本当の意味での成功は1986年に入ってからだった。1986年夏に3rdアルバムワイルド・イン・ザ・ストリーツ(Slippery When Wet)を発表し、8月から日本を皮きりにワールド・ツアーを再開。日本での人気は当然だったが、前作辺りからのアメリカでの好反応も巧く作用したとみえ、この作品とそれに伴うツアーがボン・ジョヴィを一段高い地点に押し上げた。もちろん“禁じられた愛“、”リヴィン・オン・ア・プレイヤー“といった全米ナンバー・ワン・シングルがその人気に拍車を掛ける役割をしたことは言うまでもない。シンデレラが同行した全米ツアーが長期に渡って行われたこともあり、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ(Slippery When Wet)は遂に全米ナンバー・ワン・アルバムとなった。9週連続ナンバー・ワンという快挙を成し遂げた同作はアメリカだけで800万枚、全世界で1400万枚という驚くべきセールスをあげたのだった。
翌2001年3月には世界のどこの国よりも一番早くボン・ジョヴィの存在を認めた国として、特別な思い入れがある日本のファンへのプレゼントとしてロック・ナンバーのみを集めたベスト・アルバムTokyo Roadをリリース、同年5月には初のライヴ・アルバムOne Wild Night - Live 1985-2000をリリース。一時は ジョンが俳優業に専念する為バンド活動をしばらく休止するとも報じられたが、昂ぶったモチヴェーションを下げたくないとの理由で新作のレコーディングを開始。そして2002年9月、8作目となる新作バウンスをリリースした。米国同時多発テロの影響が色濃く反映されたであろうこの作品は、アメリカを代表するロック・バンドとしての強い意志が感じられる内容であった。