’90年代初頭のアメリカで吹き荒れた凄まじいカントリー・ブームの中心的存在を担ったガース・ブルックス。生々しいセックス・アピールや派手さを欠くガース・ブルックスは、その誠実そうな人柄と親しみ易い風貌でアメリカ国民に愛されている。カントリーという伝統的な音楽がメガ・セールスを記録することを証明してみせたガースは、’99年発表の近作イン・ザ・ライフ・オブ・クリス・ゲインズ(In The Life Of Chris Gains)でポピュラー畑に堂々と挑戦した(チャート的には以前、ポップス・チャートを制覇しているが)。企画モノとして終わるのか、そのキャラクターが続いていくのか判らないが、今後彼の進むべき方向性を考えたとき、この作品はひとつのマイルストーンになるだろう。ここではガース・ブルックスの今までの歩みを振り返ってみたい。
その後’90年にリリースされた"ダンス"と"フレンズ・イン・ロウ・プレイセズ"が、ナンバー・ワンを記録した。マイ・ペースで行くさ、と語ったガース・ブルックスは、結果的にはその発言からそれほど待たずに、大人気となってしまったのだった。’90年発表の2ndアルバムノー・フェンセス(No Fences)、’91年発表の3rdアルバム アメリカの心(Ropin’ The Wind)はそれぞれ1000万枚(!)という驚異的なセールスを記録し、ガース・ブルックスは当代きってのアメリカを代表するカントリー・スターとなった。因みにアメリカの心(Ropin’ The Wind)はビルボード誌のカントリー、そしてポップス総合チャートの両方のアルバム・チャートで初登場1位という史上初の快挙を成し遂げている。