その後、1966年にブラッド・スェット・アンド・ティアーズ(BS&T)に加入、一年を過ごし、デビュー・アルバム『Child is Father To the Man 』の録音に参加する。 1968年には初リーダー作『スコア』を発表、これには19歳のマイケルも参加している。その後、ホレス・シルヴァー・グループに参加する一方で、クラーク・テリー、デューク・ピアソン、サド=メルといった当時の新進気鋭ののビッグバンドでもプレイしている。
次に短期間のジャズ・メッセンジャーズへの参加後、1969年、伝説のグループ“ドリームス”をマイケル、バリー・ロジャース、ビリー・コブハムと共に結成する。2枚のアルバム『Dreams』『Imagine My Surprise』をColumbiaに残すが1971年には解散。このグループは残念ながら成功はしなかったが、ランディたちはセッションマンとして多忙な日々を送ることになった。
1973年には兄弟で再びホレス・シルヴァー・グループに復帰、『In Pursuite Of The 27th Man』(BlueNote)に参加、ラリー・コリエルのグループ、“イレヴンス・ハウス”へも参加、『Aspects』(Arista)を録音する。翌年にはビリー・コブハムのグループにも参加する。
マイケルは個人としては、1987年パット・メセニー、ジャック・デジョネット、チャーリー・ヘイデンをメンバーにアルバム『Michael Brecker』を発表、ダウンビート誌年度アルバムに選出された。2枚目の『Don't Try This At Home』では初めてのグラミー賞に輝いた。1990年には『Now You See It...Now You Don't』を発表、その後は、プール・サイモンのツアーに参加し、続いてハービー・ハンコック、マッコイ・タイナーのアルバムに参加。
1997年にグラミー賞2つを受賞した『Tales From the Hudson』を発表。この作品はデビュー作と同じ4人が結集した。その後、初めてのライブ・アルバム『Two Blocks From the Edge』を発表。
そして、1990年代最後に発表されたのが、ドラムスに長年の彼のアイドルであり、ジャズをプレイし始めたきっかけにもなったジョン・コルトレーン・グループのドラマーとして黄金のコルトレーン・カルテットを支え続けたエルヴィン・ジョーンズを招いた渾身の快作『Time is of the Essence』だった。
2000年を超えてブレッカーブラザースはそれぞれの演奏をピートアップ。 マイケルはバラードの極致、コルトレーンに挑んだ作品 Nearness Of You - The Ballad Book で再び「グラミー賞」を受賞、さらにCharlie Haden の快作 American Dreams でのバラード演奏にも冴えを見せる一方で、マイルス=コルトレーン、生誕75周年を飾ったユニットで、ハンコック=ブレッカー=ハーグローヴによる Directions In Music で世界をツアー、新たなる展開を遂げた。
ランディ・ブレッカーも2001年、 Hanging In The City を発表、リチャード・ボナをはじめニューヨークでひっはりだこのメンバーを大集合し、弟のマイケルも参加した独ESCからのランディ・ブレッカーの久々のリーダーアルバムでは、かつての名バンド「DREAM」を彷彿とさせるアルバム・タイトル曲の演奏など、ランディの様々なアイディアを具現化した新生ランディ・ブレッカーの集大成アルバムとなった。