて通っていたガースは、しかしスポーツからはドロップ・アウトしてしまう。学校に通いながら、地元オクラホマのクラブでカントリー・ミュージックを歌い始めるようになる。この時組んだバンドでは後にソロ・アーティストとして活躍するタイ・イングランドがギターを担当していた。

’85年、カントリー・ミュージシャンとして成功するチャンスを求めて、ガースはナッシュヴィルを訪れた。しかし、レコード業界の冷たさと自分の世間知らずに嫌気がさし、この時はわずか23時間後に町を出て故郷に帰ってしまったという。’87年再びナッシュヴィルへ舞い戻ったガースは、今度はソングライターやプロデューサーらとのコネクションを作っていくようにした。本人が後に語ったところによると、この時は町中のレコード・レーベルを訪ねたが、次々と断られ続け、遂にキャピトルがオーディションを受けさせてくれたそうだ。ただそうした努力にも関わらず、キャピトルの方も、結果はあえなく不合格。しかし、ガースにとって幸運だったのは、オーディションからひと月半経った頃、キャピトルの重役の一人が、ブルーバード・カフェでガースが歌っているのを耳にしたことだった。これがキッカケで、その後キャピトルは先の決定を見直すことになった。’88年晴れてガース・ブルックス はキャピトルと契約した。

ガース・ブルックス がデビューした’89年は、クリント・ブラックアラン・ジャクソントラヴィス・トリットといった将来のスター達が同時期にデビューした年だった。彼らは後の‘90年代のカントリー・ミュージック・ブームを担う錚々たる面々だった。そんな中、リリースされたガース・ブルックス のデビュー・シングル"マッチ・トゥ・ヤング"は8位を記録するが、人々の関心は4曲を立て続けに1位に送り込んだクリント・ブラックに集中していた。セカンド・シングル"イフ・トゥモロウ・ネヴァー・カムズ"はナンバー・ワンを奪取したものの、この時点ではクリント・ブラックの人気を打ち負かすほどではなかったといえる。そうした情勢の中、当時のインタビューでガースは、マイ・ペースで土台をしっかり固めていくさ、と発言している。

その後’90年にリリースされた"ダンス""フレンズ・イン・ロウ・プレイセズ"が、ナンバー・ワンを記録した。マイ・ペースで行くさ、と語ったガース・ブルックスは、結果的にはその発言からそれほど待たずに、大人気となってしまったのだった。’90年発表の2ndアルバムノー・フェンセス(No Fences)、’91年発表の3rdアルバム アメリカの心(Ropin’ The Wind)はそれぞれ1000万枚(!)という驚異的なセールスを記録し、ガース・ブルックス は当代きってのアメリカを代表するカントリー・スターとなった。因みにアメリカの心(Ropin’ The Wind)はビルボード誌のカントリー、そしてポップス総合チャートの両方のアルバム・チャートで初登場1位という史上初の快挙を成し遂げている。

その後のリリースはオリジナル・アルバムを並べると…’92年に 果てしなき野望(The Chase) 、'93年イン・ピーセス(In Pieces) 、’95年 恋はひとよりもせつない (Fresh Horses) 、’97年 大地の心、僕の歌 (Sevens)。ガースは順調にリリースを続けた。

またオリジナル・アルバムの他には、’90年代初頭のカントリー・ブームを担ったガース初期の名曲を収めたベスト盤 ヒッツ(Hits)や’98年発表の2枚組ライヴ作、ダブル・ライヴ(Double live)などがある

――というのが1999年前半までのガース・ブルックスの活動の流れだった。この後’99年9月にイン・ザ・ライフ・オブ・クリス・ゲインズ (In The Life Of Chris Gainsを発表。これは冒頭で触れたようにガース・ブルックス がクリス・ゲインズなる変名(というか同名映画の役柄名)を使ってリリースした異色作となった。今後の活動がこれでどう左右されるか判らないが、この作品はカントリー・ファンにとっては複雑な心境を誘うものとなったのではないだろうか…次作で再度注目したい。

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