エルモア・ジェイムスのレコーディング・キャリアが始まるのは’51年から。トランペット・レコードに吹き込んだ"Dust My Broom"が、その初レコーディングだった。サニー・ボーイ・ウィリアムソンのセッションのついでにとったようなこのナンバーはしかし、本人達の気楽さに反してちょっとしたヒットになる。こうして期せずしてエルモア・ジェイムスはレコーディング・アーティストとなったのだった。
カントリー・ブルースの名残りのあった"Dust My Broom"だが、翌’52年にメンフィスでアイク・ターナーらのシンプルなバックを伴って録音された曲群では、ギターの音の歪みも強烈なかなりのワイルドさを聴かせており、そして同年のシカゴ録音で聴けるサウンドではバンド・サウンドが完成している。この時のバンドはJ.T.ブラウン(ts.)、ジョニー・ジョーンズ(p.)、ランサム・ノウリング(b.)、オディ・ペイン(ds.)からなるブルームダスターズ。先のメンフィス録音の荒々しさも良いが、こちらの南部らしさを残しつつピアノ、サックス等でアーバンな感覚を付け加えたブルーム・ダスターズでの演奏も評価が高い。この時期の個性的な演奏は、後に「ブルーム調」と呼ばれることになる。
またこの頃、ロサンジェルスやニューオリンズなどでも吹き込みを行なった。この時期の音源はCDThe Classic Early Recordings1951-1956で聴くことができる。またこの時期の少し後になる録音で見逃せないのがエルモア・ジェイムス&エディ・テイラー名義でCDにもなったSouth Side Blues。元々はコブルストーン盤LPとして出ていた音源で、エルモア・ジェイムスの’57年チーフ録音とエディ・テイラーの’55〜’57年のVee Jay録音、’64年のVivid録音をまとめたものだった。しかし残念ながらこのCDは現在廃盤となってしまった。この後、エルモアはファイア〜エンジョイ〜フューリーに録音を遺していく。シカゴのクラブなどでも人気を博したエルモアは’59年末にシカゴでレコーディングを行う。アーバナイズしつつハードな印象を残す楽曲・演奏を遺している。’60年にはニュー・ヨークで録音、’61年にニュー・オリンズ、そして’62/’63年とニュー・ヨークで吹き込みを行なった。この時期の録音はSky Is Crying:Legendary Fire-Enjoy SessionsとしてCD化されている。